頼母子古墳とは? わかりやすく解説

頼母子古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/21 02:07 UTC 版)

頼母子古墳
別名 頼母子大塚山古墳
所在地 群馬県太田市牛沢町付近
位置 北緯36度15分32.0秒 東経139度21分04.5秒 / 北緯36.258889度 東経139.351250度 / 36.258889; 139.351250座標: 北緯36度15分32.0秒 東経139度21分04.5秒 / 北緯36.258889度 東経139.351250度 / 36.258889; 139.351250
形状 不詳(前方後円墳説が有力[1]
規模 不詳 高さ5.4 m
埋葬施設 不詳(竪穴式)
出土品 銅鏡3面 石釧 鉄鏃30など
築造時期 4世紀後半 - 末[2]
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頼母子古墳(たのもしこふん)は、群馬県太田市牛沢町付近に所在したと伝わる古墳頼母子大塚山古墳(たのもしおおつかやまこふん)とも呼ばれる。

概要

朝子塚古墳西側、かつて旧国道354号群馬県道142号)より南側に所在したと伝わる古墳。群馬県では1915年大正4年)の藤岡市三本木所在古墳での発見につぐ2番目に多い、2面の三角縁神獣鏡が出土した[3]。墳丘は1910年明治43年)に土砂採取のため破壊された。戸籍の記録や出土品から、朝子塚古墳の一つ前の首長墓とされている。埋葬施設は粘土郭とみられている。

規模

本古墳の規模について伝わる数値は墳丘高さのみである。

  • 墳丘高さ : 5.4 m

出土品

1910年の削平時に波紋帯龍虎鏡、吾作銘帯三神五獣鏡、有銘文帯四神四獣鏡、石釧、鉄鏃などが発見された。 現在、吾作銘帯三神五獣鏡、有銘文帯四神四獣鏡は所在不明。

吾作銘帯三神五獣鏡

本古墳出土の吾作銘帯三神五獣鏡と推定されている拓本が奈良県立天理図書館[要出典]に、拓影の鏡が南山大学人類学博物館にそれぞれ収蔵されている。現在この銅鏡は岐阜県可児市土田出土とされ、兵庫県西求女塚古墳、京都府椿井大塚山古墳、千葉県城山1号墳出土の銅鏡と同笵である。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 墳丘高さ5.4m から推測
  2. ^ 出土品から推測
  3. ^ 同じく高崎市柴崎蟹沢古墳、前橋市前橋天神山古墳も2面

参考文献

関連項目

外部リンク


頼母子古墳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/03 08:48 UTC 版)

朝子塚古墳」の記事における「頼母子古墳」の解説

古墳西側国道の南に所在したと伝わる古墳墳丘明治年間破壊された。戸籍の記録出土品から、朝子塚古墳一つ前首長墓とされている。

※この「頼母子古墳」の解説は、「朝子塚古墳」の解説の一部です。
「頼母子古墳」を含む「朝子塚古墳」の記事については、「朝子塚古墳」の概要を参照ください。

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