神谷伝兵衛記念館(旧醗酵室)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 06:07 UTC 版)
「牛久シャトー」の記事における「神谷伝兵衛記念館(旧醗酵室)」の解説
本館と同じく、煉瓦造の2階建で屋根は桟瓦葺から銅板葺に変えられており、1階中央にアーチ状の入り口が設けられている。また、その上の2階部分にはアーチの架かった開口部があり、扉が設置されている。パラディアン・モチーフにはなっていないものの、煉瓦部分の柱型、アーチとその上のペディメントという構造は本館と共通性が見られる。かつては入口にトロッコが到着すると、手動の小型起重機で2階の扉からブドウを建物内に運び込んでいた。2階内部は木造トラス小屋組、キングポストトラスと呼ばれる三角形の構造が露出しており、間仕切りがなく2階全体が1つの部屋になっている。牛久醸造場の頃は、ここで機械を用いて葡萄の果汁を搾り、1階に下ろしていたと考えられている。床には当時敷かれていたレールの痕跡、果汁を階下に下ろすための落とし口が多数残っている。1階は2階同様間仕切りがなく、当時は大樽を立てて並べ、2階の落とし口から直接搾った果汁を樽に注ぎ込んで発酵させるという手法をとっていた(右写真)。また、西側部分は1911年までに増築された部分だが、既存の建物同様に煉瓦造の銅板葺屋根になっている。地下室は短手方向の煉瓦壁で仕切られており、それぞれの壁の中央および左右にはアーチ状の開口部が設けられている。また、1905年から1911年の間に壁面を共有する形で平屋の煉瓦造の建物が増築されており、旧醗酵室とは階段を通じて地下室でつながっている。
※この「神谷伝兵衛記念館(旧醗酵室)」の解説は、「牛久シャトー」の解説の一部です。
「神谷伝兵衛記念館(旧醗酵室)」を含む「牛久シャトー」の記事については、「牛久シャトー」の概要を参照ください。
- 神谷伝兵衛記念館のページへのリンク