類話とは? わかりやすく解説

類話

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バイオリンはどうして出来たか」の記事における「類話」の解説

よく似た内容なのがポーランド作家イェジィ・フィツォフスキによる再話魔法の箱 Zaczarowana skrzynka」である(『太陽の木所収1961年)。このポーランド版では、マトゥヤ(Matuja)という名のブナの木精霊が、同じくくりぬいたカボチャミルク注いで飲め勧め無事に男の子誕生し、「幸運」を意味する「バフタロー(Bachtalo)」と名付けられる。 これは楽器発祥伝え由来譚は、他の地域文化にもみられ、他例にハンガリーの「ヴァイオリン」のおとぎ話モンゴルの「モリンホール」の由来譚が挙げられるが、いずれもトランシルヴァニアヴァイオリン起源との共通性乏しい。ギリシア神話では、パーン追われたシューリンクス(英語版)が葦、ついで楽器葦笛パンフルートとなった変身譚が有名である。

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オンボノヤス」の記事における「類話」の解説

福島県田村地方にはオンボノヤス同じくを使う妖怪がほかにもおり、鬼穴住んでいたという「大多鬼丸」は、妖術によって自由に操ったという。 福島以外にも、これらのようなまつわる怪異伝承されており、埼玉県川越城で、かつて井戸の中から生じさせて外敵攻撃防いだといわれる霧吹き井戸」や、広島県船幽霊海面満たして船の進行止めたなどの事例がある。

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「のうま」の記事における「類話」の解説

アイヌ民話に、同様に人を食べ一つ目怪物の話がある。 ある2人兄弟が夜、海辺小屋泊まっていたところ、一つ目大きな怪物小屋襲い、兄のほうが食い殺して去って行った。弟は翌日にこのことを人々知らせ皆で武器を手にして夜を待った夜になって怪物が再び現れたので、皆で攻め立てて退治した。その正体巨大なカワウソだったという。

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六部殺し」の記事における「類話」の解説

「かつて殺した相手が、自分の子供に生まれ変わり、罪を暴く言葉発する」というモチーフには、他にさまざまな類話がある。川合勇太郎1930年に「六部殺した話」を所収して以降、類話の報告は、水沢謙一1956年)、野村純一1967年)、稲田浩二福田晃68年)、京都府立総合資料館1972年)、佐藤義則74年)、佐々木徳夫75年)、水沢謙一76年)によって重ねられている(上田和男多数編 『民俗研究ハンドブック吉川弘文館 1978年 pp.217 - 218)。

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竜王と賢女ワシリーサ」の記事における「類話」の解説

この民話には他にも『海の帝王とワシリーサ・プレムードラヤ』(224番)、『湖の帝王とワシリーサ・プレムードラヤ』(222番) といった類話がある。 『海の帝王とワシリーサ・プレムードラヤにおいては物語の中登場する王は商人に、王子商人息子イワンに、2つ小箱黄金宝石箱に、竜王異教の王ロブに、12羽のは3羽のに、キスによってワシリーサ忘れ相手は妹から名付けの母になっている与えられる難行2つから3つ増えている。3人の勇者にあたる人物みられない。 『湖の帝王とワシリーサ・プレムードラヤにおいてはの飼育のエピソードはなく、旅先で王が湖ので喉を潤そうとしたところ、湖の帝王から「王の家にある物で王の知らない物を貰う」という条件示される成長したイワン王子は、湖の帝王元へ向かう途中で老婆から教えられたとおりに13羽の変身した娘の1人ワシリーサ衣類隠し、彼女か黄金の指輪受け取る。白蝋でできた教会を1晩で建てるなどの3つの難行はあるが、妻の選択に際して試しはない。やがて郷愁に耐えかねて帰国した王子ワシリーサ忘れ他国王女との結婚考えるが、別れの際にワシリーサ言ったとおり、宮殿の窓に2羽のが体をぶつけるのを見て本当の妻を思い出す。

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モンジャ」の記事における「類話」の解説

青森県五所川原市では、水死首吊りのあった場所には、雨の夜に「もる火」または「もり火」という怪火現れるといわれ、地元ではもっとも恐ろしい化け物といわれている。これに対して悪口を言うと、その人ついて回る打てば細かく砕けるが、やはり人について回る念仏唱えると去るといい、灯火のある部屋には入ってこないともいう。 宮城県牡鹿郡女川町鹿児島県でいう「亡霊火(もうれいび)」は船幽霊類するもので、遭難者の霊が帆船などの姿となり、夜の海を行く漁船前に急に現れ漁船がそれを避けようとしてもまた前に現れやむを得ず船を止めると、それは船の形を失って燐光となり、遠くへ走り去るという。

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小袖の手」の記事における「類話」の解説

民俗学者藤沢衛彦著書妖怪画談全集 日本篇 上』には「怨み籠る小袖の怪」と題して以下のような話があり、石燕妖怪画との関連性不明だが、文献によってはこれが「小袖の手」にまつわる怪異譚として述べられている。 慶長年間京都に住む松屋左衛門という男が、娘のために古着屋から着物買った間もなく、娘は病気侵されてしまった。また七左衛門も家で女の幽霊を目にし、その霊は娘に買ったものと同じ着物着ていた。七左衛門はその着物気味悪く思い売りに出すことにして衣桁掛けておいた。すると袖口から白い手伸びてきた。着物をよく調べたところ、布が袈裟懸け切られ、うまく縫い合わせてごました跡があった。これは武家仕えていて手討ち遭った女性着物だろうと思い菩提寺着物納めて弔ったところ、娘の病気回復至ったという。 また、1657年明暦3年)に江戸で発生した大火災明暦の大火は、別名を振袖火事といって恋煩いの末に亡くなった娘の振袖を、供養のために寺で焼いたところ、火のついた振袖が風で煽られ火災の原因になったという伝承があるが、これも同様に着物込められ怨念仕業よるものとする説がある。 また、近藤瑞木江戸時代怪談集いくつか類話を指摘しているが、最も典拠に近いのは『諸州奇事談』巻之二執着小袖」であるとしている。

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笑い女」の記事における「類話」の解説

鳥山石燕による江戸時代妖怪画集『今昔百鬼拾遺』に「倩兮女けらけらおんな)」という妖怪があるが、笑い声恐怖与えるという設定描かれ妖怪であり、笑い男笑い女同種のものと解釈されている。

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麻桶の毛」の記事における「類話」の解説

本項同様に、毛を神体とする事例は他にも各地みられる埼玉県草加市新里町毛長神社では、6メートルもの長さの髪を持つ女性人々幸せ祈りつつ入水したといい、その髪が毛長神社神体になった伝えられる。この毛は箱に納められ神体として祀られいたものの、あるときに不浄の物と見なされて大水のときに流されてしまったといわれる別説ではこの毛長神社の毛は素戔嗚尊の妹姫の髪とも、新里のある女性男性との悲恋から毛長川身を投げ、後に川から長い髪見つかったものともいう。 また群馬県多野郡上野村大字新羽では、神流川流れていた栗野権現または橋姫陰毛神体とされている。

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出世螺」の記事における「類話」の解説

ホラガイが龍に化身し山から抜け出すという話は、ほかの古典文献民間伝承にもある。『東京近郊名所図会』によると、明治5年8月25日午後に激しい雷雨があり、道灌山(現・荒川区西日暮里)の北川の崖が崩壊して穴跡ができ、山に千年住んだ法螺抜けて昇天した跡だと評判になったという。この抜けた穴は明治末期まで残っており、付近にはほかにも抜け穴多く地面急に陥没することもあったという。また日暮里花見寺でも明治初期の夏、轟音とともに真っ黒いホラガイが土を蹴散らして空へ飛び去ったという伝承がある。しかしこの日暮里近辺怪異正体は、彰義隊残した火薬弾丸地雷などの自然発火や、彼らが隠れ家として掘ってあった大穴陥没といった現象ホラガイよるものと見なされたとの説もある。 松浦静山『甲子夜話』によればホラガイ一種であり、山腹土中住んでいるものとの記述がある、山が震えて激しい雷雨起きたときには山から飛び出すことがあり、これを法螺抜けといい、正体見た者はいないが、地中から現れるものとされている。 牟婁郡現・和山県)の民俗誌牟婁口碑集』によれば、かつて和歌山県西牟婁郡西富田村(現・白浜町)では大池から法螺現れたとある。大水発生した年、濁流中に大きな黒い物体流れて行くのを目撃した者がおり、その跡には池に洞窟ができていた。土地口承ではホラガイは海、川、山でそれぞれ千年、計3千年歳月経た末、神通力を持つ大蛇化すといい、そうしたホラガイ抜け出たものだといわれた。 江戸時代には山岳観察しながら暮していた山伏たちが、こうした山中法螺抜け伝説広め、崖などに自然にできている穴を「洞(ほら)」と呼ぶのも法螺(ほら)が抜けた穴という意味であり、そこから抜けた法螺が龍となって昇天するなどと話して回ったが、その途方もない話を当時の人々嘲笑し、このことから嘘をつくことを「ほらをふく」というようになったともいう。 このような俗信はもとは中国から伝わったものらしく、17世紀初頭中国文献五雑組』には、福建省暴風のために洪水起きた際、人々出現したのだろうと語ったという記述がある。

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山本五郎左衛門」の記事における「類話」の解説

広島にはこの類話が複数ある。根岸鎮衛随筆『耳嚢』によれば芸州(現・広島県西部)の比熊山に「三本五郎左衛門さんぼんごろうざえもん)」という妖怪がいたとある。それによれば稲生武太夫引馬山で一晩過ごして帰宅した後、家に様々な妖怪現れるようになったが、武太夫決し動じなかった。16日後、彼のもとに五郎左衛門現れ彼の豪胆さを称えその後怪異なくなったという。 また同じく『耳嚢』に、以下のような類話がある。文化5年。五太夫という者が石川悪四郎という妖怪見物するために真定山へ登り山中で夜を過ごした後に帰宅すると、家に頻繁に妖怪現れるようになった。しかし五太夫決して怯まなかった。数日後、悪四郎僧侶に姿を変えて太夫のもとを訪れ彼の勇敢さ称え山から去ると告げた。五太夫が話合い証拠求めたところ、悪四郎は3尺(約90cm)ほどの用途不明のねじ棒を残して姿を消したという。 石川悪四郎の話は五太夫体験談として『耳嚢』記述されているが、内容は『稲生物怪録』とほぼ同じのため、鎮衛が書き誤ったか、もしくは太夫が『稲生物怪録』を脚色して鎮衛に語ったとの説もある。

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砂かけ婆」の記事における「類話」の解説

砂かけ婆正体タヌキとする説と同様、小動物人間に砂をかける怪異は、日本全国に例が見られる福岡県民俗誌筑紫野民譚集』によれば福岡県久留米市エノキの木の上からタヌキ通行人目がけて砂を撒き、さらにその人前に垣を作り出して行く手塞いだ記述がある。愛知県でもタヌキが人に砂をかけた話がある。 青森県津軽地方新潟県佐渡郡でも砂撒きすなまきだぬき)といって同様にタヌキ夜道で砂をかけてくるという。千葉県利根川流域でいう砂撒きは、体に砂をつけたタヌキ木に登り、人が通りかかると体震わせて砂を撒く、またはほどの大きさ小動物木に登り通行人に砂を振りまくなどといわれた。新潟佐渡島妙照寺に住む老いた砂撒き信心深く佐渡配流された順徳天皇のもとを子の忠子内親王訪れる際、荒れた道に砂を撒いてならし清めたといわれ、砂撒き見た人は忠子内親王が父に逢いに来た日だと知ったという。 徳島県板野郡撫養町小桑島前組では砂ふらし(すなふらし)といい、タヌキが人に砂をかけることで方向感覚を狂わせて道を迷わせ水辺落としてしまうという。 新潟民俗誌越後三条南郷談』によれば新潟県大面村(現・三条市)字矢田の翁坂では砂撒き鼬(すなまきいたち)といってイタチ後ろ足で砂をかけ、また人の蝋燭の火を奪うこともあるといい、火取り魔正体であるともいう。 奈良県天理市別所伝説では、夜遅くなると、萩村から砂かけ坊主出たとされる

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一本だたら」の記事における「類話」の解説

一本だたら同様に足が1本しかない妖怪伝承日本各地にあり、一本足いっぽんあし)と総称されている。中でも降った翌日地面の上にある足跡状の窪みを、一本足妖怪足跡とするものが多い。 静岡県磐田郡(現・浜松市天竜区川上では、「誤って片足切断して死んだ木こり怨み一本足という妖怪になり、降雪翌日山中片足のみの足跡残っている」という。 愛知県北設楽郡振草村粟代(現・設楽町)では、「大雪の晩、山小屋周りで、ドスンドスンと音がして、翌日には約2尺(約60センチメートル)の片足のみの足跡残っている」という。 富山県上新川郡(現・富山市)、岐阜県北部飛騨地方岡山県都窪郡に伝わる妖怪の「雪入道」(ゆきにゅうどう)も、一つ目一本足大入道で、「降った翌朝雪上足跡を残す」というが、一本だたら特徴共通することから、文献によっては同一妖怪として混同されている。 和歌山県伊都郡三好村(現・かつらぎ町)では、降雪翌朝木の下円形窪みがあるものを、前の晩に小児のような妖怪坊(ゆきんぼ)」が一本足飛び歩いたためという。 愛媛県北宇和郡吉田町(現・松野町)では、の上一本足足跡を残すものを「雪婆(ゆきんば)」という。 また、前述のように足跡が残るだけではなく一本足怪物そのもの登場する話もあり、『遠野物語拾遺』には、宮城県貞任山で一つ目一本足怪物が、狩人退治されたとある。 奈良県川上村柏木では、前述猪笹王一本足呼び、その前身イノシシではなく老いたネコとされている。 吉野郡中龍門村(現・吉野町)では節分の日、トゲのある小枝焼いたイワシの頭(柊鰯)を刺して玄関掲げ風習があるが、これは一本足を防ぐためといわれる前述の「一本だたら#伝承」の「伯母子岳一本足」の別のバリエーション吉野郡伝説)では、美女化けた一本足現れ災い起こしていたとされ、高野山西天野猟師出会ってしまったため、鉄砲何度も発砲したが、そのたび銃弾を手で受けて投げ捨てられ迫ってきた。猟師天野神様丹生都比売神社に、どうか1週間だけ命を借してくださいと祈ると、神様2つ弾を撃て教え、再び伯母子岳に向かうと、弾を撃ち続け最後に2つ撃った。それに気づかなかった一本足に弾は命中した。女は命乞いし、猟師は人の命を取らないことを約束させるも、果て二十日に通る人だけは命をとらせてほしいと頼まれ1日くらいよいだろう許してしまった。そのため、12月20日には入山するなと伝えられる仲川明 『子供のための大和伝説』、奈良新聞社121978年(初版70年)、234-236頁。)。 これらのような一本足妖怪は、山の神道祖神神体一本足とする伝承関連する考えられている。また、中国一本足妖怪・山魈(さんしょう)に由来するとの説もある。

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見越し入道」の記事における「類話」の解説

民間伝承における見越し入道類する妖怪は、次第高しだいだか)、高入道たかにゅうどう)、高坊主(たかぼうず)、伸上りのびあがり)、乗越入道のりこしにゅうどう)、見上入道(みあげにゅうどう)、入道坊主にゅうどうぼうず)、ヤンボシなど、全国伝わっている。 長野県南佐久郡南牧村海ノ口新潟県北蒲原郡赤谷村(現・新発田市)、静岡県榛原郡上川根村(現・本川根町)、周智郡三倉村(現・森町)などでは単に見越しの名で伝承されている。上川根村ではその昔2人若者夜空に幟のようなものが空を登って行くのを見つけ、見越しといって驚いたという話がある。 また静岡県庵原郡両河内村(現・静岡市)ではお見越しともいって、道端にいる人に小坊主の姿で話しかけ、話している途中次第に背が高くなり、その様子を見続けていると気絶してしまうが、「見越したぞ」と言うと消えるという。道端優しい人の姿で現れ通りかかった人が話しかけると、話の内容によっては大きくなってみせるともいう。 熊本県天草郡一町田村(現・天草市)では、見越し入道発音同じだ漢字表記異な御輿入道として伝承されている。下田の釜という地の一本道現れるという身長5丈(約15メートル)の妖怪で、出遭った人を今にも嘗めるかのように舌なめずりをするという。ある者がこれに出遭い一心に神を念じたところ、入道恐れをなし、御輿のようなものに乗り、布を長く引いて山のほうへと飛び去ったという。

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ぬっぺふほふ」の記事における「類話」の解説

文化時代随筆一宵話』に、ぬっぺふほふ似たもの現れた話がある。 1609年慶長14年)、駿府城中庭に、肉塊のような者が現れた。形は小児のようで、手はあるが指はなく、肉人とでもいうべきものだった警戒厳し城内入り込む者は妖怪の類であろう思われたが、捕まえようにもすばやく動いて捕まえられない当時駿府城住んでいた徳川家康が、その者を外へ追い出すよう命じたため、家来たちは捕獲あきらめて城から山のほうへと追い出した。 後にこの話を聞いた薬学に詳しい者は、それは中国古書にある「封(ほう)」というもので、白沢図にも記載があり、この肉を食べれば多力を得る仙薬になった口惜しがったという。

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目目連」の記事における「類話」の解説

山田野理夫著書『東北怪談の旅』には「障子の目」と題し江戸商人津軽材木を買いに行き宿代もったいないと言って空き家泊まったところ、障子無数の目現れたが、商人恐れどころかこれらの目を集めて持ち帰り眼科医売り飛ばしたという話がある。 また、ある南部藩士が布団入って寝ていたところ、足元に目玉転がっており、その目からもう一つの目が生まれ、その繰り返し周り目玉いっぱいになり、あくる朝には藩士自身の目がなくなっていたという話もあり、水木書籍においては目目連一種とされている。

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油坊」の記事における「類話」の解説

油にまつわる怪異各地伝承がある。江戸時代怪談本『古今百物語評判によれば比叡山全盛期延暦寺根元中堂油料得て栄えていた者が、後に没落し失意のうちに他界し以来、その家から根元中堂怪火飛んでいくようになり「油盗人(あぶらぬすっと)」と呼ばれたという。噂を聞いた者がこれを仕留めようとしたところ、怒り形相坊主生首火炎吹いていたという(画像参照)。 摂津国昆陽(現・兵庫県伊丹市)でも同様に中山寺から油を盗んだ者の魂とされる怪火を「油返しあぶらかえし)」といい、初夏の夜や冬の夜昆陽池のそばにある墓から現れ、池や堤を通り天神川から中山へ登って行くという。狐の嫁入りという説や、墓にいるオオカミ灯す火との説もある。『民間伝承』にはこの怪火特徴について「この火は、パッ〱〱〱とつくと、オチャ〱〱〱と聲がしトボ〱〱〱とセングリ〱と後へかへらずにせいてとぼる」とある。この文の意味専門家でも意味不明とされるが、火の中からこのような話し声聞こえるとの解釈もある。 また新潟県南蒲原郡大面村(現・三条市)では、滝沢家という旧家で、家の者が灯油粗末に扱うと「油なせあぶらなせ)」という妖怪が「油なせ」(「油を返せ」との意味と言いながら現れたといい、村人たち病死し滝沢家次男化けて出た噂していたという。この油なせ怪火ではないが、民俗学者柳田國男はこれを油坊関連するものとしている。

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磯撫で」の記事における「類話」の解説

島根県邇摩郡温泉津町(現・大田市)には「影鰐(かげわに)」という怪魚が伝わる。出雲地方の海に棲む怪魚で、海面映った船乗りの影を飲み込み、影を奪われた者は必ず死んでしまうという。 影を飲まれそうになった船夫逆に影鰐を銃で撃ち殺したところ、陸に上がって浜を歩いているとき、影鰐の骨が足の裏刺さって死んでしまったという。

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赤い紙、青い紙」の記事における「類話」の解説

民話文学の会」の1986年会報に、当時から約20年前の怪談として「赤いはんてん」というものが報告されている。ある中学校で、女生徒トイレ用を足していると、「赤いはんてん着せましょか」と声が聞こえてきた。怖くなった女生徒後で学校の教師相談すると、教師同様の体験をしたと発覚学校側依頼により警察の捜査入り婦人警官問題トイレ入った件のに対して婦警が「着せてみなよ!」とすごむと、次の瞬間には婦警悲鳴響いた。他の警官たち駆けつけると、婦警血まみれの姿で倒れており、壁に飛び散った血痕斑点はんてん模様になっていた……という話である。この類話として、女子大トイレ同様の怪異があり、トイレ入った婦警同様に凄みを利かせると、トイレからナイフ持った手が飛び出して婦警胸を突き刺した、という話もある松谷 1987, pp. 9394稲川淳二怪談にも同様に「赤い半纏」というものがあり、舞台終戦直後学校とされ、怪異起きたトイレでは「あかーい半纏着せましょか♪」と歌が聞こえていたという。稲川が後に明かした裏話によれば、この話の元は、稲川パーソナリティ務めたラジオ番組怪談特集際し年配の女性リスナーから寄せられた自らの体験談だという。稲川が後に独自に調査してみると、この学校は、戦時中神風特攻隊隊員の寮として使われていたらしい終戦後、ここへ特攻隊員母親訪れたトイレ行ってみると、そこには、出撃直前隊員たちが記念に書き残した自分の名前がたくさんあった。その中に自分息子の名を見つけた母親は、その場で自ら命を絶ったという。その母親怨念が、「赤い半纏」の声の正体ではないかというのが稲川見解である。 ラジオ寄せられ体験談ハガキ寄せられたものであるため、「あかーい半纏着せましょか♪」のメロディ稲川オリジナルである。しかし稲川による歌声あまりに強烈なインパクト持っていたためか、後にこの話が広まってテレビで語られた際、歌の部分稲川考えたメロディそのままであったため、たまたまその番組を観ていた稲川驚かせた。

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油すまし」の記事における「類話」の解説

熊本ではこの油すましと同様、妖怪噂話をするとその妖怪現れるといった怪異譚が他にも伝えられている。 油すまし同じく天草島民俗誌によれば天草郡一町田村益田(現・天草市)で、「うそ峠」という場所を通りかかった2人連れが「昔ここに、血のついた人間の手落ちてきたそうだ」と話すと「今もー」と声がして、その通りの手が坂から転がり落ち2人逃げ切った後に「ここでは生首落ちてきたそうだ」と話すと、また「今ああ……も」と声がして生首転がり落ちてきたという。 また下益城郡豊野村(現・宇城市下郷小畑では「今にも坂」という場所で大入道現れるというが、その話をしながら坂を通ると、「今にも」と声がして大入道現れたという。

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おむすびころりん」の記事における「類話」の解説

「豆つぶころころ」では、豆を追いかけおじいさんねずみ浄土のあとに、鬼が博打をしている黒い障子の家に行く。鬼の家でおじいさんにわとり鳴き真似をする。 また、ねずみ浄土」と「おむすびころりん」は別々の昔話として区分している書籍もある。「地蔵浄土」ではおむすびでなく団子が転がる。

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大首」の記事における「類話」の解説

江戸時代怪談随筆など古書には、巨大な女の生首現れという事例が多数あり、ほとんどは女性で、既婚女性の証としてお歯黒付けていることが特徴である。それらの正体は、人間怨霊執念妖怪化したもの、あるいはキツネタヌキ化けたものといわれている。 山口県岩国怪談集『岩邑怪談録』には「古城化物の事」と題し、ある女が御城山という山で一丈(約3メートル)の女の生首遭い、にこにこと笑いかけられたとある。江戸時代俳人堀麦水による奇談集『三州奇談』では、金沢雨上がり夜に月が顔を出し始めた頃、と共に大きさ6~7尺(約1.8~2メートル)ほどの大首現れたとあり、塀の上大きな首が乗っていたこともあるという。また、ある者がこの大首に息を吐きかけられその場所が黄色く腫れて具合悪くなり、医者薬湯処方してもらって治ったという話もある。 『四谷怪談』の祖形といわれる文化時代読本近世怪談霜夜星』では、策略に陥れられて命を絶った女性怨霊が、鎌倉の地で巨大な大首となって現れた姿が描かれている。 江戸時代よりさかのぼって平安時代にも、「面女(つらおんな)」と呼ばれる巨大な女の首の妖怪出現したとある。恋川春町黄表紙妖怪仕打評判記によれば平清盛福原遷都した夜にも、この面女が現れたという。

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天井下り」の記事における「類話」の解説

江戸時代怪談集宿直草』にある「甲州辻堂化け物のある事」によれば甲州(現・山梨県)で山中お堂天井裏化け物住み着きお堂泊まった旅人を捕えて食らっていたという。 山梨県北巨摩郡民間伝承によれば夜中天井から「天吊るし(てんづるし)」という稚児のような姿のものが現れたという。特に人間危害をあたえるわけではなく、ただ現れるだけである。書籍によっては天井下りの類話として扱われているものの、天吊るし民間伝承天井下り前述のように創作物とされているため、類話とはいえないとの指摘もあるが、天吊るしもまた創作され妖怪とする説もある。

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蟹坊主」の記事における「類話」の解説

播磨国(現・兵庫県明石市林崎北方)、国道沿線和坂(かにが坂)があり、『播磨名所巡覧図絵』によると、昔この坂に大きなカニ化け物現れては人々苦しめていたので、かにが坂と名づけられたと言う弘法大師回国の際、この地に訪れた大師は民の苦しみ憐れんでこのカニ封じ込めたため、この坂を通る人たちは平穏な旅が続けられたという。 伊豆地方には滝壺3.3メートル四方もの巨大なカニ住みついており、これが動くと地震が起こるなどともいわれた。

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千両蜜柑」の記事における「類話」の解説

落語たちきり」のでは、本作同様に値打ち誤解から起こる笑いテーマにした小噺演じられる。 昔の芸者小屋では、芸者お座敷に入ると線香に火をつけ、それがたち切れるまでの時間本数計り、客が帰る際に一本二本・・・と言って料金請求していた。 その話を聞いた田舎者女中は、線香の束を盗んで逃げてしまった。

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おばりよん」の記事における「類話」の解説

この「おばりよん」の昔話のように、「取っつく引っつくか」「おぼさりたい、だかさりたい」「ばろんばろん」などの得体の知れない声に対し、それを恐れない豪胆な者や善人が「取っつくなら取っつけ、引っつくなら引っつけ」「おぼさりたからおぼされ、だかさりたからだかされ」「負(ば)れたかったら負れろ」などと返すことで富を得るという話は、新潟以外にも日本全国各地見られ昔話研究において「取っ付く引っ付く」という類型分類されている。 本来は「取っつくなら取っつけ」と言ったに対して、何か化物現れるではなく、単に小判がたくさ飛んできて体に貼りつくという話であり、「おばりよんのような妖怪化物がその者に背負われて後に金に変るという話は、この類型から大きく変化したものと考えられている。富を得るエピソードが完全に欠如して、単に妖怪人間に害をなす話や、そうした妖怪狐狸仕業として人間退治するという話に変化していることも多く特定の屋敷、峠、坂道など特定の場所にこうした妖怪出没するとして、伝説化している地方少なからずある。 新潟南蒲原郡では、おばりよんは「バロウギツネ」というキツネだといい、人間化けて「バロウバロウ(負われよう、の意)」と鳴くものといわれ、これを退治したという昔話もある。大阪府南河内郡伝承にある化け狸負われ坂」を、おばりよん一種とする説もある。徳島県怪石オッパショ石」も、おばりよん同一視されていることもある。 また、備後国比婆郡地方(現・広島県庄原市)では「おいがかり」といって歩いている人の背後覆いかかってくる妖怪伝わっているが、これもおばりよん一種考えられている。

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釣瓶落とし」の記事における「類話」の解説

釣瓶落とし類する妖怪ほぼ日全国類似例があるものの、ほとんどは名前のない怪異であり、「釣瓶下し」「釣瓶落とし」の名称が確認できるものは東海地方近畿地方のみである上、釣瓶落ちるのもそれらの地域のみであり、そのほかは木から火の玉落ちてくる、焼けた鍋が落ちてくるなど、火に関連したものが多い。 たとえば山形県山辺町では鍋下ろし(なべおろし)といって子供日暮れまで遊んでいると、スギの木の上から真っ赤に焼けた鍋が降りてきて、子供をその鍋の中入れてさらってしまうといわれる島根県鹿足郡津和野町笹山足谷には大元神おおもとがみ)を祀る神木と祠があり、周辺の木を伐る松明のような火の玉落ちてきて大怪我をするという記述がある。静岡県賀茂郡中川村(現・松崎町)では鬱蒼とした木々の間に大岩があり、そこに毎晩のようにほうろく鍋が下がったという。青森県妖怪イジコも、木のから火が降りてくるものとの解釈もある。

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ウィッティントンと猫」の記事における「類話」の解説

による出世要素とする類話は、イギリス以外の国に古来から様々なものが存在することが19世紀以来指摘されている。この要素は後の民話学では「ウィッティントンのモチーフ(N411.2)に分類されている。 イタリア類例2話指摘される。ひとつはロレンツォ・マガロッティ(英語版)(1732年没)が著したもので、アンサルド・デリ・オルマンニという16世紀商人2匹の猫カナリアという島の鼠を退治して大金褒美頂戴した話である。もうひとつは「雌猫の話」と題し教区司祭アルロット(英語版) (アルロット・マイナルディ、1484年没)『名言冗談』に収録される。これは、ジェノア商人が、やはりネズミ悩まされる島の王にを数匹進呈し大金褒美を得る話だが、後日談があって、別の商人が船に積んだ高価な品々をこの王に進呈してみたが、大金よりもよほど価値があろうと2匹下賜されたという。 似たような話は、13世紀ドイツ人史書掲載される。アルベルト・フォン・シュターデ(英語版)著『年代記』記述で、ヴェネツィア建国まもない頃、富豪交易行き貧者から預かった2匹大金換え帰還したという逸話である。これを類話として紹介したトマス・カイトリー英語版)は、かなり古い伝説とも考えられるが、イタリアで遅くとも13世紀知られ説話としか年代については確定できない考察している。 ペルシアの類話では、ケイシュキーシュ島)の伝説で、ある寡婦息子10世紀人物とされる)が によってインド財産築いたという話が『ワッサーフ史』(14世紀)に所収される。これがウィティントン伝説の類話であるとの指摘は、ジェームズ・ジャスティニアン・モーリア(英語版)(1818年)やウィリアム・ゴア・オウズリー(英語版)(1819年)による。 こうした類話の列挙は、トマス・カイトリーTales and Popular Fictions(1834年が行っており、いまだにない多くの類話を集めた自賛している。 「ウィッティントンと猫」は、グリム童話三人しあわせもの」(Die drei Glückskinder KHM 70)の説話群として、 ボルテ英語版) とポリーフカ(英語版)のグリム童話注釈書掲載されている。同書には、他の類話も言語ごとに列挙されるが、これには「ウィッティントンと猫」のオランダ語版ドイツ語版含まれている。 話型としては、 アールネトンプソン(AT)タイプ1651「ウィッティントンのタイプ分類される南方熊楠は、最古の類話が仏典の「鼠金舗主」(Rat Money Broker)であると論じた(「一疋の力に憑って大富成りし人の話」)が、これは鼠の死骸の餌として売りエンドウ豆交換し)それを元手商売成功したという話である。

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芭蕉精」の記事における「類話」の解説

日本でも芭蕉怪異江戸時代文献多く見られる中でも佐藤成裕による随筆中陵漫録』巻3に「芭蕉の怪」と題し、以下のように述べられている。 琉球では蕉園といって芭蕉から繊維をとるために芭蕉が数里も渡って植えられている場所があるが、夜更けにそこ通ると必ず異形の者遭うという。人がこれに遭っても驚くだけで直接的な害は受けないが、刀を手にしていればこの怪異避けられるという。佐藤成裕推測によれば芭蕉大きなを持つことから草木中でも一際大いなる者なので、その精霊が人を脅すのだろうという。 また琉球では、女性午後6時過ぎに芭蕉の茂る中を歩くことを戒められており、もしこの戒め破って芭蕉のもとを歩くと、美しい男性または様々な怪物遭い、それらを目にすると必ず妊娠させられてしまうという。身ごもった子供10ヶ月後に産まれるが、それは牙を生やした鬼のような恐ろしい子供で、しかもその後にも毎年同じよう子供産み続けてしまうという。この子供が生まれた際には熊笹粉末したもの飲ませて殺さなくてはならず、そのために家々では常に熊笹取り置いていたという。 『中陵漫録』の「芭蕉の怪」には琉球以外の芭蕉怪異譚もある。信州(現・長野県)で僧侶が寺で夜通し読書をしていたところ、どこからか美女現れて僧を誘惑した。僧は怒って短刀斬りつけると、女は血を流して逃げ去った翌朝、僧が血痕辿ったところ、その跡は庭まで続き、庭に植えた芭蕉切り倒されていた。人々は、芭蕉女に化けたのだろうと話したという。

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トモカヅキ」の記事における「類話」の解説

福井県坂井郡雄島村安島(現・坂井市)の海では、このトモカヅキ似た後ろ鉢巻姿の妖怪を海海女(うみあま)と呼び潜水業を行なう海女目撃されている。海女海の底潜って行くと妖怪の方は海上へと上がって行き逆に海女海上へと上がって行くと今度妖怪の方が潜って行くため、その姿をはっきりと捉えることはできない海女大勢作業行なっている際には現れることはなく、単独作業行なっているときのみ現れるという。また、この妖怪目にする病気見舞われてしまうともいわれている。

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夜泣き石」の記事における「類話」の解説

夜泣き石のように、石が声を発したり人を化かしたという伝承各地にある。岡山県苫田郡泉村箱(後の奥津町、現・鏡野町)の「杓子岩」(しゃくしいわ)は、夜に通行人に対して味噌をくれ」と言って杓子突き出したという。同県御津郡円城村(現・同県加賀郡吉備中央町にあったこそこそ岩」という巨岩は、夜に人が通りかかると「こそこそ」と音を立てたという。香川県琴南町(現・まんのう町美合山中の「オマンノ岩」は、近くを人が通りかかると、中から老婆現れて「おまんの母でございます」と名乗ったという。長野県北安曇郡小谷村大所の「物岩(ものいわ)」は、かつて命を狙われている者が付近通りかかったとき「殺されるぞ」と声を出し、命を救ったといわれる古来から日本人は石や岩を霊的なものとして崇拝しており、そうした霊的な存在妖怪にとって格好住処であったとされることが、こうした伝承背景考えられている。 古く奈良時代から例が見られ『続日本紀』宝亀元年770年2月23日条に、「西大寺東塔の心礎壊し捨てたが、石の大きさ一丈四方余り厚さ九尺で、東大寺の東の飯盛山にあったであった初め数千人で引き動かしたが、一日に数歩分しか進まず時には唸り声がした。そこで人夫増やして九日かかってやっと運んだその後加工されたが、男女の巫(みこ)の中に石の祟りがあるかもしれないという者があった。そこで積んで石を焼き三十石余りの酒を注いで細かく砕いて道路捨てた一か月後、天皇が病となった占った結果砕いた石の祟り出たので、石を拾い清らかな土地に置き、人馬ふまないようにした」と記述され古代から石が声を発し祟るものとい認識があったことがわかる。また、記・紀神話においても、天地開闢して間もない頃は、「石草ものいう」という表現みられる

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玃猿」の記事における「類話」の解説

神異経』によれば西方にいる「𧳜」はロバほどの大きさだが似ており、メスばかりでオスがいないので、人間男性を捕えて性交して子を孕むとあり(玃猿と同じ行動をするが性別が逆である)、玃猿類するものと考えられている。 日本では江戸時代玃猿日本国内にもいるものと信じられ同時代類書和漢三才図会』に「玃(やまこ)」の名で説明されており、同項の中で日本飛騨美濃(現・岐阜県)の深山にいる妖怪黒ん坊くろんぼう)」の名を挙げ思うに、これは玃の属だろうか」と述べられている。黒ん坊とは黒く大きなサルのようなもので、長い毛を持ち立って歩く。人語解する上に人の心を読むので、人が黒ん坊殺めようとしても、黒ん坊すばやく逃げるので、決し捕えることはできないという。 また、日本江戸後期随筆享和雑記』にも「黒ん坊」の名がある。それによれば美濃国根尾(現・岐阜県本巣市)の泉除川に住む女のもとには、夜になると幻のような怪しい男が訪れ、しきりに契ろうとしていた。村人たちはその者を追い払おうと家を見張ったが、見張りのいる夜に現れず、見張りをやめると現れた。そこで女は鎌を隠し持っておき、例の男が現れるや鎌で斬りつけると、男は狼狽して逃げ去った村人たち血痕を辿ると、それは善兵衛という木こりの家のもとを通り、山まで続いていた。善兵衛のもとには以前から黒ん坊仕事の手伝い来ており、それ以降黒ん坊現れなくなったため、この事件黒ん坊仕業といわれた。 『享和雑記』の著者は、これを『本草綱目』にある玃猿類するものとし、その特徴について『和漢三才図会』とほぼ同じことを述べているため、『享和雑記』は『和漢三才図会』を参考書かれたものと見られている。しかし『和漢三才図会』では前述のように「玃の属だろうかと書いてあるにすぎないため、黒ん坊玃猿同一のものとは言い切れないとの指摘もある。 日本江戸時代絵師鳥山石燕による妖怪画集『今昔画図続百鬼でも、玃猿の姿が「覚」として描かれており、本文中には黒ん坊のことが「飛騨美濃深山に玃あり」と述べられている。

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メリーさんの電話」の記事における「類話」の解説

その後うなったかを語らず、「あなたの後ろにいるの」で締め、「余韻恐怖」を演出するのが基本形であるが、派生として以下のようなパターンもある。 振り向いた殺される少女刃物刺される少女生死怪我具合は様々。 マンション舞台で電話の度に自分の住む階に近付いてくる。 轢き逃げをしたタクシーの運転手に、被害女性から電話がかかるパターン。名前はメアリーメリーなど様々で日本人場合もある。 リカちゃん人形怪奇譚と複合されパターン上記派生複合されたものも存在するチェーンメールでも伝播され、「メールを送らなければあなたも死ぬ」とされた。「彼女は大阪府岸和田市住んでいる」、としたものもあった。

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歌う骨」の記事における「類話」の解説

骨に限らず遺体一部から死者メッセージ伝えられる類話は世界中見られるドイツ民話に、貧し兄弟ではなく王さまの子供たち(姉と弟)が後継ぎ争って、弟が姉を殺して遺体埋める話がある。 また、日本でも似た筋書きの類話が多く採集されている。 詳細は「歌い骸骨」を参照 アフリカにもよく似た話が伝わっているが、猟師王様連れてくる事になっている。また奴隷貿易通じて新大陸連行され黒人たちの間でも「血まみれ骸骨の話」のエピソードひとつとして伝承されている。

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白蔵主」の記事における「類話」の解説

が僧に化けた話として京都相国寺に伝わる「宗旦狐」の話や、 寛保時代雑書『諸国里人談』巻五に記載の「伯蔵主」(沢蔵司澤蔵司)の話がある。

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夜雀」の記事における「類話」の解説

夜雀似た妖怪として、奈良県和歌山県に伝わる「送り雀」、高知県高岡郡東津野村(現・津野町)、津野山、同郡窪川町(現・四万十町)、愛媛南宇和郡城辺町(現・愛南町)に伝わる「袂雀(たもとすずめ)」があり、東津野村城辺町では夜雀同一視されている。送り雀については内部リンク先を参照津野山でいう袂雀は、スズメそっくりに「チ、チ、チ」と鳴き通行人前後ついてくるが、2人上で歩いていても、なぜかその中の1人だけしか聞こえないことが多いという。やはり山犬オオカミの出る前触れとされ、これが現れときには「大シラガ、小シラガ、峠を通れども神の子なけりゃあ通らんぞよ、あとへ立てておくぞよ、アビラウンケンソワカ」と唱え木の枝3本立てると袂雀はついて来ずオオカミ山犬現れるともないという。 窪川町でいう袂雀は、姿は見えない鈴を転がすように「チリチリ」という音が通行人背後からついて来るもので、これが袂に飛び込むことは不吉とされ、これの現れる所を通るときには日中通るか、複数人で通ることを心掛け、それが叶わないときには袂をしっかりと握って歩いたという。東津野村でも、袂雀憑かれないよう、袂を握って歩いたという。 愛媛城辺町では、袂雀鳴き声遮られ歩けなくなることがあるという。

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食わず女房」の記事における「類話」の解説

群馬県川田村では、女が「飯を食べる」・「連れ去られる要素のまったく無い話型採取されている。その昔話では、なまけ者な男が日頃から「うまい物が食べたいと言っていたところ、不思議な女が現われて男を叱りつけ、菖蒲を飾る事を教えて去ってゆき、男は働き者となって裕福になる

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浦島太郎」の記事における「類話」の解説

捜神後記所収の話。会稽の剡県に住む袁と根という男らが二人仙女同棲するうになるが、あるとき留守機に帰郷図って露見する強いて止められず、腕嚢を渡され開けることを禁じられる。根の家族詮索して五重の嚢を開いてしまうと、その後、根は蒸発してしまった。それは蝉脱した(仙人となった)といわれた。 『水経注』に、晋代王質という男が山の洞窟で4人の童子が琴を弾いて歌っているのをしばらく聴いた後、家に戻るといつの間に数十年の時がたっていたという話がある。 唐代薛瑩の撰による『竜女伝』。震澤の洞庭山洞窟公[月+它]という漁師転げ落ちて竜宮にたどり着き10日過ごして帰参東海竜王第七女を主とするその竜宮に、今度武帝が羅子春兄弟使者遣わし竜女より返礼として宝珠を得る。使者たちは龍に乗って瞬く間に返る。ただ、もてなし料理は、包みを開くと石のように固くなってしまった。 中唐時代李朝威(中国語版)によって書かれ伝奇小説柳毅伝(中国語版)」は若い書生柳毅竜王の娘を助け洞庭湖竜王のもとに赴き、後に娘をめとって竜王となる話である。柳毅竜王となった後、長い年月がたっても若いままであるが、それは仙薬よるものであると説明されている。 アイルランドのオシーン(英語版)が、海の乙女ニアヴ(英語版)に誘われて常若の国ティル・ナ・ノーグ)」で何百年かを過ごすという物語がある。 『クルアーン』の「洞窟の章」には、アッラーフによって309年洞窟眠っていた男達の話がある。これは「エフェソスの7人の眠り男」と呼ばれるローマ帝国迫害から逃れた人々洞窟閉じこめられたが、200年以上たった後、そのうち一人の男が目覚め街に姿を現したという説話元になっている。 12世紀フランス語書かれた『ガンガモールの短詩』では、タイトルヒーローが白い追跡するうちに最深部入り込み美し宮殿行きつく。彼はそこの姫君変身していた)と結ばれ3日楽しく過ごす。彼は親族再会するために出発するが、姫に「人間界との境である川を渡り終えたら、飲食控える」ようにと警告される。彼が故郷に戻ると親族300年前亡くなったと知る。彼が野生リンゴの木から実を3つ取って食べると、たちまち年老いて落馬し動けなくなる。彼は最後に姫君侍女によって女人の国にと連れ去られる

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灰坊主」の記事における「類話」の解説

東北地方には、灰をいじると妖怪現れるという伝承が多い。岩手二戸郡では、炉の灰を弄ぶ者は「アマネサク」という妖怪によって灰の中に引き入れられ食べられてしまうといわれる。これは天邪鬼こととする説もあり、福島県一部でも炉から現れるものが「アマンジャク」と呼ばれている。また、柳田國男著書遠野物語拾遺によれば遠野地方でも炉の灰を掘ると「ボコ」という妖怪現れるという。 青森県では、頭の上に口がある「あぐばんば」が囲炉裏中におり、灰をいじると現れるという。秋田県由利郡象潟町(現・にかほ市)などではこれを「灰ばばあ(はいばばあ)」ともいって、灰をいじる子供さらって頭上の口で食べたり年に一度、若い娘をさらったりするという。 灰坊主実際に現れたという伝承確認されていないこともあって、これら一連の妖怪は、囲炉裏の灰を悪戯してはいけないという教訓として生み出され妖怪考えられている。

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子泣き爺」の記事における「類話」の解説

子泣き爺と同様、赤ん坊のような産声をあげるという「ごぎゃ泣き(ごぎゃなき)」という妖怪四国伝わっている。高知県高岡郡新居の浜や幡多郡坂の下では色白赤ん坊で、夜道歩く人の足にまとわりつくが、草履を脱ぐと離れるという。美馬郡木屋平村(現・美馬市)では、山中徘徊する一本足妖怪でこれが泣く地震が起こるともいう。このごぎゃ泣き一本足といわれることから、子泣き爺一本足との説もある。柳田は『民間伝承』において、ごぎゃ泣きのことを「子泣き爺のことをいうらしい」と述べている。 山田野理夫著書『東北怪談の旅』には、青森県津軽平内の「児泣き婆(こなきばばあ)」という怪談がある。和井内という者が山中迷い1人老人出会い老人の家に泊まることになった途中の道で赤ん坊泣き声聞こえ老人赤ん坊拾い上げた。さらに泣き声聞こえたので、行拾おうとすると、顔は皺だらけの婆で、重くて手にできなかったが、老人たやすく拾い上げた。やがて家に着き老人はその赤ん坊を鍋に入れて始めた。しばらく後に鍋の蓋を開けると、中身カボチャだった。翌日昨日食べたものはカボチャかと行尋ねると、老人は児泣き婆だと答えたという。 ただし『東北怪談の旅』収録されている伝承著者創作とみられるものが多いため、「児泣き婆」という妖怪山田野理夫創作である可能性指摘されている。 茨城県にも似た伝説はあるが、怪力授与説話となっている。ある女性戸村義国に対して少しの間赤ん坊持っていてほしいと渡すと、5貫、10貫、20貫と重くなっていったが、それに耐えきったため、女性はその力を認めて消えていった。その夜枕元白髪の老婆現れ観音であると名乗り怪力授けたという。

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塗壁」の記事における「類話」の解説

野襖のぶすま高知県幡多郡妖怪。夜、道を歩いている人の行く手に襖(ふすま)のような壁ができ、上下左右どこまでも際限なく壁が続いており、野襖だと気づいた者は途端に気絶してしまう。これに立ちふさがれときには落ち着いて煙草でもふかしていると、自然に消えるという。 越前国石徹白村(現・岐阜県郡上市福井県大野市)にも、名称はないものの、タヌキが道に襖をはって通行人行く手をふさぐという同様の怪異伝わっている。 壁塗りカベヌリ1969年昭和44年)には、 熊本県出身民俗学者丸山学によって「壁塗り」(かべぬり)という妖怪伝承報告されている。夜の道に黒い壁が現われ行く手さえぎったという。丸山報告内容には伝承地記載が無い。 大分県臼杵市妖怪による町の振興を行う臼杵ミワリークラブの調査によれば壁塗りは同市内にも伝承残っているものであり、観光用絵葉書まで売られているほど有名なものであったとされるヌリボウ(塗坊) 郷土史家山口太郎著書によると、壱岐国壱岐島(現・長崎県壱岐市)では、夜の山道山側から突き出してくるといわれる柳田國男はこれを塗壁似たものとして「妖怪名彙」に分類しているが、原典ではどのような形態ものかは詳しく述べられておらず、何を根拠として塗壁同類とされているのかは不明。(路上出現する怪異であること、名称が似ていることから塗壁の類話とされたとの説もある)。 昭和・平成以降妖怪関連文献では、灰色化け物であり、棒で叩くか、路傍の石などに腰をかけて一服しているとじきに消え去るなどとの解釈もある。 シマーブー 鹿児島県奄美群島喜界島に伝わる妖怪夜道歩いていると、目の前に広げたのようなものが急に現れ、道を塞ぐという。 道塞ぎ(みちふさぎ) 1957年昭和32年)の夏の日夕暮れに新潟県長野県県境位置する苗場山で、ある老人遭遇したという怪異釣り帰り道突如見たともない大滝現れ行く手阻まれ後方には見たともないマツ大樹と、見上げるような大岩現れそのまま滝と岩が自分迫ってきて身動きできなくなってしまったという。老人その場一夜を過ごす羽目になったが、夜が明けと共にこの怪異消え去ったという。 水木しげるの、ラバウルの体験 水木しげる著書において、第二次世界大戦での従軍中に南方ラバウル塗壁と同じものに遭遇した体験談語っている。敵軍襲われ仲間はぐれて深い森ひとりで逃げ惑っているうちに、コールタール固めたようなものが前方に立ち塞がって行く手阻まれ右も左もその壁に囲まれ身動きできない途方に暮れているうちに、疲労から数十休んでいると、この壁は消えたという。 青木ヶ原樹海の見えない壁 霊能者宗優子によると、テレビ番組撮影青木ヶ原樹海入った際、制作スタッフたちの前にのようなものが立ちはだかったといい、樹海での自殺者たちがこれ以上進まぬようにと壁を作ったではないか語っている。 このほかにも、路上出現し通行人歩行阻む妖怪に、衝立狸蚊帳吊り狸がある。また、中国には鬼打牆などと称される同様の妖怪存在する詳細それぞれの内部リンク先を参照

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類話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 02:20 UTC 版)

金の斧」の記事における「類話」の解説

日本では当初ヘルメース神を水神訳したためか、これを女神とすることが児童書などで一般的となっている。

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類話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/01/06 03:05 UTC 版)

足洗邸」の記事における「類話」の解説

本所七不思議一つ置行堀正体タヌキであり、そのタヌキ足洗邸類似した怪異起こしたという話がある。1765年明和2年)、置行堀タヌキが人に捕えられて懲らしめられ、瀕死の重傷負っていた。偶然通りかかった小宮山左善という者が哀れに思い、彼らに金を与えてタヌキ逃がしたその夜タヌキが女の姿に化けて左善の枕元現れ、左善の下女悪事企んでいると忠告して姿を消した。しばらく後、左善は下女恋人浪人者殺害されてしまった。数日後、左善の一人息子の膳一のもとにタヌキ現れ真相教えた。膳一は仇討ち挑むが、敵は強く逆に追いつめられてしまった。そこへ、タヌキが左善の姿に化けて助太刀し、膳一は仇を討つことができた。以来、家に凶事起る際には前触れとして、天井から足が突き出すようになったという。 また、嘉永年間六番町住んでいた御手洗主計という旗本の家でも「大足」または「御手洗氏足洗いといって同様の怪異起きたといわれる雑物庫の戸がひとりでに開いて巨大な右足現れ、これを洗ってやると今度左足現れる両足とも洗い終えると足が引っ込んで戸が閉まるというものだった大足退治するべく刀で斬りつけても煙を斬るように効果がなく、祈祷追い払おうものなら大足暴れ回って祈祷者を踏みにじり、雑物庫の中を滅茶苦茶暴れ回って中の品物を壊す有様だった。しかしこの大足は迷惑がられるどころか以前雑物庫に忍び込んだ泥棒踏みつけ捕まえたことがあり、御手洗家ではこの足を家宝守護者として「ご隠居」と呼び、家の大事なものはすべてその雑物庫にしまっていた。いつしか女性洗わないと足は引っ込まないようになったが、主計がこの仕事のために女を雇っても、すぐに嫌がって仕事辞めてしまった。この怪異明治時代前期まで言い伝えられやまと新聞1887年明治20年4月29日付の記事でも報じられた。

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類話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/26 17:35 UTC 版)

太陽の東 月の西」の記事における「類話」の解説

スウェーデンでのバージョンは『Prince Hat under the Ground』と呼ばれている。 アールネ・トンプソンのタイプ・インデックスの「425A 失われた夫の捜索」の説話タイプ属する他の物語には、『ノロウェイの黒牛(英語版)』、『The King of Love』、『ノルウェー茶色いクマ英語版)』、『The Daughter of the Skies』、『ブタ結婚した王女英語版)』、『ズキンガラスと妻(英語版)』、『Master Semolina』、『ローズマリー小枝英語版)』、『魔法かけられヘビ英語版)』そして『白クマ王ヴァレモン(英語版)』が含まれる

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類話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/10/30 07:23 UTC 版)

旧鼠」の記事における「類話」の解説

国書刊行会絵本百物語 桃山人夜話』にて類話とされているものに、江戸時代随筆集三州奇談』に収められ大ネズミ「妖鼠(ようそ)」の奇談があり、同書では以下のように述べられている。 越中国(現・富山県)の五社道明の間に、古墳多くある墓地があり、そこに妖鼠が住み着いて周囲動物たち取り殺していた。1778年安永7年)、五社の伊兵衛という剛力若者夜更けにそこを通りかかったところ、路傍の塚が突然崩れて何者かが飛びついてきた。伊兵衛はその者をつかんで2,3間(約4,5メートル投げ飛ばしたが、相手宙返りし噛みついてきた。伊兵衛蹴り飛ばしたが、なおも相手飛びつき、体中噛みついた。怒り心頭の伊兵衛がその者を捕えて力任せに締め上げると、ついに相手は血を吐いて死んだ。それは体長2尺(約60センチメートル)、尾が2尺ほどある大ネズミだったという。

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類話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/29 02:31 UTC 版)

アラサラウス」の記事における「類話」の解説

アイヌでは「イワサラウス」といって大きな体に毛が全くなく、6本の尾がある妖怪伝承もあるが、これもアラサラウス同じくクマ化け物だとする見方もある。

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類話

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/01/24 05:17 UTC 版)

野宿火」の記事における「類話」の解説

寛保時代雑書『諸国里人談』には「囃」(もりばやし)と題して以下のような話が述べられており、『絵本百物語』の「野宿火」は、この「囃」を描いたものと考えられている。 享保時代初期信濃坂(現在の岐阜県中津川市長野県阿智村の境にある神坂峠)である年の夏、毎晩のようにどこからか囃子の音が聞こえ、笛や太鼓数人の声が十町(約1キロメートル四方に響くようになった。それらの音は近くの中から音がすることが次第わかったが、その場所では篝火焚かれているのみで、人の姿はなく、ただ囃子の音だけがしていた。翌朝その場所を見ると、木の枝燃えさし、1尺ほどに切られた竹などが捨てられていた。噂を聞いた人々は、面白がってこの怪異を目にしようと、その地に多く見物人が集まるようになった。やがて、秋、冬と季節流れに連れて囃子の音は弱まっていったが、翌年の春頃には、謎の囃子原因一向につかめないことから人々恐怖心抱き囃子流れ夜になると決し外出しないようになった。春が過ぎると囃子の音は途絶え、ついに正体わからないままだったという。

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