昭和・平成・令和以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:07 UTC 版)
「牛久シャトー」の記事における「昭和・平成・令和以降」の解説
太平洋戦争の終戦後に農地改革が行われ、戦時中に既に荒廃していた神谷葡萄園は小作地として解放されることになった。敷地の多くは後に宅地として分譲されている。牛久醸造場も規模を縮小することになった。1948年、合同酒精株式会社の子会社として旭商会株式会社が設立され、牛久シャトーの営業を開始した。1969年以降にシャトーの敷地内でワインの販売所やレストランの建設が進められ、食のレジャー施設として活用されることになった。また、旧事務室はシャトーの本館、旧醗酵室は神谷伝兵衛記念館に転用され、1976年には旧貯蔵庫を転用したレストラン「キャノン」が開店した。 1992年、旭商会株式会社が株式会社牛久シャトーガーデンに商号変更した。また、1996年にシャトー内に地ビール工場を設置、地ビールレストランを建設・オープンして、ビールの醸造、提供を行うようになった。 2003年に親会社の合同酒精が持株会社化に伴いオエノンホールディングス株式会社に商号変更して旧称と同名の子会社が新たに設立され、牛久シャトーガーデンは2006年に子会社の合同酒精に吸収合併された。 2007年、経済産業省が「近代化産業遺産群33」を公表し、牛久シャトーは「牛久醸造場関連遺産」として山梨県、兵庫県の遺産と共に「18. 官民の努力により結実した関東甲信越地域などにおけるワイン製造業の歩みを物語る近代化産業遺産群」として認定された。 2008年6月9日、明治中期のレンガ造り建築、醸造方法といった歴史的、産業技術史的な価値の高さから、旧事務室、旧醗酵室、旧貯蔵庫の3棟が重要文化財に指定された。 2011年3月に発生した東日本大震災では、旧事務室が半壊するなど重文指定されている3棟が被害に遭った。内外壁に亀裂やレンガ脱落などの被害が生じ、3棟で合計約115万個あるレンガのうち約1万5千個の交換が必要となった。同年12月、国や地方自治体の補助を受けて復旧工事が着工した。壁の外観を維持するため、交換用のレンガ約1万5千個は愛知県の窯元に特注したものを使用したという。また、旧発酵室は地下のワイン貯蔵庫の温度や湿度といった条件を維持するため、建物の外部から補強する工事が行われた。2014年3月に旧醗酵室と旧貯蔵庫の復旧工事が完了、2016年3月30日に旧事務室の工事が完了した。震災から5年、工事費用は総額約15億円であった。 2018年1月、山梨県甲州市と共同でワイン製造遺産として「日本ワインの歴史ロマン薫る風景 近代化と先人たちのワイン醸造140年」と題して日本遺産に申請した。だが、同年5月24日に不認定となった。 牛久シャトーは同年12月28日を以って、飲食施設を閉店することを発表(見学と園内散策は引き続き可能)。これに対して、牛久市の商工会や64ある行政区の区長全員が嘆願書を送り、市役所とともに存続を働きかけるに至った。牛久市は2019年3月1日、牛久シャトーへの関与を強めるため、オエノンと包括連携協定を提携。同年7月31日には市が賃借することで基本合意したと発表した。2020年6月、山梨県甲州市の宮光園と共に日本遺産に認定された。
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