妖怪画とは? わかりやすく解説

妖怪画

作者正宗白鳥

収載図書日本幻想文学集成 21 正宗白鳥 冷涙
出版社国書刊行会
刊行年月1993.7


妖怪画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/28 03:23 UTC 版)

白坊主」の記事における「妖怪画」の解説

古典妖怪絵巻のうち、百鬼夜行絵巻類する百鬼ノ図』(国際日本文化研究センター)に、白い布から四肢生えて歩くような、もしくは四肢を持つ動物が白い布をかぶっているような妖怪描かれており、これが「白坊主」と呼ばれることがある

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妖怪画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 08:28 UTC 版)

見越し入道」の記事における「妖怪画」の解説

単に見越し入道といっても、妖怪画では様々な姿として伝えられている。江戸時代妖怪絵巻百怪図巻』(画像参照)や妖怪双六百種怪談妖物双六』では、顔や上半身のみが画面大きく捉えられているのみで、身体的特徴ははっきりとしない構図となっている。鳥山石燕の妖怪画集『画図百鬼夜行』に「見越」の題で描かれ見越し入道画像参照)は大木陰か覆い被さるように出現した様子捉えたもので、首が長めになっているが、これは背後から人を見る格好で、ろくろ首のように首の長さ強調しているわけではないこのように巨大な妖怪という特徴描かれ見越し入道存在する一方で江戸時代おもちゃ絵などに描かれた首の長いろくろ首かとさえ思える見越し入道決し珍しくないろくろ首との関連思わせるものも存在しろくろ首伝承多く女性であることから、男性版ろくろ首とも例えられることもある。この首の長さ時代を下るにつれて誇張されており、江戸後期には首がひょろ長く、顔に三つ目備えているものが定番となっている。妖怪テーマとした江戸時代多く草双紙でも同様に首の長い特徴的な姿で描かれており、そのインパクトのある容姿から、妖怪親玉として登場することがほとんどである。 これらのようなところにも、多様複雑に影響しあって妖怪世界が形づくられていった様子垣間見えるとの意見もある。 北尾政美による黄表紙夭怪着到牒』(1788年)では、尼入道あまにゅうどう)という毛深く長い首を持つ女の妖怪登場しており、これは女性版見越し入道とされている(画像参照)。

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妖怪画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:30 UTC 版)

猫又」の記事における「妖怪画」の解説

江戸時代には図鑑様式妖怪絵巻多く制作されており、猫又はそれらの絵巻でしばしば妖怪画の題材になっている1737年元文2年刊行の『百怪図巻』などでは、人間女性身なりをした猫又三味線奏でている姿が描かれているが、江戸時代当時三味線素材に雌のネコの皮が多く用いられていたため、猫又三味線奏でて同族哀れむ歌を歌っている、もしくは一種の皮肉などと解釈されている。芸者服装をしているのは、かつて芸者ネコ呼ばれたことと関連しているとの見方もある(冒頭画像参照)。 また1776年安永5年刊行の『画図百鬼夜行』では(右側画像参照)、向かって左障子から顔を出したネコ向かって右には頭に手ぬぐい乗せて縁側に手をついたネコ中央には同じく手ぬぐいかぶって2本脚で立ったネコ描かれており、それぞれ、普通のネコ年季たりないために2本脚で立つことが困難なネコ、さらに年を経て完全に2本脚で立つことのできたネコとして、普通のネコが年とともに猫又変化していく過程描いたとものとも見られている。また、アメリカ合衆国ボストン美術館にビゲロー・コレクション(浮世絵コレクション)として所蔵されている『百鬼夜行絵巻』にもほぼ同様の構図猫又描かれていることから、両者関連性指摘されている。

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妖怪画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 14:11 UTC 版)

鳥山石燕」の記事における「妖怪画」の解説

鳥山石燕壮年以後出版された『画図百鬼夜行』をはじめとする版本で特にその名を知られるようになり、代表作となる。石燕の描く妖怪画は、後年葛飾北斎歌川豊国歌川豊広合巻読本などで描いている恐怖心嗜虐性をいたずらにかきたてる種類のものではなく、『百鬼夜行絵巻』などの妖怪絵巻赤本の「化物づくし」などに見られてきた、むしろ微笑み奇妙さを誘う作風であるのが特徴である。 石燕の妖怪画は後世画家たちにも多く影響与えており、石燕による作品そのまま妖怪そのものを示すデザインとして用いられたりすることも多い。 昭和以降日本あるいは日本人のもつ妖怪イメージ漫画家水木しげる拠るところも大きいが、水木自身も妖怪画を石燕作品取材したものが多く日本人思い描く妖怪一角水木経て石燕著作によって大きく占められている。

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妖怪画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 08:38 UTC 版)

ぬらりひょん」の記事における「妖怪画」の解説

江戸時代国語辞典俚言集覧』には「古法元信化物画」とのみ解説されている。また、嬉遊笑覧』に引かれている古法元信描いた化物絵」に描かれていたとされる妖怪中にもぬらりひょん」 の名称が確認でき、『百怪図巻』(1737年,佐脇嵩之)、『百鬼夜行絵巻』(1832年,尾田郷澄、松井文庫所蔵)など多く絵巻物にその姿が描かれている。特徴的な形状をしたはげ頭老人で、着物もしくは袈裟着た姿で描かれている。解説文が一切いためにどのような妖怪意図して描かれたかは不明である。 江戸時代出版され浮世草子のひとつ『好色敗毒散』には「その形ぬらりひょんとして、たとえば目口ないようなもの、あれこそ嘘の精なれ」という用例見られのっぺらぼうのような形容詞としても使われていたことが知られる鳥山石燕は『画図百鬼夜行』で駕籠から下りる姿のぬらりひょん描いている。絵巻物同様に解説文などがないため、詳しいことが伝えられていないが、乗り物から降りることを「ぬらりんと言ったことから、ぬらりひょんの名と掛けた描写ではないか考えられている。また、遊里通い放蕩者として描いたとする説もある。京極夏彦多田克己などは、「ぬらり」は滑らかな様子、「ひょん」は奇妙な物や思いがけない様子意味しぬらりくらりつかみどころのない妖怪であるところから「ぬらりひょん」という名称がつけられたのではないかとしている。また、画図百鬼夜行』では名称の表記が「ぬうりひょんとなっているが、文献絵巻物での先例などからこれ単純な誤記であると考えられている。

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妖怪画

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 07:45 UTC 版)

塗壁」の記事における「妖怪画」の解説

塗壁の姿は、漫画家水木しげるが妖怪画や漫画『ゲゲゲの鬼太郎』キャラクターとして提供する塗壁の、目と手足を持つ巨大なのような姿が一般化しているが(#現代的大衆文化と塗壁にある画像参照)、これはあくまで伝承元にした創作キャラクターであり、近代以前絵画そのような姿を描いたものは確認されていない江戸時代妖怪譚『稲生物怪録』の諸本描かれている絵の中には、家の壁に目と口が現れて人を睨むという怪異の絵が描かれている。狩野由信の妖怪画などの発見される前は、この怪異塗壁の祖形なのではないかとする仮説もあった。 2007年平成19年8月川崎市市民ミュージアム学芸室長湯本豪一当時)の所有する妖怪絵巻化物づくし絵巻』(奥書には1802年享和2年)に南部藩御用絵師狩野由信室町時代の絵などを参考制作したものとある)に収録されている妖怪画のひとつが、「塗壁」を描いたものとして発表された。本来この妖怪画は絵のみで名前が記されておらず、何を描いたものか不明であったが、2007年平成19年1月アメリカ合衆国ユタ州にあるブリガムヤング大学ハロルド・B・リー図書館のL・トム・ペリー特別文庫所蔵するハリー・F・ブルーニングコレクションの一つである『化物之繪』の妖怪画(画像参照)と一致し後者に「ぬりかべ」と名称が記載されていたことから名称が判明した。この「ぬりかべ」の絵は、どちらも3つ目の獅子のような姿の妖怪描かれている。 「ぬりかべ」の絵巻物発表により、一部メディアでは「江戸時代絵巻にすでに塗壁の姿があった」と報道された。また、水木しげるも「貴重な資料」として喜びコメント寄せている。以上のことを受け、2007年以降発行され妖怪関連文献では、この「ぬりかべ」の姿(3つ目の獅子のような姿)を塗壁の姿として採用している例がある。 しかし、妖怪研究家京極夏彦多田克己村上健司、この絵巻発見朝日新聞上で記事として執筆した同社記者加藤修らは、妖怪専門誌『怪』誌上での座談会において、この絵巻の「ぬりかべ」と伝承上の塗壁」が同一のものかどうか不明意見している。性質などを含めた文献上の塗壁記録は、昭和期柳田國男による民間伝承採取初出であるとされ、名前が同じでもまったく別の妖怪は他にも例があることから、偶然に名前が一致したにすぎない無関係妖怪とする説や、「ぬりかべ」の名を記した絵巻もしくはその名称のみが九州地域流布し通行人目の前塞がれるという怪異あてはめられ、民俗語彙として採り入れられ可能性もあるとの説も示唆されている。民俗学者小松和彦らによる2009年平成21年)の書籍日本の妖怪でも、この絵巻の「ぬりかべ」と伝承上の塗壁との関連性は「不明」とされている。絵巻発表4年後の2011年平成23年)に、湯本が『怪』誌上で同絵巻取り上げた際にも、絵巻物の「ぬりかべ」と九州伝承されている「塗壁」が同一のものであるかは特定されていない

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