昭和・平成以降
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昭和・平成以降の妖怪関連の文献によれば、傘を彼から奪って被ると、後で頭から取れなくなると言う説や、通り雨を降らせ、人が困る様子を見て喜ぶとの説、話しかけられた人は青カビをうつされてしまうとする豆腐小僧と類似した説もある。鳥取県境港市の水木しげるロードの解説によれば、すべての生物の営みに大きくかかわるものである雨を調節するのが雨降小僧の役目とされる。 山田野理夫の著書『東北怪談の旅』では「雨降り小僧」と題し、岩手県上閉伊郡の仙人峠で、キツネが雨降小僧に「狐の嫁入りをするから雨を降らせてくれ」と頼み、小僧が手にした提灯を振るとたちまち雨が降り出し、その中を狐の嫁入りが続いて行ったという話がある。
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昭和・平成以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/09 17:17 UTC 版)
昭和・平成以降の妖怪関連の文献においては、百々爺は普段は山奥に住んでおり、人通りのなくなった夜の町角や辻に現れ、人を脅かすものなどと解説されている。また、野衾の異称であることから、野衾の特徴を引き合いに出し、江戸時代から大正時代にかけて人を襲ったもので、闇の中を飛び回って「ガァガァ」と気味の悪い鳴き声をあげ、夜道を行く人の松明や提灯を吹き消すなどと解説されていることもある。野衾が歳をとると百々爺になる、または野衾が町へ現れるときには百々爺に姿を変えるとの解釈もある。
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昭和・平成以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/19 19:15 UTC 版)
昭和・平成以降の妖怪関連の書籍では、垢嘗もこの垢ねぶりと同様に解釈されている。その解釈によれば、垢嘗は古びた風呂屋や荒れた屋敷に棲む妖怪であり、人が寝静まった夜に侵入して、風呂場や風呂桶などに付着した垢を長い舌で嘗めるとされる。垢を嘗める以外には何もしないが、当時の人々は妖怪が現れるだけでも気持ち悪く感じるので、垢嘗が風呂場に来ないよう、普段から風呂場や風呂桶をきれいに洗い、垢をためないように心がけていたという。垢嘗の正体を見た者はいないが、名前の「垢(あか)」からの連想で赤い顔、または全身が赤いともいわれる。また、「垢」には心の穢れや煩悩、余分なものという意味もあることから、風呂を清潔にしておくというだけではなく、穢れを身に溜めこんではいけないという教訓も含まれているとの説もある。
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