子捨て
『英雄伝』(プルタルコス)「ロムルス」 ヌミトルとアムリウスの兄弟がいた。アムリウスはヌミトルから王位を奪い、ヌミトルの娘イリア〔*娘の名は「レア」とも「シルウィア」とも言う〕が子供を産んで将来の脅威とならぬよう、彼女を女神ウェスタの巫女にした。しかしイリアは、軍神マルスによって双子ロムルスとレムスを産んだ〔*アムリウスがイリアを犯した、とも言う〕。アムリウスは召使に命じて、双子を捨てさせた。
『貴船の本地』(御伽草子) 鬼国の姫は定平中将の叔母の娘として再誕するが、左手に指のない子として、蓮台野に捨てられる。
『サルゴン伝説』(アッカド) 「私(アッカド王サルゴン)」の母は女神官エニトゥで、父はわからない。母はひそかに「私」を産み、藺の籠に入れて川に流した。灌漑人アッキが「私」を拾い育て、園丁にした。「私」は園丁時代、女神イシュタルに愛された。「私」は54年間王国を支配した。
『史記』「周本紀」第4 神龍の吐いた沫(あわ。=龍の精気)が、後にトカゲと化して、7歳ほどの少女と出会った(*→〔性器(女)〕3)。少女は15歳頃になって、夫なしで身ごもり、女児を産んだ。少女は不祥を恐れて女児を棄て、女児は弓矢売りの夫婦に拾われ褒の国で育った。この女児が、後の褒ジである→〔笑い〕3a。
『出エジプト記』第1~2章 ヘブライの女が男児を産んだらすべてナイル川に投げこめ、とエジプトのファラオ(パロ)が命ずる。1人の女が、産んだ男児を殺すことができず、籠に入れてナイル河畔の葦の茂みに置く。男児はファラオの王女に拾われ、モーセ(=モーゼ)と名づけられる。
『宝物集』七巻本巻7 仏生国に血の雨が降り、国土が紅になった。王が怪しんでその夜生まれた赤子を集めると、1人、口から焔を吐く子がいたので、遠島に捨てた〔*『曽我物語』巻6「仏性国の雨の事」に類話〕。
*→〔足〕1bの『オイディプス王』(ソポクレス)・〔板〕5の『西遊記』百回本第9回・〔交換〕3gの『どろろ』(手塚治虫)・〔太陽〕1bの『マハーバーラタ』第1巻「序章の巻」・〔白髪〕1aの『王書』(フェルドウスィー)第2部第1章「ナリーマン家のサーム」。
『キッド』(チャップリン) 慈善病院で1人の女が男児を産み、その子を捨てる。浮浪者チャーリーが男児を拾い、育てる。女は女優として成功し、大きな屋敷に住むようになる。5年後、女は街で偶然、男児と出会う。「この子を育てて下さい」との書き付けを男児が持っていたので、女はそれが自分の子であると知り、屋敷へ連れ帰る。チャーリーは、いなくなった男児を捜し回るが、男児が母と再会し屋敷に引き取られたことを知って、喜ぶ。
『小敦盛』(御伽草子) 平敦盛の戦死後、北の方は男児を産む。平家の生き残りは源氏に殺されるので、北の方は男児の命を救うため、下(さが)り松の辺に捨てる。男児は法然上人に拾われるが、7歳になった年、父母を恋い慕って重病になる。法然上人は説法聴聞の人々に訴え、それに応えて北の方が名乗り出る。男児は母親と会い、命を取りとめる。後、賀茂大明神のお告げによって、男児は一の谷の小さな堂へ行き、亡父敦盛の霊と対面する。
*捨てられた子が、再会した母と交わる→〔母子婚〕1の『和泉式部』(御伽草子)。
コインロッカー・ベビー(日本の現代伝説『ピアスの白い糸』) 女が赤ん坊を産んで、東京駅のコインロッカーに捨てた。その後、女は某企業に就職し、ある時、仕事中にそのコインロッカーの前を通りかかる。小さな男の子がうずくまって泣いているので、女は「どうしたの?」と聞くが、返事がない。「お父さんは?」と聞いても、下を向いたままである。「お母さんは?」と聞くと、男の子はパッと顔を上げ、「お前だ!」と言って消えてしまった。
『子捨ての話』(小泉八雲『見知らぬ日本の面影』) 百姓夫婦が貧しさゆえ子供を育てられず、子供が生まれるたびに川に流して、6人の子供を殺した。そのうち暮らし向きが良くなったので、7人目に生まれた男児は、捨てずに育てる。夏の月夜、百姓は生後5ヵ月の男児を抱いて庭に出、「いい夜だ」と言う。すると男児は百姓を見上げて、「お父っつあんが最後に私を捨てたのも、こんな月夜の晩だったね」。
『伊吹童子』(御伽草子) 酒呑童子は、幼い頃から酒を飲み乱暴であったので、「父・伊吹の弥三郎そのままの悪人」と言われ、7歳の時捨てられた。
『親指小僧』(ペロー) 飢饉の年、貧しい木こり夫婦は、7人の子を深い森に置き去りにする→〔道しるべ〕1a。
『蝉丸』(能) 醍醐天皇は、盲目の第四皇子蝉丸を逢坂山に捨てる。前世の罪業ゆえ盲目に生まれついたのだから、その罪業を償わせようとの父帝の慈悲である、と蝉丸は悟り、剃髪、出家する。
『日本霊異記』中-30 行基の説法の場に、某女が10余歳の子供を連れて来たが、その子供は大声で泣き喚き、人々の説法聴聞を妨げた。行基は女に命じて、子供を淵に捨てさせた。行基は女に、「汝は前世で、あの子供から物を借りたのだ」と教えた→〔貸し借り〕1。
*少年ロボットを捨てる→〔成長〕5の『鉄腕アトム』(手塚治虫)。
*少年少女を捨てる→〔森〕1aの『ヘンゼルとグレーテル』(グリム)KHM15。
★3.神が子を捨てる。
『古事記』上巻 イザナキとイザナミが結婚するに際し、イザナミが「あなにやし、ゑをとこを(ああ、立派なお方ですね)」と、先に言葉を発した。イザナキは「女が先に言葉を発するのは、正しくない」と言ったが、2神は結婚した。その結果、イザナミは水蛭子(ひるこ)を産んだ。2神は、この子を葦船に入れて流し捨てた〔*『日本書紀』巻1の第4段一書第1、第5段本文、同・一書第2、などに類話〕。
*水蛭子は恵比寿になった→〔矢〕6の『和漢三才図会』巻第74・大日本国「摂津」。
『播磨国風土記』餝磨の郡伊和の里 オホナムチの子ホアカリは強情な性質だった。父神はこれを憂え、子を置き去りにして船で逃げた。ホアカリは怒り、風波をたてて船を追った。
『今昔物語集』巻19-27 法師が、自分の老母と5~6歳の愛児とが洪水で流され行くのを見る。子供はまたもうけることもできるが母と別れては2度と会えない、と法師は考えて、子を見捨て母を救う。
『荘子』「山木篇」第20 林回という男が千金の璧を捨て、赤子を背負って逃げた。その理由を問われて林回は「千金の璧と自分は利益でつながっているが、赤子と自分は天然自然でつながっているからだ」と答えた。
『武家義理物語』巻5-2「同じ子ながら捨たり抱たり」 敵に追われる女が、2人の子のうち乳のみ子(妹)を捨て、7歳ほどの男児(兄)を連れて逃げる。2人とも実子でなく、兄は夫の甥、妹は女自身の姪なので、身びいきと思われるのが口惜しさに、自分の身内の子を捨てたのだった〔*原拠は『列女伝』巻5-6「魯義姑姉」〕。
★5.判断力を失って、あるいは錯覚して、赤ん坊を川へ捨てる。
『現代民話考』(松谷みよ子)6「銃後ほか」第5章の1 空襲の時には、はじめは荷物をたくさん持って逃げるが、命の方が大切なので、そのうち荷物はポンポン捨ててしまう。昭和20年(1945)3月10日の大空襲の時。「私」の主人の姉が、橋の上を駆けて逃げて行った。すると前を行く人が、荷物は持ったまま、赤ん坊を川へ投げ捨てた。「あの人はきっとおかしくなって、間違って投げたんだよ」と姉は言った(東京都江東区)。
『後生鰻(うなぎ)』(落語) 鰻屋が鰻をまな板に乗せ、錐を刺し通そうとするところへ、信心深い隠居が通りかかる。隠居は鰻を憐れみ、買い取って川へ放してやる。これが何日か続く。ある時、鰻がなく休んでいた日に隠居がやって来たので、鰻屋はとっさに赤ん坊をまな板に乗せる。隠居は赤ん坊を買い取り、「さあ、放してやるぞ」と言って川に放り込んだ〔*同類の話を、悲惨な物語にしたのが、→〔人造人間〕2の映画『フランケンシュタイン』(ホエール)〕。
『硝子戸の中』(夏目漱石)29 「私(夏目漱石)」は、両親の晩年にできた末ッ子である。母は「こんな歳をして懐妊するのは面目ない」と言った。「私」は生まれ落ちてすぐ、古道具の売買をする貧しい夫婦のもとへやられた。「私」は道具屋のがらくたと一緒に、小さい笊(ざる)に入れられて、四谷の大通りの夜店にさらされていたのである。ある晩、「私」の姉が通りかかり、かわいそうとでも思ったのだろう、懐に入れて家へ連れ帰った。
『聞書抄』(谷崎潤一郎)その5 若君時代の豊臣秀頼公は、皆から「お拾いさま」と呼ばれた。「生まれた子供は、いったん捨て子にして、人に拾ってもらう方が無事に育つ」と言うので、太閤殿下(秀吉)の思し召しで若君を捨て、それを松浦讃岐守が拾い、何かと世話をした。そうした経緯から、「若君の名は『拾い』とする。下々の者まで『お』の字を附けず、『拾い』と呼び捨てにせよ」とのお触れがでたが、まさかそうもできず、いつからともなく『お』や『さま』を附けるようになった。
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