昭和・平成の大修理
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/25 23:39 UTC 版)
「瑞龍寺 (高岡市)」の記事における「昭和・平成の大修理」の解説
大修理以前の瑞龍寺は、禅堂(僧堂)が現在の3分の1の規模、大庫裏にいたっては明治時代初期に解体され建物はまったく残ってはいなかった。1985年(昭和60年)から行われた大修理では、まず解体・発掘調査などが行われ、建物(大庫裏)があったことを示す基礎の大石が現在地で見つかったほか、寺院内に大庫裏の建物に使用されていた数多くの木材を確認、また砺波市の千光寺に大庫裏の玄関部分が移築保存されていることが確認され、大庫裏があったことが証明された。これにより文化庁は、これまでなかった大庫裏を回廊の付属物扱いとして復元を異例承認し再建。禅堂(僧堂)も元の大きさに戻した。また、大茶室は調査により、創建当初の建造物で価値の高いものと分かり、元々国の文化財指定は受けていなかったが、大修理対象となり修復され、左右対称の本来の伽藍配置に戻った。 また現在は失われた、七間浄頭(東司〔トイレ〕)の便槽の跡、浴室の礎石を発掘調査で確認している。これらの2つの建物は将来再建し、七堂伽藍を完全復元する構想があり、すでに設計図が完成しているほか、回廊は昭和・平成の大修理で、七堂伽藍復元を前提とした建築となっている。
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