南宇和郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 04:30 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動人口18,883人、面積238.99km²、人口密度79人/km²。(2022年4月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 愛南町(あいなんちょう)
郡域
1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、現在の愛南町にあたる。 2022年(令和4年)現在、四国地方の郡で、発足以来一度も郡域の変更が行われたことがないのは、香川県小豆郡と当郡の2つのみである。
歴史
郡発足までの沿革
- 明治4年
- 明治5年6月23日(1872年7月28日) - 神山県の管轄となる。
- 明治6年(1873年)2月20日 - 愛媛県の管轄となる。
- 明治9年(1876年)2月25日 - 母島浦・久保浦・小矢野浦・鵜来島の所属郡が土佐国幡多郡に変更。(15村2浦)
郡発足以降の沿革
- 明治11年(1878年)12月16日 - 郡区町村編制法の愛媛県での施行により、宇和郡のうち城辺村ほか15村2浦の区域に南宇和郡が発足。郡役所が城辺村に設置。
- 明治14年(1881年)
- 「南宇和北宇和郡役所」が北宇和郡宇和島町に設置され、同郡とともに管轄。
- 外海浦が分割して東外海浦・西外海浦となる。(15村3浦)
- 明治22年(1889年)12月15日 - 町村制の施行により、下記の各村が発足[2]。全域が現・愛南町。(7村)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。郡役所が御荘村に設置。
- 大正12年(1923年)2月11日 - 御荘村が町制施行して御荘町となる。(1町6村)
- 大正12年(1923年)
- 2月11日 - 城辺村が町制施行して城辺町となる。(2町5村)
- 4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。内務省告示第82号により宇和支庁が設置され、北宇和郡とともに管轄。
- 昭和23年(1948年)11月3日 - 内海村の一部(坊城成川・中浦・猿鳴・高畑・赤水および平山のうち字大島)が分立して南内海村が発足、一部(深泥および字大島を除く平山)が御荘町に編入。(2町6村)
- 昭和27年(1952年)
- 昭和31年(1956年)
- 昭和37年(1962年)1月1日 - 一本松村が町制施行して一本松町となる。(4町1村)
- 平成16年(2004年)10月1日 - 内海村・御荘町・城辺町・一本松町・西海町が合併して愛南町が発足。(1町)
脚注
参考文献
- 『角川日本地名大辞典』38 愛媛県、「角川日本地名大辞典」編纂委員会、角川書店、1981年10月1日。ISBN 4040013808。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
先代: 宇和郡 |
行政区の変遷 1878年 - |
次代: (現存) |
固有名詞の分類
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