疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル
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「中日新聞」の記事における「疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル」の解説
2005年3月から1年間、生活部記者が署名入りで書いていた連載記事において、掲載したイラストの約8割が他社の書籍のイラストの無断転載であることが発覚。記者ではなく、上司に処分が下された。また加藤幹敏編集局長が「チェックに甘さがあり、イラストの著者と講談社、医学芸術社、読者にご迷惑をおかけしたことを深くおわびします。著作権に対する管理を厳格にし、再発を防止したい」とコメントした。 2016年5月に掲載した記事「新貧乏物語 第4部 子どもたちのSOS」内の記事で事実無根の記事や写真が掲載されたとして同年10月12日に謝罪した。この記事は反貧困ネットワーク主催の「貧困ジャーナリズム賞」を受賞しており、グループの東京新聞などにも掲載された。記者は「原稿を良くするために想像して書いてしまった」と想像で記事を書いたことを認めたが、具体的にどの記者が関わったかは非公表であり、また連載を打ち切る予定はないとした。中日新聞社は同年10月30日付朝刊に検証結果を2ページで掲載。また同社は、管理・監督責任として取締役名古屋本社編集局長を役員報酬減額、同本社社会部長と社会部の取材班キャップをけん責、執筆した記者を停職1ヶ月とする懲戒処分を決めた。いずれも11月1日付。 2012年12月27日付朝刊において、前日に発足した第2次安倍内閣に関する「安倍新内閣 名付けるなら」と題した特集記事が「最低すぎる」「便所の落書きレベルだ」と読者やネットユーザーから100本近くの電話が殺到し、厳しい批判を受けた。記事では中日新聞のレイアウトは、右手を挙げて官邸入りする安倍首相の全身写真の周りを「ネトウヨ」「改憲」「学力低下」のネーミングが取り囲む形で、東京新聞版はサブ見出しを太い黒文字で「『敗者復活』の『逆戻り』」「『改憲』狙いの『厚化粧』」などと紹介した。その中で北原みのりは「戦争ごっこで遊びたい『ネトウヨ内閣』」、脱原発デモ主催者の松本哉は「まぐれ敗者復活内閣」「期待度ゼロ内閣」、また党役員に女性を起用したことに対し辛淑玉は「厚化粧内閣」と命名していた。市民団体「子供たちを放射能から守る福島ネットワーク」世話人の椎名千恵子は「福島圧殺内閣」、元沖縄県知事の大田昌秀は「新内閣は改憲内閣』になりかねない」とした。東京新聞特報部はJ-CASTニュースの取材に対し「なぜ否定意見ばかり載せたのか」と質問には「他にも多くの人に依頼したが断られるなどしてこの10人になった」、「結果として『バランスを欠いている』と指摘されれば否定はできないし、もう少し(表現について)オブラートに包むべきだったかもしれない」と回答した。
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疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル
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「毎日新聞」の記事における「疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル」の解説
1969年12月12日の朝刊トップで、前年に発生した三億円事件の12,301人目の被疑者として、捜査線上に浮かんでいた元運転手の存在を単独報道した。毎日紙面に載ることを知った警視庁は、容疑者の逃亡を防ぐため、新聞配達前に急遽任意同行を求め、別件で逮捕して取調べを行った。他のマスコミによる後追いも含め、実名や顔写真も入りで生い立ちや現在過去の人間関係を暴くなどの犯人扱いの報道が行われた。ところが、犯行当時のアリバイが成立した事件と無関係と判明。翌日釈放された。この被疑者は別件逮捕で職を失い一家は離散、「三億円事件のただ一人の逮捕者」との周囲の偏見や、マスコミ関係者の「あの人は今」的な取材に悩まされノイローゼ状態となり、2008年9月に自殺していたことが明らかとなった。詳細は「三億円別件逮捕事件」を参照 1971年の沖縄返還協定に関する日米間の密約情報を、毎日新聞政治部記者の西山太吉が外務省の女性事務官との肉体関係を利用して入手した。この密約情報が社会党に渡り、国会で政府を追求して大問題となり、2人は逮捕された。密約の内容よりも肉体関係を利用した手口などに関心が集まり、報道の自由がどこまで許されるのか物議を醸した。西山と女性事務官は国家公務員法の守秘義務違反で有罪となった。この西山事件により毎日新聞は不買運動に悩まされ、第一次オイルショックの影響も受けて経営が悪化、前述のように新旧分離方式での再建をやむなくされる。詳細は「西山事件」を参照 1976年10月12日、民社党は河村勝衆議院議員に関する毎日新聞のロッキード事件報道に反発。毎日新聞の不買運動を起こすことを決定し、党員や支持母体に協力を要請する方針を示した。 1984年1月24日の夕刊社会面で漫画『日出処の天子』の内容は信仰対象を冒涜しているとして法隆寺が怒り、抗議を検討しているという談話と、作者の山岸凉子・掲載誌である『LaLa』編集部の反論コメントを掲載したが、この三者のコメント全てが実際の取材を行わずに記事を書いた毎日新聞奈良支局記者の捏造であり、法隆寺側は問題の漫画を読んですらいなかった[信頼性要検証]。作者や編集部による抗議や、事実無根であるとの法隆寺の強い申し入れがあり、2月4日の夕刊紙上で関係者各位へのおわびを掲載した。 1989年6月1日、夕刊紙上で「グリコ事件で取り調べ 江崎社長の知人ら4人」と、当時社会現象にまでなっていたグリコ・森永事件の犯人逮捕をスクープしたが、関連記事の全てが捏造であったことが発覚、岩見隆夫編集局長が辞任し、6月10日に「行き過ぎ紙面を自戒」と紙上で捏造を認め釈明した。詳細は「毎日新聞のグリコ・森永事件に関する捏造事件」を参照 1998年2月4日、東京都中野区で「ナヌムの家」に関する試写会が行われた際に、「現場に居た元慰安婦に対して『好きでやったんだろう』『売春婦!』と会場から『とげとげしい野次』が飛んだが、会場に居た元慰安婦の女性がすくっと立ち上がって、身の上話をしたところ会場は静まり返り、それを見た友人が「感動的」だったと教えてくれた」と佐藤由紀記者が伝え、映画を紹介した。しかし実際には、現場でそのような野次はなく、虚偽の内容であった。翌月に毎日新聞社は「先月行われた試写会でとげとげしいやじがあったとあるのは、一昨年の別の試写会での出来事でした。(中略)また元従軍慰安婦の女性が身の上を語ったとあるのは、映画の中のことでした」と訂正し謝罪。ところがこの訂正記事も内容がおかしく、映画の中に「身の上話」など出てこないことが指摘され、虚報に虚報を重ねるという報道機関としての体質を批判された。 2005年12月28日、JR羽越線で竜巻によっておこった車両転覆事故に対し、社説内で「この路線を何度も運転している運転士ならば、風の音を聞き、風の息づかいを感じられたはずだ」とする論説を掲載し、事故の原因は突風ではなく運転士の経験不足による人災であるとしてJR東日本の運行管理体制を批判したが、読者からの非難が殺到したことから、2006年2月7日に検証記事を掲載し、科学的見地を無視した感情に偏った行き過ぎた批判であったことを認めた。検証記事では「開かれた新聞」委員会委員によるコメントが寄せられており、そこでは一連の社説は責任追及を優先する論説委員の個人的感情であり、「現実とかけ離れた精神論」でしかないことが指摘されている他、非科学的な論拠しかないために説得力を持たず、「安全対策にほとんど役に立たない」と論説を批判している。 2006年8月、奈良県で妊婦が出産中に意識不明になり、他の19の病院に受け入れを断られた末に大阪の病院まで運ばれ、出産後に脳内出血により死亡するという事件が起きた。これに対し毎日新聞は10月に記事として発表し、検証キャンペーンを行った。この結果日本の母子救急搬送システムの不備が広く問われることになった。一方で、この内容について、医療従事者から、報道内容が事実に反し、科学的でないと指摘がなされたが、毎日新聞の公式見解としてはこれまでのところ「訂正すべき記載はない」として見解が対立している。第11回新聞労連ジャーナリスト大賞特別賞、第14回坂田記念ジャーナリズム賞を受賞した。詳細は「大淀町立大淀病院事件」を参照 この事件に関して毎日新聞は2006年10月22日「支局長からの手紙」において「何度足を運んでもミスや責任を認めるコメントは取れませんでした」と、医療訴訟などが何も起こされていない段階で医療ミスであったと主張している。しかし2008年12月18日「記者の目」(東京社会部・清水健二)において「誰かに強引に責任を押しつけるような報道は慎むべきだが、報道がなければ関係者は危機感を共有できず、再発防止策も立てられない」と社としての意見を翻すとともに、自らは口を挟むのみで、「関係者」が問題対策に関わるべきであるとしている。大淀町と遺族の裁判は結審しており、裁判所は新聞で報道されたような事実は全くないうえ、医療ミスはないと認定している。 2006年9月、佐賀県知事の公式記者会見において、佐賀支局の記者が「今回の行事に天皇と皇后が佐賀に来ることの意味って何ですか」「非常にお金も人もかかりそうなんですけれども、この2人が佐賀に来るということで、そこまでする価値があるんですかね」といった質問を行う。この様子が、佐賀県の公式サイトで公開され、それを視聴した読者などから、毎日新聞社に抗議が殺到した。翌年の年頭に毎日新聞は釈明記事を掲載した。 2007年1月1日の朝刊から『ネット君臨』の年間企画掲載を始め、インターネットの負の側面を強調した紙面を展開し、インターネットユーザーから紙面や取材方法について、疑義が呈された。 2008年3月3日の「酸いも辛いも」で、特別顧問の玉置和宏が、「大阪人の暴挙と快挙」とのタイトルで、京都にある国立国会図書館関西館の場所を大阪だと誤って記述した。「大阪人は東京マスコミからすると扱い難い部類に属し、彼らはとにかく東京と同じでなければ気がすまない。」「大阪に国会がないのに国会図書館が存在するのは、東京にあるのに大阪にないからだろう」と、事実誤認から大阪人批判に繋がったが、6日に訂正し、お詫びを掲載した。 2008年5月26日の朝刊一面トップで、「1994年6月時点で、横田めぐみが生存していた」とする地村富貴恵の証言を報じた。これに対し、内閣官房長官町村信孝は26日午前の記者会見で、地村富貴恵本人にも確認したとしたうえで、報道された内容を否定した。同日、地村富貴恵は報道の内容を否定するコメントを出した。 2008年5月27日の夕刊一面トップで、北朝鮮がアメリカ合衆国に対して、拉致被害者のうち数人がなお国内に存在することを明らかにして日本に帰国させる準備を意思表示したと報じた。これに対し、内閣官房長官町村信孝は27日の記者会見で、アメリカ政府からは日本政府に対してそのような内容の通知は存在しないとし、報道内容を否定した。 2008年5月下旬、毎日新聞社の英語報道公式サイト Mainichi Daily News(「毎日デイリーニューズ」)のコラム「WaiWai」において、長期に渡り、日本の文化の不正確・猥雑な記事が配信されているとして批判が高まり、問題が表面化。同コラムの閉鎖、担当記者の処分や上司らの社長などへの昇進、公式ウェブサイトの編集体制の刷新などに発展した。この件に関して謝罪はされたが、「紹介の仕方が不適切であった」といった趣旨で、内容が不適切であったことは認めていない。詳細は「毎日デイリーニューズWaiWai問題」を参照 2008年11月17日、18日の夕方に起きた元厚生事務次官宅連続襲撃事件の報道を受け、11月18日21時半前後にウィキペディア日本語版の社会保険庁長官の項目が編集された。その後、ウィキペディアにおいて、初期設定では編集履歴の時刻が日本標準時ではなく、協定世界時(UTC)で表示されることを全く知らなった毎日新聞記者が、この編集を9時間前の11月18日正午すぎの編集と誤認、吉原健二宅襲撃事件の6時間前に行われた犯行予告と考え、捜査本部に通報した上、2008年11月19日朝刊において「犯行を示唆する書き込みがあったことが分かった」と報じた。テレビ局もこの記事に釣られ、真偽を確認しないままニュース番組などで放映した。毎日新聞は11月19日の夕刊及びウェブ上で誤報であると認めて謝罪した。20日の朝刊においても改めて謝罪記事を掲載した。1つの記事に対して複数の謝罪記事が出されることは異例であった。しかし、毎日新聞の記者の誤解が原因としながらも、書き込みを行った人物を「犯行示唆と受け取れる書き込みを示唆したとする人物」と表現し、誤解の元となった書き込みを行った人物に対して責任転嫁を行っている。この誤報の影響で不利益を被ったと主張する当該編集者は毎日新聞に対して謝罪と補償を求め、毎日新聞社は面会に応じ、口頭で謝罪を行った。当該編集者は『担当者は紙面での謝罪や補償は拒否し「毎日新聞は正義」「誤報がなくても取り調べの可能性はあった」などと発言した』と書き込んだが、毎日新聞社社長室の広報担当者は、12月1日「毎日新聞は正義」という発言は無かったと回答している。 2009年1月9日夕刊で報じた、あるシャッターメーカーに対する条例違反を報じた記事に対して、当該メーカーの持ち株会社から「事実と異なる」との抗議を受け、当日中に、同社ニュースサイト上の当該記事を削除した。これに対して、毎日は「「誤報」とは考えておらず、抗議による調査のため」とコメントをしている。 2009年6月13日の毎日新聞朝刊で、毎日新聞編集局顧問の岩見隆夫が同紙に連載しているコラム「近聞遠見」の5月30日掲載分に事実誤認があったとして「おわび」を掲載した。問題となったのは、5月27日の党首討論で麻生太郎首相が「(小沢一郎と)『一心同体、殉じる時は殉じる』と言っていた方が代表になっている」と鳩山由紀夫民主党代表に発言したことを取り上げ、「鳩山代表がそんな言葉を使ったという記憶がない。麻生首相の思い込みではないのか」と述べ、首相の「言語感覚」を批判した内容である。しかし、読者の指摘により調査した結果、鳩山幹事長(当時)が3月29日、フジテレビ系「新報道2001」に出演した際、「(小沢一郎代表に)殉じる時は殉じますよ」と発言していたことが確認された。 2010年1月5日、小沢一郎の土地購入費虚偽記載問題に関して『土地購入費虚偽記載、石川議員「私の一存」来週にも在宅起訴』と報じたが、実際には強制捜査が行われ逮捕となった [リンク切れ]。 2012年4月10日、毎日新聞茨城県版の連載コラム「天然記念物を訪ねて」(文・写真山崎睦男)において、土浦市の寺の境内にある推定樹齢300年のシダレザクラを紹介する記事を載せた。しかし、このシダレザクラは2011年の台風によって倒れてしまっており、記事の掲載時には切り株のみとなっていた。筆者は原稿の締め切り日の関係で現地を確認せずに、昨年の取材で撮った写真を使って原稿を書いたとしている。現在、記事は削除されている。当日は、記事を見て数人の客が訪れた。社長室広報担当は謝罪した。 2012年12月11日付の社説で、消費税増税の際に、新聞への軽減税率の適用を強く要望し、同様の主張を展開している自民党と公明党の姿勢を支持した。また、消費税増税の実施先送りに懸念を示し、安倍晋三自民党総裁が、「デフレが進行する中で上げるべきではない」と述べたことに対しても、「経済状況がよほど悪化していない限り予定通り実施すべきだ。」と主張した。折りしも第46回衆議院議員総選挙の選挙期間中だったため、新聞業界の利益追求目的に自社の社説を利用した露骨な世論誘導との指摘がなされた。 2015年12月18日朝刊の記事「350億円土地購入計画 NHK経営委に諮らず」において、NHKの子会社が経営委員会に諮ることなく「すでに350億円で用地を落札している」と報道し、他社も追従したが、事実誤認であり、第三者委員会において「最初の記事のインパクトが強いので、続報で微修正する際、きちんと説明しないのは読者にとって不誠実だ」(荻上チキ)などと批判を受けて2016年9月18日に報道を修正した。 2016年1月4日付毎日新聞朝刊に掲載された「信じる私、拒まないで イスラム教の服装、習慣 就活、職場で壁に」というインタビュー記事の中で、取材を受けた「日本人ムスリム」の女性弁護士と通信会社勤務の会社員が、ヒジャーブを着けていることによって両親や見知らぬ人から「イスラム教をやめなさい」「クズ」という暴言を受けたという内容が記載されていた。しかし、その記事を読んだ女性弁護士が、記者の取材に答えた内容と異なっていることを自身のFacebookで反論するという騒動が起きた。日本報道検証機構代表の楊井人文の取材に対して、女性弁護士は「記事を読んだ方からも『本当に大変だったんですね』という感想を寄せられたのですが、違うんです、という思いでした 」「偏見と闘っているつもりは全くないです。そもそも個人的に偏見や差別を受けたという経験が全然ないんです。ヒジャーブを着けている私を認めてくれ、という思いも持っていない」「両親には自分の選択を尊重してもらい、サポートしてもらっているので、本当に感謝しています。なので、毎日新聞の記事を読んでほしくないという気持ちです」と語った。この騒動は第三者機関で審査を受けることになり、毎日新聞は取材をした日本人ムスリムの2人に陳謝した。 2016年8月1日、ニュースサイトに「自民党:谷垣幹事長続投へ」と題する記事を掲載し、同日朝刊にて他紙が谷垣幹事長交代へ」(読売新聞)、「谷垣幹事長が辞意」(朝日新聞)と報じるなか、安倍晋三首相が内閣改造に伴う党人事において、入院中の谷垣禎一幹事長を続投させる意向を固めたと断定し、同日の夕刊にも同様の記事を掲載した。2日付朝刊で「首相と谷垣氏、すれ違い」と題して、安倍首相と谷垣幹事長の間にコミュニケーションの「すれ違い」があったため、谷垣に続投を断られたかのように報道して1日の報道を事実上修正、ウェブサイトからも記事を削除した。なお、3日に後任に二階俊博総務会長を充てる人事が発表された。 2017年1月12日付朝刊で「天皇の生前退位後の敬称について『太上天皇』『上皇』などとはせず『前天皇』とする方向で検討に入った」と報じたが、宮内庁は否定しており、実際同年6月9日に成立した特例法において、退位後の天皇の敬称は「上皇」と決定している。さらに同年5月21日付朝刊で、前年の「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」のヒアリングで、保守系の専門家が「天皇は祈っているだけでよい」と述べたとされたことについて天皇が「批判をされたことがショックだった」と強い不満を周囲に漏らし、また同有識者会議において生前退位が今上天皇1代限りとする方針であることについても不満を述べたとも報じたが、これについても宮内庁は記者会見で全面的に否定しているが、毎日新聞社は「十分な取材に基づいて報道している」と主張している。 2018年4月7日付夕刊で、いじめられた経験を持つ当時18歳の少女と自称17歳の少女がインターネットを通じて知り合い、苦しみや悩みを表現したシールをネット上で販売しているという内容の記事を掲載した。しかし、取材の際に自称17歳の少女が難病を理由に電話での取材を希望したため会うことはできず、その後、自称17歳の少女は実在せず、第三者が成り済ましていた可能性があることが判明したとして、2019年8月5日付夕刊で謝罪した。 2019年6月11日の1面トップで「特区提案者から指導料 WG委員関連会社 提案者から指導料200万円 会食も」との見出しで、国家戦略特区ワーキンググループ(WG)座長代理の原英史が規制改革の要望を行った会社から指導料を受け取り、会社社長と会食したとの記事を掲載したが、原は、200万円を受け取ったコンサルティング会社の経営には一切関わっておらず、そこから1円も受け取ったことはなく、要望を行った会社社長との会食も行っていないと否定した。慶應義塾大学大学院教授の岸博幸は「記者の勝手な決めつけと不正確な事実に基づく疑惑と言うしかない」と批判した。また、翌12日から15日まで連日1面トップで、原が座長代理を務めるWGを攻撃する記事を掲載したことについても、岸は「規制改革プロセスへの無理解に基づくWG批判であり、規制改革の要望を行った者を危険に晒しかねない主張である」と批判した。 2020年6月6日、「『憎悪や差別の投稿放置は暴力への加担』 ツイッター社前で100人が抗議」との見出しで、Twitter上の個人への中傷や差別的な投稿などを速やかに削除し、安心して使えるように運営してほしいと、市民らがツイッタージャパン本社前で抗議活動を行ったとの記事を掲載した。この記事は、同年5月に死亡したプロレスラーの木村花をめぐって問題とされたネット上での誹謗中傷についての抗議であったかのような内容になっているが、現地でのスピーチやシュプレヒコールでは、木村をめぐる誹謗中傷問題は一切話題に上っておらず、意図的な誤報であると指摘された。指摘を受け、毎日新聞はウェブサイト上から抗議活動に関する記事と動画を削除した。 2020年10月16日、櫻井よしこが防衛大学校卒業生は東京大学などの大学院への受け入れを拒否されていると述べたことについて、ファクトチェックの結果誤りだとする記事を掲載した。池田信夫は、「櫻井氏は大学(あるいは大学院)が自衛官(あるいは防衛大卒業生)の入学拒否が過去に存在したといっているので、現在の「複数の事例」を確認しただけではこれを否定できない。」とし、過去に東京都立大学が3人の自衛官の受験を拒否した事例、九州大学で自衛官の入学を拒否した事例、名古屋大学平和憲章で軍関係機関に所属する者の教育はおこなわないとしていることを挙げて、毎日の「ファクトチェック」は手法と結果の両方が誤りであると述べた。 2020年10月26日、大阪都構想住民投票について、『大阪市4分割ならコスト218億円増 都構想実現で特別区の収支悪化も 市試算』と題して報じた。この試算は、大阪市財政局が複数の報道機関からの求めに応じて作成したものだった。大阪市財政局は、数字は大阪市を機械的に4政令市に分けた場合の試算で、特別区に移行した場合の試算ではなかったとして都構想との関連を否定し、「218億円」は誤った試算に基づく虚偽の数字だったとして謝罪するとともに、この件を報じたメディア各社に記事の訂正を求めた。 日本維新の会幹事長の馬場伸幸は10月29日の衆議院本会議にて、毎日の記事は「大誤報」であるとし、(毎日に追随した)他のメディアは既に訂正記事を出していると述べた。毎日新聞社は、記事は大阪市への適切な取材に基づいており、代表質問後に市が説明を変えたものであったとして、馬場の発言に対し遺憾の意を表明した。 2021年5月17日、新型コロナウイルス感染症の高齢者を対象とした大規模集団接種会場のウェブ予約で、架空の接種券番号でも予約ができる状態になっていることを検証するため、毎日新聞と朝日新聞出版の記者が架空の接種券番号で予約をし、システムに不備があると報道。これに対し会見で岸信夫防衛大臣は会見で「不正な手段による虚偽予約を完全に防止するためには、各自治体が管理する個人情報を防衛省が把握する必要があり、短期間でそうしたシステムを実現するのは困難である」と説明したうえで、毎日新聞と朝日新聞出版の両社に対して「ワクチン接種を希望する高齢者の機会を奪い、ワクチンそのものが無駄になりかねない悪質な行為である」と抗議した。 2021年6月5日朝刊で、毎日新聞社の元社員で客員編集委員でもあるイラストレーターのよこたしぎ(横田詞輝)が1998年から連載している「経世済民術」という風刺漫画のコーナーに「エリック・カールさんを偲んで… はらぺこIOC」と題した風刺漫画を掲載した。この風刺漫画では、国際オリンピック委員会(IOC)のトーマス・バッハ会長らをあおむしに見立て、「放映権」の文字が書かれたリンゴならぬ「ゴリンの実」を食べる姿が描かれた。これに対し「はらぺこあおむし」の出版元である偕成社は7日、「風刺漫画のあり方について」と題した抗議を今村正樹社長名義で掲載し「強い違和感」を表明するとともに、「おそらく絵本そのものを読んでいない」「作者と紙面に載せた編集者双方の不勉強、センスの無さを露呈した」と批判し、猛省を求めた。毎日新聞社は「肥大化するIOCに対する皮肉を表現した作品です。今回のご指摘を真摯に受け止め、今後の紙面作りに生かしてまいります」とコメントした。
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疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル
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「日本経済新聞」の記事における「疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル」の解説
日経新聞記者の中には、他社へのアルバイト原稿の執筆を日常的に行っている者達がおり、同社の記者が執筆した中傷記事のため、株価が暴落した企業もある。更に、若い取材記者の中には態度が横柄で「社長インタビューなど受けて当然」といった態度の者がおり、「勉強不足で断りたい時もある」と企業広報者からは批判されている。こうした同新聞の構造問題は、2000年代になって相次いでマスコミに批判されることとなる(上述の他『テーミス』2002年6月号、『噂の真相』2002年7月号などの例もある)。奥村宏は「ニュースの解釈までリーク頼み」と述べ、経済評論家の波頭亮は「インターネットバブルを煽るな」と批判した。 1976年6月13日付において、「日清食品の特許が米国で確立した」という飛ばし記事が載った。当時はそのような事実はなく誤報であり、この記事に競合社の東洋水産が抗議した。日清食品社長(当時)の安藤百福が東洋水産社長(当時)の森和夫に面会を求め、お互いに訴えを取り下げることで一応は決着した。 2003年12月13日、PSX発売時にビックカメラ有楽町店で写真撮影を行っていた、日本経済新聞社子会社の日経BPの記者が自らPSXを購入し、「報道」と書かれた腕章が写っているにもかかわらずPSXを掲げた写真が撮られ、日本経済新聞の記事に「PSXが発売。PSXを買い求める男性」と、その写真と共にその記事が出てしまった。報道腕章が写っていることから、取材中に職務を怠ったとして、日本経済新聞社が日経BPの記者であることを認め、謝罪した[要出典]。 2004年4月のイラク日本人人質事件で、取材で得た3人の詳しい住所を、他社同様にウェブページ上に公開。読者からの指摘を受けて削除した[要出典]。 2005年には「三井住友銀行と大和證券が統合」と飛ばし記事を書いたが、当時はそのような事実は無かったにも拘らず、日経新聞はその後も「三井住友・大和證券統合長期化も」「トップ交代、戦略見直し」と「続報」を出し続けた。この件を取り上げて「言い訳がましい」と言う批判が『広報IRインテリジェンス』でなされている。 郵政民営化で誕生した、郵政会社の社長に元ダイエー副社長の川一男を起用する方向で調整に入ったという旨の報道があったが、後の続報ではイトーヨーカ堂執行役員物流部長の川蔵夫の名前に入れ替えされた。つまり、日本経済新聞は『川』という人物を取り違えて報道していたため、週刊文春は「記事のウラ取りはいい加減」と批判記事を出し、『広報IRインテリジェンス』でも「デスクが記事チェックを出来ない。更には居直って誤報を出す」と批判された。 2005年12月、ある映像機器開発企業についての特集を5段抜きで組んだものの、記事を担当した若年の女性記者が勉強不足であったため内容がデタラメで、その会社は取引先に対する訂正業務に追われクライアントも激怒した。しかし、日本経済新聞社に抗議したところ、訂正を拒否したと言う。 2006年には、日本航空の社長退任を巡る騒動に、日本経済新聞社の記者が深く関与したことなどが、週刊文春によって報道されている。 2007年に発覚した、大阪府枚方市発注の第二清掃工場の一般競争入札に絡む官製談合事件について、日経新聞が2007年7月6日付朝刊で、同市の当時の市長の中司宏がゼネコンから接待を頻繁に受けていたとする内容の記事を掲載したが、中司は「この記事は虚偽である」として、2010年に大阪地方裁判所に訴訟を提起。2012年6月15日に同地裁は、「取材内容は粗末だ」などとして名誉棄損を認め、中司に対し600万円を支払うよう日本経済新聞社に命じた。本件の訴訟において、日経は取材源の秘匿ルールを破り、取材源であった当時の大阪地方検察庁幹部2名の実名を証拠として提出した。この行為について大谷昭宏や田原総一朗に批判を受けた。 2008年10月29日、朝刊社会面にて株式トレーダー若林史江による日経QUICKニュース記事の盗用事件を報じた。株式トレーダー若林史江による盗用事実が発覚したのは2008年6月のこと。記事盗用は2006年12月から2008年6月までの期間に及ぶ。この間、若林史江は自身の公式HPの無料閲覧ページ、および有料会員制メールマガジンに、日経QUICKが著作権を持つ株式関連ニュースを無断盗用し、その数は1700本に上った。発覚当初、日本経済新聞社の関係者は「まれに見る悪質な盗作事件」とし、刑事告訴も検討したが、日経グループ自身が過去に若林史江を「カリスマ美人トレーダー」などともてはやし、日経グループ主催のセミナーなどに起用していた経緯があることから、刑事告訴を見送り、若林に対して記事利用額相当を後払いさせることによる決着とした。 2010年1月25日の夕刊で、民主党幹事長・小沢一郎の政治資金管理団体陸山会による政治資金収支報告書に関する虚偽・不記載疑惑に関連し、「東京地検特捜部が押収した(元事務担当の)石川議員の手帳には、水谷建設の元幹部らが5000万円を渡したとする04年10月15日の欄に、授受の場所とされるホテル名が記されていた」という記事を掲載した。しかし、実際に手帳に書かれていた数字は「04年」ではなく「05年」であり、ホテル名が記載されていた時期も4月だった。日経新聞は26日朝刊に訂正記事を掲載し、記事と見出しの当該部分を取り消した。 2011年頃から、日本経済新聞はNTTドコモがiPhoneやiPadを出す、といった飛ばし記事を数回ほど報じているが、報じるたびにNTTドコモにプレスリリースで全否定されている。 2012年2月20日、任天堂についての記事で、任天堂の岩田聡社長から不正確な報道があったとTwitterからのコメントで指摘される。岩田は「文脈を無視して恣意的に言葉を抜き出したり、事実と憶測を混ぜて書いたり、まるでゴシップ誌のような手法を採られている」と語り、何度も繰り返されていると指摘している。 2012年5月10日付の朝刊で大阪市のテーマパーク「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)」が巨大プロジェクトとして、人気映画「ハリー・ポッター」シリーズをテーマにしたエリアを新設すると報じたが、これは元々USJが一般招待客向けにサプライズ演出になるよう、同日14時まで報道を控えるようにマスコミ各社に要請していたものだった。しかし、発表前日の夜に日経新聞から同プロジェクトに関する記事を朝刊に掲載する旨の連絡が来たため、USJはやむを得ず、読売新聞と朝日新聞のそれぞれの朝刊にも記事の掲載を許可。その結果、サプライズ効果は半減し、「日経の対応は信義に反し、招待客や海外からのゲストにも失礼な行為だ」として、関係者から批判を受けた。 2012年6月5日、日本経済新聞は「任天堂、スマホに対抗」と題して、任天堂が開発している次世代機「Wii U」に、カーナビゲーションや電子書籍などのスマートフォンと同様の機能を搭載するという飛ばし記事を書いた。しかし、任天堂は同日のプレスリリースで「当社が発表あるいは事実確認したものではなく、数多くの間違いが含まれた、日本経済新聞社の全くの憶測記事」と、この記事を完全に否定した。 2013年2月7日付の記事で、民主党政権時代にも中国人民解放軍海軍の艦船から、海上自衛隊の艦船に向けて射撃管制装置が照射されたが、当時の野田首相や岡田副総理らが、日中関係を悪化させたくないとの判断で、事実公表を避けたと報じるも、2月8日の衆議院予算委員会及び2月27日の参議院予算委員会において、防衛大臣の小野寺五典がこれを否定。この報道に対し、民主党の岡田克也と細野豪志からは抗議文が出され、野田佳彦も事実無根とコメントを発表した。 2013年、日本経済新聞はNTTドコモが音声通話定額制の導入を検討している、と飛ばし記事を乗せたが、iPhoneの報道同様に、NTTドコモから全否定のプレスリリースを発表されている。 2015年8月29日付の朝刊と電子版で、三菱地所が東京駅日本橋口近くに400m級の超高層ビルを建設するという記事を掲載したが、これは公平でかつ正確な情報を開示する事を理由として、三菱地所のプレスリリースが終わるまで、報道や取材を控えるようにマスコミ各社に要請してた中での報道だったとして、三菱地所が「遺憾に感じております」と批判した。後に三菱地所は390mの超高層ビルの建設(常盤橋再開発事業。後のTOKYO TORCH)を正式発表したが、その記者会見場に日本経済新聞社の入場を拒否する貼り紙が掲示される事態となった。 2020年5月22日の0時過ぎ、日経電子版で「フジロックも中止 フェスなき夏、音楽ビジネスの修正不可避」という題名で、2020年8月に新潟県で開催予定の「フジロックフェスティバル」が新型コロナウイルスによる感染拡大防止対策で中止になったと配信したが、実際は主催者から中止の発表はされておらず、誤掲載だったとして後に謝罪した。フェス中止の発表日時が「●日」となっており、日本経済新聞社は「まだ未完成であった原稿を、誤って電子版に掲載してしまった」とお詫び文を掲載している。同年6月5日、主催者は同フェスの開催を、2021年に延期することを正式発表した。 2022年4月4日の朝刊全国版に掲載された月曜日のたわわの全面広告に対し、UNウィメン(国連女性機関)から、アンステレオタイプアライアンスに関する規約や覚書に違反しているとして、広告を容認できない旨の書面送付がなされた。 2022年7月12日の18時過ぎ、日経電子版において、ニコンが一眼レフカメラの開発から撤退することをスクープ記事扱いで配信したが、ニコンは「(この報道は)憶測によるもので、当社が発表したものではない」とのプレスリリースを同日発表した。
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疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル
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「読売新聞」の記事における「疑義が持たれた報道・捏造報道・スキャンダル」の解説
1911年1月19日、小学校「日本歴史」教師用教科書の南北朝についての「容易にその間に正閏軽重を論ずべきにあらず」という記述を「大義名分を誤るもの」として社説で批判し、いわゆる南北朝正閏論問題に火を着けた。南北朝正閏論争は、大逆事件判決直後にとりあげられたため、桂内閣を弾劾したい人々による「正義の旗」に利用され、2月23日、立憲国民党は大逆事件とあわせ閣僚問責決議案を提出。桂内閣は、決議案否決のため、政府系会派「中央倶楽部」に大浦兼武を通じて朝鮮銀行から1万円もの資金を渡したという。2月27日、南朝・北朝のどちらを正統とするか、勅裁をあおぐことを閣議決定。結局、南朝正統の勅裁が下り、北朝は「偽朝」に、現在の皇室の祖先である北朝の天皇は、『大日本史』の例にならい、「○○院」とすることが定められた。戦前期の南朝を正統とする歴史教育の端緒を作っただけでなく、大逆事件とあわせて、予防策としての教育や社会政策、警察による取締強化を招いた。詳細は「南北朝正閏論」を参照 1925年にラジオ欄の創設、1932年に「地方版」である「読売江東版」の刊行など、時代を先取りする紙面作りを行う一方、1927年、ヌード写真を社会面に掲載し、「読売のエログロ主義」と呼ばれて批判も受けた。 1930年代、毎日新聞・朝日新聞などと同様、いわゆる「十五年戦争」「大本営発表」に全面的に協力し、大東亜戦争を煽りたてる報道を行った。ただし当時、同業者からは「新聞記事は創作するのが練達堪能の記者とされ、やがて幹部に出世する大道」「外電と称して実は編集室の机上でニュースを創り上げる」と見られており、1938年に捏造記事「揚子江上英米軍艦訪問記」で記者が処分されると驚きをもって迎えられた。また、営利主義的に親ナチ・ヒトラー礼賛の紙面作りを行い、1941年の独ソ戦開始直後から「独軍の電撃的勝利」「赤軍の全面的崩壊」とやったため、年末になると収拾できなくなった。その姿は同時代から「昭和年代のお笑い草」とされた。 1948年、昭電疑獄において、重要人物の召喚を次々と予告して的中させる、連続特大スクープをおこない、「朝起きたら読売を見る、自分の名前が出ていないのを確認して朝日を読む」といわしめるほどの報道をおこなった。このセンセーショナルな紙面作りを可能にしたのは、記者としての訓練をほとんど受けていない、入社3年目の駆け出し記者、24歳の立松和博である。立松和博の父・懐清は、朴烈事件の予審判事。そのため立松は、検察幹部に可愛がられ、「木内曽益 最高検次長検事―馬場義続・東京高等検察庁次席検事―河井信太郎・東京地方検察庁主任検事」のラインに結びつくことに成功した。当時、GHQ内は、日本の占領統治をめぐって、右のチャールズ・ウィロビー少将と左のチャールズ・L・ケーディスが対立・分裂しており、ウィロビー少将は自由党の吉田茂を支持していた。「木内-馬場-河井」の検察ラインは、芦田均内閣を潰そうとするGHQの政治的思惑にそって、昭電疑獄をでっちあげて、検察が政治を支配する時代をつくりあげたのである。河井信太郎は、馬場の黙認の下、捜査情報を読売新聞にリークし続けた。検察は、読売新聞一社のみにスクープを独占・継続させることを通して、強烈なインパクトを各界にあたえ、芦田連立政権を崩壊させることに成功した。ただ、立松は、読売の連続スクープに息巻く他社の記者たちから、河井がネタ元であることを悟らせないようにするため、細心の注意を払わざるをえず、睡眠不足と疲労からヒロポンを打つほど心身がボロボロになり、ほどなくして休職に追いこまれることになる。1957年の売春防止法の読売新聞における大誤報事件は、取材体制の出遅れにあせった景山与志雄社会部長が、昭電疑獄時のエース記者、立松を病欠から呼びもどしたことからはじまった、という。なお、司法記者クラブが検事の家に夜討ち朝駆けをして「ネタ」を物乞いする習慣は、昭電疑獄から始まり、造船疑獄で定着、ロッキード事件やダグラス・グラマン事件、リクルート事件では、検察関係者による報道機関に対するリーク、すなわち検察リークが猛威を振るうことになる。検事たちが思いあがり、報道機関が検察批判をすると、ただちに「出入り禁止」にする慣行は、三田和夫によれば、読売新聞による昭電疑獄・造船疑獄報道が原因、と、読売新聞の行為を厳しく断罪している。 1950年6月1日に電波三法が施行されたのに伴い、米国の資金と技術によって放送・通信分野の国内基幹網を建設し、公共団体や保安隊へ貸与する構想が浮上した事で騒動が起きた。1952年9月4日の読売新聞には、正力松太郎が中心的役割を担うマイクロ波中継構想が公表された。構想は二転三転したが、最終的に1954年暮れの参議院通信委員会決議により決着した。詳細は「正力マイクロ波事件」を参照 1954年3月、第五福竜丸の被曝以降、読売新聞は、社主にして自民党議員、正力松太郎の政治力拡大と原発利権掌握の思惑から、CIAとの協力をえて、原子力平和利用を奨める『日本の原子力発電所建設』のため、積極的なキャンペーン記事を行った。ただ、日本の再軍備のため、独自に核兵器の開発能力を期待して、原発を推進した正力とCIAの思惑は一致せず、CIAが協力するにとどまったことが、有馬哲夫『原発・正力・CIA―機密文書で読む昭和裏面史』により明らかにされている。但し、この事は、東日本大震災における福島第一原子力発電所の水素爆発(福島第一原子力発電所事故)以降、改めて問題視され、2012年6月1日、ウォール・ストリート・ジャーナルは、読売新聞グループ本社社主と原子力発電の不透明な関係を世界に伝えた。詳細は「日本の原子力政策」を参照 1957年10月18日、朝刊社会面トップ記事は、前年に成立した売春防止法をめぐって、反対運動を行っていた赤線(公認売春)組織から宇都宮徳馬・福田篤泰両代議士が収賄していた、というものであった。これは法務省刑事課長・河井信太郎のリークであったが、読売に情報を漏らす法務省関係者をあぶりだすため、検察が法務省に仕掛けたガセネタであった。読売新聞は、ただちに両代議士から事実無根と告訴され、執筆者の立松和博記者も逮捕された。当時、後に検事総長になる伊藤栄樹たち東京地検特捜部の検事たちは、前任の事務次官・岸本義広によって法務研修所の教官にとばされた河井信太郎が、馬場義続・法務事務次官によって法務省の刑事課長に呼びもどされ、やがては特捜部長に返り咲くのではないか、と憂えていた。とても法律家とは思えない、 造船疑獄における河井の強引な捜査手法に危惧の念を抱いたからにほかならない。岸本東京高検検事長の検事総長就任をめぐって、検察庁内の岸本派と馬場派の感情的対立は頂点に達した。岸本派の集う東京高検は、馬場たち赤レンガ派の昭電疑獄以来の読売新聞への河井のリーク疑惑を確認するため、あえて法務省にガセネタをあげたのである。河井信太郎は、法務省にあげられた容疑濃厚な5名の代議士の内、宇都宮徳馬と福田篤泰のみ、イニシャルではなく実名での報道を立松に認めた。これは、当時もっとも汚い汚職とされた売春疑獄において、選挙に強くない東京2区の宇都宮、東京7区の福田を読売に名指しさせることで落選させて、大物新人として当時総選挙に出馬予定であった、藤山愛一郎外務大臣(東京2区)と、後の参議院議長安井謙の実兄、安井誠一郎東京都知事(東京7区)の当選を確実にし、 岸内閣のために便宜をはかることが狙いだった、とみられている。小島編集局長は、ニュースソースである河井信太郎を隠匿するため「検察庁筋」と答えたとものの、検事総長は両氏の容疑と情報漏れを完全否定。衆議院法務委員会の証人喚問の動きに対して、原四郎は他紙への根回しのうえ、誤報にもかかわらず、全紙をあげて東京高検攻撃に出た。結局、正力松太郎の調停もあって、12月18日、謝罪広告を出し、立松記者は懲戒休職処分となった。読売「社会部王国」終わりの始まり、とされるスキャンダルであった。詳細は「売春汚職事件」を参照 1960年代、読売新聞は、朝鮮民主主義人民共和国を礼賛し、在日朝鮮人の北朝鮮帰還事業を積極的に推し進めた。1960年1月9日、読売新聞は、ピョンヤン発の特派員電で、「北朝鮮へ帰った日本人妻たち」「夢のような正月」という記事を掲載し、金日成首相に招かれて新年の宴会に出席してることや、正月用にお餅やおせち料理が特配される豊かな生活ぶりを伝え、日本人妻をふくめた在日朝鮮人の帰国熱をあおりたてた。そして、「夫の祖国に帰った日本人妻たちはみんな喜びと幸福にひたっています。新潟を出港するまでの不安や心配は、国あげての大歓迎にすっかり消しとんでしまったようです」「日本で貧困と、ときには屈辱の生活をおくっていた妻たちには夢のようなお正月。まだ日本で帰国をためらっている同じ境遇の人たちに『早く来るように伝えてほしい』と口をそろって語っている」「記者が見たすべての日本人妻が、朝鮮にきてほっと解放されたかのような安らぎをみせ」「みんなが希望にあふれて前方を見つめている」とのべ、多くの日本人の犠牲者をつくりだす原動力となった。読売新聞や産経新聞が在日朝鮮人とその日本人妻の北朝鮮帰国事業を煽りながら、社民党や朝日新聞を攻撃するだけで、自らの過去の言論をまったく反省しない姿に対しては、「目糞鼻糞を笑う」とまで厳しく批判されている。詳細は「在日朝鮮人の帰還事業」を参照 1966年12月24日、朝刊一面トップで「総選挙にかける」という特集記事が組まれ、「黒い霧の審判 歓迎されぬ首相の応援」「史上最低の不人気内閣」「(支持率)二五パーセントの不人気首相」と、渡辺恒雄記者による佐藤内閣への批判キャンペーンがおこなわれる。1961年以降、旧大蔵省関東財務局・国有財産局であった「国有地の払い下げ」問題がこじれたためであった。跡地は日比谷通りに面した一等地のため、100社以上の応募が殺到。読売新聞は、49番目の応募だったが、「角さん、俺のとこに社屋の土地をよこせよ」(渡辺恒雄の田中角栄への直談判の時の発言)と、熾烈な政界工作を展開。1963年、読売への払い下げが決定された。ところが水野成夫産経新聞社長の巻き返しで、1966年夏、払い下げは白紙撤回。そのため1966年12月22日、業を煮やした務台光雄副社長は、読売新聞本社部長会の席上、「大手町の国有地を払い下げるとはっきり約束した。この約束が反故になったら日本の政治はもうおしまいだ。道義は地に墜ちてしまう。そうなったら内閣と一戦交えるしかない」と発言。12月24日朝刊記事は、国有地を読売にわたさない佐藤内閣へ、解散総選挙を利用した圧力であった。1966年12月27日、「黒い霧解散」で衆議院が解散される。12月29日、務台光雄と佐藤栄作は、首相官邸で会談をおこなう。読売新聞は、460万部の部数をバックにして、大手町の国有地を手に入れることに成功した。 1974年から1975年にかけて、読売新聞は名人戦騒動をおこした。1961年から始まった旧・名人戦は、高度成長期に14年間も、2500万円前後に契約金が据えおかれた。そこで日本棋院は、1億円の契約金を提示した朝日新聞に名人戦主催権を移すことを表明。あわてた読売新聞は、「金目当て」「信義がない」と激しいバッシングをほぼ1年にわたって囲碁界全体に加え、裁判にまで発展した。1975年末、「最高棋士決定・棋聖戦」創設(1976年から開始)という形で落ち着いたものの、日本棋院のプロの卵である院生の数は激減。日本囲碁界の凋落と中国・韓国の台頭の一因となった。 1978年、ドラフト会議前日に協定の隙を突いて、プロ野球セ・リーグの読売ジャイアンツと作新学院、法政大学出身(のち阪神タイガース・読売ジャイアンツ、解説者)の投手江川卓が入団契約を結んだ事件、いわゆる空白の一日。これは栃木選出の代議士である船田中議員らが関与したとも言われ、その経緯は「実録たかされ」(原作:江川卓、作画:本宮ひろ志)などに詳しい。この事件は読売の100年史においてもその記載をどうするかで論議されたが、結局掲載を見送られるなど、読売社内においても一種のタブー扱いになっていた。しかし、2005年の日本テレビのスポーツ番組においてこの事件が取り上げられるなど、近年では内部での扱いが変化しつつある。詳細は「江川事件」を参照 1986年12月5日夕刊では、「よみうり寸評」差し替え事件がおきた。「よみうり寸評」では、中曽根政権の売上税導入の決定に対して、「朝三暮四のもう一つの意味、詐術を用いて人を愚弄する点も、今回は当てはまる。(略)中曽根首相は七月の同日選のとき、『大型間接税は導入しない』と選挙民に約束した」と批判。渡邉恒雄主筆(1985年6月就任)の展開した「売上税は中型間接税だから公約違反ではない」という売上税導入キャンペーンにそぐわぬためで、夕刊3版から急遽差し替えられた。「よみうり寸評」で1981年の日本記者クラブ賞を受賞した村尾清一記者は、1987年6月、出版局顧問に退いた。 1987年11月29日、大韓航空機爆破事件では、「大韓航空機の墜落確認 タイ奥地」(11月30日夕刊)と報道した。墜落したのは、ベンガル湾上空であった。またこの事件では、11月30日、日本人に背乗りした偽造日本国旅券を使った人物が、中東のバーレーンで逮捕されそうになり服毒自殺をした。12月2日付夕刊で読売新聞は「墜落大韓機自殺の男 宮本と同一人物か」と、自殺した男性が宮本明(李京雨)と同一人物と報じた。実際は金勝一で、他紙は「自殺男性 宮本と別人か」(同日毎日新聞夕刊)と報じていた。また翌3日、夕刊一面トップは、「「宮本」に逮捕状」の見出しが踊り、「3日、公文書偽造などの容疑で逮捕状をとった」と報道した。しかし、実際は、翌4日朝刊「「宮本」逮捕状請求は見送り」であり、完全な誤報であった。「韓国筋」「公安筋」に頼りすぎた結果の、誤報続出であった。 1989年8月17日、夕刊一面トップで、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の容疑者「宮崎のアジトを発見」と報道した。記事ではアジトの様子が語られており、アジト付近の地図まで載っていたが捜査本部は全面否定し、全くの虚偽であることが判明。翌日には「おわび」を出したものの、「検証」記事に2ヶ月もかかり、その内容も具体性に欠けるものであった。この虚偽報道事件は、珊瑚損傷記事捏造(『朝日新聞』同年4月20日夕刊)やグリコ・森永事件の犯人取り調べ捏造(『毎日新聞』同年6月1日朝刊)とならぶ一大スキャンダルであったが、朝日新聞のサンゴ事件の影に隠れてほとんど話題にされず、読売新聞は処分の内容も、記事を書いた記者の名前も明らかにしなかった。詳細は「読売新聞の宮崎勤事件に関する捏造事件」を参照 1990年5月6日、子供の日翌日の朝刊社会面トップは、「雨の日の5日午前2時幼い2人置き去り 歩道とぼとぼ 保護 親の名言わず」と、「豊かな時代」の「子捨て」を報道し、「親の身勝手から依然として後を絶たない」と批判した。しかし実際は、父に黙って深夜に外出して保護されただけであり、記者の早とちりであった。ところが、訂正・お詫び記事を出さなかったどころか、「同署では"兄妹は大人たちに囲まれ、緊張感と警戒心で自宅がすぐ近くにあることさえ口に出せなかったのだろう"と同情している」(5月7日夕刊)と書き、読売新聞は誤報の責任を子供になすりつけた。 1994年3月25日、朝刊一面に「『グリコ・森永』に有力容疑者 大阪の男、一部供述」という見出しがおどった。内容は、「グループ8人か」「捜査本部一斉聴取へ」「江崎勝久・グリコ社長誘拐に始まった一連の事件について関与を示唆するような供述」「末端の実行犯の可能性」「『しゃべれば、殺される』などと供述」「当時の行動を再現させるなど、確認作業を始めた」「時効まで残すところ二ヶ月余りという局面で最大のヤマバをむかえる」というもの。しかしその後進展はなく誤報であることが分かった。読売新聞は6月2日朝刊一面の「グリコ・森永事件『アベック襲撃』も時効」と伝えたことを受けての社会面記事、「悔しい時効」の一節にあわせて掲載した「大阪社会部『グリコ・森永事件』取材班」の署名入り記事「性急だった本紙報道」の中で「情報の検証に甘さがあったことは否めない」と釈明した。 松本サリン事件において、6月28日付でマスメディアが報じた「薬剤の調合をまちがえた」「農薬混合」とされた「毒ガスの正体」が、7月3日になって農薬ではなく調合では精製できない化学兵器の『サリン』と判明したものの、1994年7月15日夕刊では「薬剤使用をほのめかす 事件直後に会社員」と、会社員・河野義行を犯人視させる報道をおこなっている。なお読売新聞は1995年5月12日になってから河野に対し紙面で謝罪をおこなった。 1995年3月28日、地下鉄サリン事件の報道が過熱する中で、朝刊一面にトップに「入院の男 容疑者と断定」「小伝馬町駅 サリン車内に置く」「目撃情報で突き止める」「回復次第 取り調べ」と題した記事を掲載した。内容は、営団地下鉄日比谷線の電車の3両目車内に、サリン発生源である新聞包をおいたコート姿のサングラスの男は、サリンを浴びて入院している男と同一人物であることが、目撃情報によって突き止められた、というものである。しかし同日夕刊の続報では、社会面で「犯行とは無関係」と、朝刊特ダネを完全に否定した。容疑者と断定した人物についての謝罪・顛末説明は行われていない。 2001年から2002年にかけて、読売新聞は田中眞紀子外相更迭の旗振り役をになう。2001年6月2日付社説では、「機密費問題などに見られる外務官僚の閉鎖的体質を改めるのは大事なことだ。だが、いたずらに省内に混乱を生じ、外交を弱めるようでは本末転倒」と、田中外相の外交感覚を危惧。8月3日、4日付社説では、事務次官人事の混乱に基づき、田中外相の更迭を要求した。これは、「9・11」以後噴出する田中外相批判の先鞭となり、2002年1月29日の外相更迭につながっている。しかし2002年2月以降、機密費横領・水増し詐偽・組織的裏金作り・私的流用・「鈴木宗男疑惑」などが噴出すると、一転して「『政と官』の不明朗な関係が批判されているにもかかわらず、外務省幹部の意識が一向に改まっていない」(2002年2月24日付社説)と批判した。 2002年4月、個人情報保護法案と人権擁護法案の国会審議入りに際して、日本新聞協会(会長・渡邉恒雄)は、表現・報道の自由を侵すとして廃案・出直しをもとめ、緊急声明まで出して反対姿勢を示していた。しかし読売新聞は、個人情報保護法については、メディアを含めて守らなければならない基本原則のうち「透明性の確保」を報道分野だけ除外する、などを柱とした「「報道の自由」と両立を/修正試案を本社提言」を5月12日付1面で掲載した。5月13日、小泉首相は、読売試案を参考にして修正協議に入るように山崎幹事長に指示。事前了解済みを疑わせる怪しい動きに、ほとんどのメディアがこの読売試案に反発。「特定の大新聞がよければ「青信号」を出せるような法案ではない」(『北海道新聞』)「読売案は<歴史の汚点>」(月刊『文藝春秋』)と強い批判を浴びた。 2002年9月18日、小泉訪朝による日朝首脳会談では、政治部長署名記事で、「北朝鮮が軍事独裁国家である限り、経済協力などできるものではない」と啖呵をきった。しかし、1962年から1965年、朴正煕政権との日韓国交回復交渉において、金鍾泌と日韓国交回復に反対していた党人派大野伴睦を引き合わせるなどして、軍事独裁国家に対する経済協力を実現させた黒子役は、読売新聞の渡邉恒雄記者(当時)であった。 2003年3月、米英によるイラク戦争の開始にあたって、「湾岸戦争から十二年後の今もなお、大量破壊兵器の廃棄義務を履行していない」(3月9日社説)「大量破壊兵器を廃棄した、というフセイン政権の主張は、まだ立証されていない」(3月14日社説)「問題の本質は、イラクの大量破壊兵器がテロリストの手に渡る危険性をどう排除するか、である」(3月19日)など、イラク攻撃に賛成する論陣を張った。しかし2004年の米政府調査団による最終報告にて、大量破壊兵器がイラクに存在しなかったことが結論付けられた。 2004年4月8日に起こったイラク日本人人質事件報道において読売新聞は、「三人の行動はテロリストの本質を甘く見た軽率なもの」(4月9日)「三人にもこうした事態を招いた責任がある」(4月10日)「人質の家族の言動にもいささか疑問がある…政府や関係機関などに大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である」(4月13日)等、人質とその家族を批判する「自己責任論」の火付け役となる。また4月19日付社会面では、本人の日本帰国費用のほか、政府自治体関係者の活動費まで細かく算定して「自己負担論」を唱えた。だが読売新聞は、自衛隊イラク派遣でサマーワから記者を撤退させた際、「現地の治安が悪化し、外務省から航空自衛隊の輸送機で撤退を求められたため、利用」(4月15日)した事実を公表したが、帰国費用や政府自治体関係者の活動費を「自己負担」したかどうか、未だ明らかにしていない。 2004年5月26日、「アル・カーイダ幹部新潟潜伏」の見出しで記事を掲載。新潟で会社を経営しているバングラデシュ国籍の男性が、国際テロ組織アルカーイダと関連があるかのように報道した。警察の捜査の結果、男性はアルカーイダとは無関係と判明。男性は名誉を傷つけられたとして読売新聞東京本社に330万円の損害賠償を求めた。読売新聞側は「記事は警察当局の見方や方針を報じたもの」などと主張したが、1審、2審では読売新聞側の裏付け取材が不十分なうえ、記事の見出しは原告がアル・カーイダ幹部であると読者に誤解させるものと判断、原告の名誉棄損を認めた。2008年11月25日、最高裁は読売側の上告を棄却したため読売新聞に220万円の支払いを命じた2審判決が確定した。 2005年、デンマークの新聞「ユランス・ポステン」が、預言者ムハンマドに関する風刺画12枚を掲載、イスラム教徒の反発と抗議行動を招いた。ヨーロッパの新聞が、風刺画を転載するなど、「表現の自由」を訴える中で、2006年2月11日、読売新聞は、社説「風刺漫画騒動 『表現の自由』には責任が伴う」の中で、「風刺漫画という表現方法で、権力者や社会事象などを皮肉るのも、報道の範疇だろう。だが、それによって、敬虔な信仰心を傷つける権利までは表現の自由にはない」とし、これ以上信教の自由を侵してはならないという論陣をはって、どのような風刺画だったのかを一切明らかにしなかった。一見、「信教の自由」を重視したようにみえるが、実は、イスラム教徒の暴力やテロを極度に恐れた日本新聞協会や日本雑誌協会による、風刺画を転載しない申し合わせに従っただけにすぎないことが明らかにされており、暴力への弱腰が厳しく批判された。 詳細は「ムハンマド風刺漫画掲載問題」を参照 2007年2月16日、アサヒビールがサッポロホールディングスに経営統合を提案したとの報道がなされたが、両社ともにそのような事実は無いとして否定した。 2007年6月2日、朝刊の連載小説「声をたずねて、君に」の同年5月28日掲載分について、挿絵が雑誌に掲載された写真を無断使用して描かれていたことが判明。即座に挿絵の掲載を中止し、他にも無断利用がないか調査した結果、7月2日には新たに35点に著作権侵害の疑いがあることが判明した。挿絵を担当したのはイラストレーターの中島恵可であり、写真の無断使用を認めている。使われた写真は高知新聞に掲載された32点と読売新聞に掲載された3点。高知新聞の掲載写真のうち、13点は共同通信、5点は時事通信、2点は主婦と生活社の配信であり、読売新聞社は各社に謝罪した。 2007年11月、自民党と民主党の間で大連立内閣を組む構想が持ち上がったが、読売新聞主筆の渡邉恒雄が仲介役として関与していたことが読売新聞以外の各紙報道により伝えられた。読売新聞自体も大連立を推進する報道を行い、構想頓挫について民主党を批判する報道を行った。詳細は「読売新聞の大連立構想関与」を参照 2008年1月27日、石川県版に掲載されたある大学教員の学位を巡る記事に対して、大学から「取材を受けていないのにコメントが掲載されている」という抗議があり調べたところ、金沢支局の記者が大学側に取材を行わず他紙の報道や大学、文部科学省の公表資料などを参考にして記事を執筆し、コメントも「土曜日で電話がつながらなかったから」という理由で捏造していたことが発覚。記者は休職1カ月の懲戒処分となった。 2008年7月28日、青森県版に掲載された全日本吹奏楽コンクール青森県大会関連の記事で、掲載された八戸市代表楽団長の談話は“岩手県中部の地震被災地関連の記事が必要だ”と考えた青森支局の記者が、楽団名を検索エンジンで調べて執筆した捏造記事だった(コメントした団長は先任者で楽団とは既に無関係)。元団長本人からの指摘で発覚。談話部分は取り消され、執筆記者は休職3ヶ月、伊藤学支局長は譴責の懲戒処分となった。取消・謝罪は「青森版」のみに掲載された。なお、謝罪会見は行われず、執筆者も明らかにされていない。 2009年5月22日、20日付朝刊のスポーツ面に掲載された記事が中国新聞からの盗用であることが発覚。読売新聞大阪本社の運動部記者が容疑を認めたため、中国新聞社に謝罪した。後日、その他の盗用の有無を調査した結果、同じ記者が執筆した4月16日付朝刊のスポーツ面においても、中国新聞の2008年9月11日付のスポーツ面の記事と酷似した表現が数カ所発見され、最終的に8本の記事で盗用が確認された。 2009年7月23日付け世論調査記事『「比例は民主」42%、優勢維持…読売世論調査』で、麻生太郎と鳩山由紀夫のうち総理大臣にふさわしいのはどちらかを比較するグラフを掲載したが、菅原琢・東京大学特任准教授(先端科学技術研究センター、博士(法学))は作為的に(基準軸を操作して)麻生の横ばい評に対し鳩山は大きく下落しているように表現したとし、「メディアの信頼性を毀損するもの」と批判している。 2011年3月11日、東日本大震災による福島第一原子力発電所事故の被災に対して、原発推進派で多額の広告料を東京電力からもらっていた読売新聞は、放射能被害を少なく見せかける虚偽の報道を繰り返した。2011年3月16日には、「『黒い雨』『うがい薬飲め』のデマ」と題して、「放射性物質が雨に溶け込んで降ってくるというのは考えにくい」という原子力安全技術センターのコメントをのせるなど、放射性物質を含んだ雨水によるホットスポットによる被曝を否定をつづけた。ところが、2011年10月22日、千葉県柏市の私有地では、毎時57.5マイクロシーベルトの高い放射線量が検出され、10月23日、文科省は「原発事故が原因の雨水」とみとめることとなる。 2011年5月20日の朝刊一面トップで、「東電社長に築舘氏」との見出しで、同社の清水正孝社長が退任し、常任監査役の築舘勝利が社長に就任すると報じたが、実際は西沢俊夫常務取締役が社長に就任した。この誤報については、「『ああ、新聞ももう絶望的だな』と思った」「社長にならない人を社長になるって書いちゃった。それもマヌケだけど、この期に及んで社長人事が1面トップ、特ダネだと思っているような人たちが新聞を作っている。それが何よりもマヌケなんです」(烏賀陽弘道)「ワカメや昆布からヨウ素131が10万ベクレル以上検出されたというほうが世界的大ニュースですからね。しかも食べているのは日本人なんです。でも新聞はそれをやらない。感覚がズレている」(上杉隆)「いや狂っていると言ったほうがいい」(烏賀陽弘道)などと、批判を浴びている。 2011年9月2日の野田内閣発足の際、同日付けの朝刊の1面トップで「財務・岡田氏」と乗せ、岡田克也が財務大臣に内定したと報じたが、実際には岡田は入閣せず、誤報となった。 2012年3月15日付『朝日新聞』の朝刊一面トップは、読売巨人軍が新人選手へ1億円をこえる契約金を裏金で支出していた、とする報道であった。読売新聞は、同日、朝日新聞の報道にあわせて、ただちに反論記事を掲載。新人選手への1億円以上の契約金の支出禁止は、2007年1月までは、目安に過ぎなかったとした。だが、この反論記事は、「04年に横浜や西武が1億円を超えて払っていたことが大きなニュースになって、コミッショナーに厳重注意を受けて、西武なんか上層部が責任をとった」「あれは何なの? 野間口も同じ04年ですよ。その時になんで巨人さん、バックアップしてくれなかったのよ。『ルールじゃないんだよ』と。そう思うじゃないですか」(小倉智昭)という反発をうけただけではない。報道各社に「朝日がこんな取材をしているが」と反論文書を配る、読売新聞の「報道のモラル」に反した振る舞いも厳しく批判された。とりわけ、読売新聞の反論の中で失笑を買ったのは、「いま球団が一丸となって東日本大震災を支援しようとする時に、10年も前のことを持ち出すのはいかがなものか」と、東日本大震災の復興への支援をダシにして、朝日新聞を批判し、裏金報道を封じこめようとする態度であった。詳細は「希望入団枠制度」を参照 2012年(平成24年)10月11日付の朝刊一面トップ記事にて『iPS心筋移植 - 初の臨床応用』の見出しを付けた記事を一面と三面に掲載。ハーバード大学客員講師・東京大学客員研究員の森口尚史が、iPS細胞を利用して心筋細胞を作成し、特殊な注射器で心臓の30箇所に注入し手術が成功した、という記事を書いた。しかし2日後の10月13日の一面記事にて『iPS移植は虚偽』と見出しを出し「おわび」を掲載。10月11日朝刊と夕刊・一部地域の12日朝刊の関連記事に誤りがあったとして、お詫び文を掲載し誤報を認め、検証記事を10月13日朝刊8面に掲載し、事実上の虚報を認めた。 2013年(平成25年)5月19日付朝刊1面および8面にて、東京電力が柏崎刈羽原子力発電所1号機と7号機の運転再開を原子力規制委員会に申請する方針を固めたと報道。YOMIURI ONLINEにも同内容の記事を掲載した。これに対し東京電力は、そのような事実は無いとして、読売の報道内容を否定した。 2017年に福島県楢葉町長の発言談話を捏造したと報道された。楢葉町長が「避難先から帰還しない職員は昇格・昇給させないようにする」と発言したという内容だったが、実際は締め切りが迫った記者が取材せずに文面を捏造した。読売新聞は当該記者を懲戒処分にするとお詫びした。 2018年(平成30年)1月11日付にて、着物販売レンタル会社「はれのひ」の店舗が突如閉鎖され、多くの新成人が成人式で振袖を着られなかった問題で、横浜市が被害者を対象にやり直しの成人式を開催することを検討していると報道。しかし、横浜市教育委員会は信用調査会社「データ・マックス」の取材に対し、「そのような事実はない」と否定し、「現状では被害の把握に努めている段階。市として何をできるか、何かするかどうかも含めて未定」と明言した。 2019年(令和元年)10月25日付朝刊富山版にて、富山県内の自治体のソーシャル・ネットワーキング・サービスに関するコメントを掲載。直後に自治体のコメントは、記者が捏造したものと判明し、同月29日付け富山版にて記事に関するおわびが掲載された。 2021年6月15日、韓国の文在寅大統領が7月23日開幕の東京五輪に合わせて来日する方向で日韓両政府が調整していると報道するも、加藤官房長官は同日、そのような事実はないと否定した。 2021年11月5日、政府が18歳以下の子どもや若者に現金10万円を一律支給する方針を固めたと報道するも、7日、高市早苗自民党政調会長はこれは誤報であるとし、自民党議員の事務所に抗議が殺到していると明かした。
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