2002年9月
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モンディアル・ド・ロトモビル(パリサロン)に出品、電動ハードトップを備えたオープンモデル「マイクラC+C」も併せて展示。
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2002年9月
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 03:12 UTC 版)
「マブチモーター社長宅殺人放火事件」の記事における「2002年9月」の解説
被害者の眼・口を粘着テープでふさぐ一方で手足は縛らず、絞殺後に燃料を撒いて放火するという手口は、捜査本部が調べた結果、過去の事件にも例がない特異なものだった。 また、犯人らはあらかじめ燃料缶を準備するなど、周到な犯行の計画性が窺えた半面、Bの絞殺には現場にあったネクタイを使うなど、場当たり的な面も見られた。 その上、2階の夫妻寝室から貴金属数点がなくなっていた一方で、宝石箱は手つかずで多くの貴金属が残っていたり、現金130万円・預金通帳・印鑑なども、そのまま残っているなど、捜査本部は犯行動機を「物取り」か、「怨恨」か、絞り込めない状態が続いた。 そのため本事件発生から1カ月を控えた2002年9月4日時点でも明確な犯人像は浮上せず、捜査は難航していた。また、付近の新聞販売店員が「事件前後の午後3時前・4時前の2度にわたって、馬渕邸から数十m離れた路上で、紺色のキャップを被り、黄色いTシャツを着た、東南アジア系の男を見た。いずれも、男は慌てた様子もなく、普通に歩いていた」と証言したが、捜査本部の見方は「事件との関連性は薄い」というものだった。 一方で2002年9月4日、捜査本部の捜査の結果、現場に残されていた燃料缶は、ガソリン・エンジンオイルの混合燃料が入った2リットルの燃料缶だったことが判明した。燃料缶は馬渕邸にあったものではなく、表面の残った文字などを鑑定した結果、大阪市のメーカーが、2000年暮れ頃に商品化し、主に芝刈り機・草刈り機の燃料用として3月から9月の期間限定で、年間5万本から6万本ほど製造・販売していたもので、事件のあった2002年8月までに、全国で約86,000本が流通していた。この燃料缶の購入者は、主に造園業者・農業関係者らで、一般的な知名度はそれほど高くなかった。 遺体の周辺からも前述のようにガソリン・オイルの成分が検出されたことから、捜査本部は「犯人がこの燃料缶を持参し、中身を撒いて火を点けた」とみて、重要な遺留品として販売ルートの解明を進めたが、製造番号は焼け落ちていたため、扱った店までは特定できなかった。 また事件現場からは、犯行に使われたとみられる粘着テープの芯の燃えカスも発見されたが、これは大量に出回っている物であり、特定は困難を極めた。 その一方で地元では、「犯人は外国人ではないか」という噂が立ったことから、「事件後にいなくなったりした怪しい従業員はいないのに」(経営者)、客足が遠のき売り上げが悪化した外国系飲食店もあるなど、風評被害が見られた。
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