妖怪画
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古典の妖怪絵巻のうち、百鬼夜行絵巻に類する『百鬼ノ図』(国際日本文化研究センター蔵)に、白い布から四肢が生えて歩くような、もしくは四肢を持つ動物が白い布をかぶっているような妖怪が描かれており、これが「白坊主」と呼ばれることがある。
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妖怪画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 08:28 UTC 版)
単に見越し入道といっても、妖怪画では様々な姿として伝えられている。江戸時代の妖怪絵巻『百怪図巻』(画像参照)や妖怪双六『百種怪談妖物双六』では、顔や上半身のみが画面に大きく捉えられているのみで、身体的特徴ははっきりとしない構図となっている。鳥山石燕の妖怪画集『画図百鬼夜行』に「見越」の題で描かれた見越し入道(画像参照)は大木の陰から覆い被さるように出現した様子を捉えたもので、首が長めになっているが、これは背後から人を見る格好で、ろくろ首のように首の長さを強調しているわけではない。 このように巨大な妖怪という特徴で描かれた見越し入道が存在する一方で、江戸時代のおもちゃ絵などに描かれた首の長いろくろ首かとさえ思える見越し入道も決して珍しくない。ろくろ首との関連を思わせるものも存在し、ろくろ首の伝承の多くが女性であることから、男性版のろくろ首とも例えられることもある。この首の長さは時代を下るにつれて誇張されており、江戸後期には首がひょろ長く、顔に三つ目を備えているものが定番となっている。妖怪をテーマとした江戸時代の多くの草双紙でも同様に首の長い特徴的な姿で描かれており、そのインパクトのある容姿から、妖怪の親玉として登場することがほとんどである。 これらのようなところにも、多様で複雑に影響しあって妖怪世界が形づくられていった様子が垣間見えるとの意見もある。 北尾政美による黄表紙『夭怪着到牒』(1788年)では、尼入道(あまにゅうどう)という毛深くて長い首を持つ女の妖怪が登場しており、これは女性版の見越し入道とされている(画像参照)。
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妖怪画
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江戸時代には図鑑様式の妖怪絵巻が多く制作されており、猫又はそれらの絵巻でしばしば妖怪画の題材になっている。1737年(元文2年)刊行の『百怪図巻』などでは、人間女性の身なりをした猫又が三味線を奏でている姿が描かれているが、江戸時代当時は三味線の素材に雌のネコの皮が多く用いられていたため、猫又は三味線を奏でて同族を哀れむ歌を歌っている、もしくは一種の皮肉などと解釈されている。芸者の服装をしているのは、かつて芸者がネコと呼ばれたことと関連しているとの見方もある(冒頭の画像を参照)。 また1776年(安永5年)刊行の『画図百鬼夜行』では(右側の画像参照)、向かって左に障子から顔を出したネコ、向かって右には頭に手ぬぐいを乗せて縁側に手をついたネコ、中央には同じく手ぬぐいをかぶって2本脚で立ったネコが描かれており、それぞれ、普通のネコ、年季がたりないために2本脚で立つことが困難なネコ、さらに年を経て完全に2本脚で立つことのできたネコとして、普通のネコが年とともに猫又へ変化していく過程を描いたとものとも見られている。また、アメリカ合衆国のボストン美術館にビゲロー・コレクション(浮世絵コレクション)として所蔵されている『百鬼夜行絵巻』にもほぼ同様の構図の猫又が描かれていることから、両者の関連性も指摘されている。
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妖怪画
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鳥山石燕は壮年以後に出版された『画図百鬼夜行』をはじめとする版本で特にその名を知られるようになり、代表作となる。石燕の描く妖怪画は、後年葛飾北斎や歌川豊国・歌川豊広が合巻や読本などで描いている恐怖心や嗜虐性をいたずらにかきたてる種類のものではなく、『百鬼夜行絵巻』などの妖怪絵巻や赤本の「化物づくし」などに見られてきた、むしろ微笑みや奇妙さを誘う作風であるのが特徴である。 石燕の妖怪画は後世の画家たちにも多くの影響を与えており、石燕による作品がそのまま「妖怪」そのものを示すデザインとして用いられたりすることも多い。 昭和以降の日本あるいは日本人のもつ妖怪のイメージは漫画家・水木しげるに拠るところも大きいが、水木自身も妖怪画を石燕作品に取材したものが多く、日本人の思い描く妖怪の一角は水木を経ても石燕の著作によって大きく占められている。
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妖怪画
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江戸時代の国語辞典『俚言集覧』には「古法眼元信化物画」とのみ解説されている。また、『嬉遊笑覧』に引かれている古法眼元信が描いた「化物絵」に描かれていたとされる妖怪の中にも「ぬらりひょん」 の名称が確認でき、『百怪図巻』(1737年,佐脇嵩之)、『百鬼夜行絵巻』(1832年,尾田郷澄、松井文庫所蔵)など多くの絵巻物にその姿が描かれている。特徴的な形状をしたはげ頭の老人で、着物もしくは袈裟を着た姿で描かれている。解説文が一切無いためにどのような妖怪を意図して描かれたかは不明である。 江戸時代に出版された浮世草子のひとつ『好色敗毒散』には「その形ぬらりひょんとして、たとえば鯰に目口もないようなもの、あれこそ嘘の精なれ」という用例が見られ、のっぺらぼうのような形容詞としても使われていたことが知られる。 鳥山石燕は『画図百鬼夜行』で駕籠から下りる姿のぬらりひょんを描いている。絵巻物と同様に解説文などがないため、詳しいことが伝えられていないが、乗り物から降りることを「ぬらりん」と言ったことから、ぬらりひょんの名と掛けた描写ではないかと考えられている。また、遊里通いの放蕩者として描いたとする説もある。京極夏彦・多田克己などは、「ぬらり」は滑らかな様子、「ひょん」は奇妙な物や思いがけない様子を意味し、ぬらりくらりとつかみどころのない妖怪であるところから「ぬらりひょん」という名称がつけられたのではないかとしている。また、『画図百鬼夜行』では名称の表記が「ぬうりひょん」となっているが、文献や絵巻物での先例などからこれは単純な誤記であると考えられている。
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妖怪画
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塗壁の姿は、漫画家・水木しげるが妖怪画や漫画『ゲゲゲの鬼太郎』のキャラクターとして提供する塗壁の、目と手足を持つ巨大な壁のような姿が一般化しているが(#現代的大衆文化と塗壁にある画像を参照)、これはあくまで伝承を元にした創作キャラクターであり、近代以前の絵画にそのような姿を描いたものは確認されていない。江戸時代の妖怪譚『稲生物怪録』の諸本に描かれている絵の中には、家の壁に目と口が現れて人を睨むという怪異の絵が描かれている。狩野由信の妖怪画などの発見される前は、この怪異を塗壁の祖形なのではないかとする仮説もあった。 2007年(平成19年)8月、川崎市市民ミュージアムの学芸室長・湯本豪一(当時)の所有する妖怪絵巻『化物づくし絵巻』(奥書には1802年(享和2年)に南部藩の御用絵師・狩野由信が室町時代の絵などを参考に制作したものとある)に収録されている妖怪画のひとつが、「塗壁」を描いたものとして発表された。本来この妖怪画は絵のみで名前が記されておらず、何を描いたものか不明であったが、2007年(平成19年)1月、アメリカ合衆国のユタ州にあるブリガムヤング大学のハロルド・B・リー図書館のL・トム・ペリー特別文庫が所蔵するハリー・F・ブルーニングコレクションの一つである『化物之繪』の妖怪画(画像参照)と一致し、後者に「ぬりかべ」と名称が記載されていたことから名称が判明した。この「ぬりかべ」の絵は、どちらも3つ目の獅子か犬のような姿の妖怪が描かれている。 「ぬりかべ」の絵巻物の発表により、一部のメディアでは「江戸時代の絵巻にすでに塗壁の姿があった」と報道された。また、水木しげるも「貴重な資料」として喜びのコメントを寄せている。以上のことを受け、2007年以降に発行された妖怪関連の文献では、この「ぬりかべ」の姿(3つ目の獅子か犬のような姿)を塗壁の姿として採用している例がある。 しかし、妖怪研究家の京極夏彦、多田克己、村上健司、この絵巻の発見を朝日新聞上で記事として執筆した同社の記者・加藤修らは、妖怪専門誌『怪』誌上での座談会において、この絵巻の「ぬりかべ」と伝承上の「塗壁」が同一のものかどうかは不明と意見している。性質などを含めた文献上の塗壁の記録は、昭和期の柳田國男による民間伝承の採取が初出であるとされ、名前が同じでもまったく別の妖怪は他にも例があることから、偶然に名前が一致したにすぎない無関係の妖怪とする説や、「ぬりかべ」の名を記した絵巻・もしくはその名称のみが九州地域に流布し、通行人の目の前が塞がれるという怪異にあてはめられ、民俗語彙として採り入れられた可能性もあるとの説も示唆されている。民俗学者の小松和彦らによる2009年(平成21年)の書籍『日本の妖怪』でも、この絵巻の「ぬりかべ」と伝承上の塗壁との関連性は「不明」とされている。絵巻発表の4年後の2011年(平成23年)に、湯本が『怪』誌上で同絵巻を取り上げた際にも、絵巻物の「ぬりかべ」と九州に伝承されている「塗壁」が同一のものであるかは特定されていない。
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