昭和年間
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1927年(昭和2年)4月15日 - 三津口町沿岸6万坪の海面埋め立て工事の起工式が行われる。 1929年(昭和4年)1月1日 - 内海跡村が村名を安登村に変更する。 1935年(昭和10年)2月17日 - 三呉線竹原駅 - 三津内海線開通。同年11月24日に全線開通、三呉線から呉線へ改称。 1942年4月1日 - 中切村・野路村が対等合併して野路村(2代)が成立する。 1944年(昭和19年)1月1日 - 内海町・三津口町及び野路村が対等合併して安浦町が成立する。 7月4日 - 初の空襲警報。 1946年(昭和21年)5月 - 広島県営による野呂山の開拓がはじまる(1949年に中止)。 1949年(昭和24年) - 安浦農業協同組合、安浦漁業共同組合(翌年に安浦漁業協同組合)が発足。 1950年(昭和25年)9月13日 - キジア台風による豪雨。床下浸水約250戸。 1952年(昭和27年)7月10日 - 梅雨前線による豪雨で2人が死亡。 1956年(昭和31年)4月1日 - 賀茂・豊田両郡の一部所属町村入れ替えに伴い、所属郡が賀茂郡から豊田郡に変更される。 1958年(昭和33年)4月1日 - 豊田郡安登村の一部(残部は豊田郡川尻町に編入)を編入する。 1960年(昭和35年)4月6日 - 安浦中学校で火災。木造二階建ての校舎一棟が全焼。 11月18日 - 安浦町役場が火災により全焼。 1967年(昭和42年)7月9日 - 集中豪雨により町内各地で土砂災害多発。死者3人、家屋全壊12戸、半壊11戸、浸水247戸。 1969年(昭和44年)6月28日から7月1日 - 集中豪雨により町内各地で土砂災害多発。死者2人、家屋全壊2戸、浸水254戸。 1970年(昭和45年)2月17日から2月19日 - 野呂山で山林火災が発生、約170haが焼失。消火活動に自衛隊が出動。 1972年(昭和47年)8月20日 - 集中豪雨により町内各所で被害。家屋流出1戸、半壊1戸、浸水99戸 12月 - 野呂川ダムの本体工事が始まる(1976年3月に竣工)。 1983年(昭和58年)4月6日 - 三津口子之浦で山林火災が発生。三津口谷、女子畑、安芸津町へ延焼して、94haが焼失。 1984年(昭和59年)5月9日 - 野呂山麓の寒風山で山林火災が発生。安浦町で62ha、川尻町で22haが焼失。 1986年(昭和61年)8月7日 - 三津口水尻で山林火災が発生。翌日までに108haが焼失。
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昭和年間
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1939年(昭和14年)、1月、6月にかけて船越町との合併話が浮上するも破談する。 1953年(昭和28年)、安芸地方事務所が安芸郡の町村合併計画を発表し、翌年以降、安芸郡九か町村合併協議会が設置され、開催される。1955年には瀬野町、熊野町も参画するが、当年度中に合併協議会はいったん解消される。1956年、瀬野川流域の合併話が浮上すると海田市も参加。同年8月26日に合併の賛否を問う住民投票が行われて賛成が多数を占めるも、直後に流域合併の話が破談して分裂。最終的に海田市と東海田との合併が進められ、同年9月30日に両町の合併が行われた。
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昭和年間
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1927年2月10日 - 入広瀬村大白川で雪崩が発生。死者6名、負傷者1名、倒壊家屋1戸。 1927年 - 低気圧による集中豪雨。魚野川、破間川流域が冠水。 1934年 - 小出町内で日本初の流雪溝整備が始まる。 1934年7月10日 - 集中豪雨により破間川が大洪水。 1935年9月25日 - 魚野川増水。 1940年1月26日 - 湯之谷村葎沢で雪崩が発生。死者6名。 1942年11月1日 - 只見線延伸。広瀬村に越後広瀬駅開業、守門村に越後須原駅開業、入広瀬村に入広瀬駅、大白川駅開業(全線開通は1971年8月29日)。 1948年6月2日 - 新潟県立小千谷高等学校小出分校(現新潟県立小出高等学校)開校。 1948年9月16日 - アイオン台風豪雨により魚野川が大洪水。 1949年 - 広神村と山古志村を結ぶ中山トンネルが完成(着工は1933年)。2006年、日本最長の手掘りトンネルとしての重要性が認められ、土木学会選奨土木遺産に指定。 1950年4月1日 - 小出町に南魚沼郡伊米ヶ崎村の干溝地区が編入。 1951年10月1日 - 只見線に駅新設。藪神村に藪神駅開業。 1952年12月4日 - 旧国道9号が国道17号に昇格(県境の三国トンネルの完成が確実になったため) 1953年1月19日 - 小出スキー場開業。 1953年4月1日 - 新潟県立小出准看護学院が設置される(1982年まで) 1953年9月18日 - 熱帯性低気圧の通過に伴う集中豪雨。小出町の柳生橋付近が冠水。橋梁の一部が流失。 1954年5月1日 - 小出町に南魚沼郡伊米ヶ崎村の残部が編入。 1955年3月30日 - 藪神村と広瀬村が合併し、広神村となる。 1956年9月30日 - 須原村と上条村が合併して守門村となる。 1956年10月1日 - 古志郡山古志村から芋川地区が広神村に編入される。 1958年 - 入広瀬村に黒又川第一ダムが完成。 1960年7月13日 - 集中豪雨(小出町で日雨量306mm)により魚野川一帯が冠水。小出町の柳生橋が流失。 1960年 - 湯之谷村で建設が進められていた奥只見ダムが竣工。 1961年9月16日 - 第2室戸台風による集中豪雨。守門村に災害救助法発令。全壊69戸、小半壊787戸。 1961年 - 小出町を中心に魚野川の河川改修工事が開始。魚野川の狭窄部解消を図る(多くの災害を経て1993年に完成)。 1961年12月29日 - 小出スキー場のリフト・ナイター設備完成。 1963年12月20日 - 守門村の須原スキー場が完成。 1964年 - 堀之内橋(国道17号)が完成 1964年7月3日 - 集中豪雨により破間川流域が氾濫。堤防の決壊により家屋191戸が浸水。 1965年4月1日 - 一般国道252号が指定(六十里越トンネルなどの完成を経て1973年に全通)。 1967年4月1日 - 小出町、湯之谷村が一部事務組合の小出郷消防(現在の魚沼市消防本部)・衛生施設組合を設立。後に堀之内町、広神村、守門村、入広瀬村が合流。後の魚沼市形成のきっかけの一つとなる。 1969年 - 広神村水沢新田で大規模な地すべりが発生。死者・不明8名、家屋埋没10戸。 1969年8月11日 - 集中豪雨により上流の六日町、から魚野川に沿って小出町、堀之内町に被害。三国川ダム建設、魚野川河川改修計画のきっかけに。 1970年4月1日 - 一般国道291号が指定。 1971年 - 観光有料道路、奥只見シルバーラインが開通(1988年無料化) 1972年 - 権現堂スキー場開業(のちの越後アクシオムスキー場。広神村、守門村、民間会社が参画した第三セクターによる会社で運営、2001年に経営破綻し倒産) 1972年5月 - 小出郷消防本部庁舎(現在の魚沼市消防本部消防庁舎)竣工。 1972年10月 - 小出郷消防本部渋川出張所(現在の魚沼市消防本部渋川出張所)竣工。 1973年4月1日 - 新潟県立堀之内高等学校開校。 1973年5月15日 - 越後三山只見国定公園に指定。 1974年2月2日 - 守門村の目黒邸が国の重要文化財に指定。 1975年4月1日 - 一般国道352号が指定。 1975年 - 小出町の中心部と駅周辺を結ぶ小出橋が完成。 1976年4月18日 - 小出町四日町で大規模な地すべりが発生。駅前の民家を中心に38世帯120人が避難。 1977年1月28日 - 守門村の佐藤家が国の重要文化財に指定。 1978年6月28日 - 梅雨前線の活発化により信濃川が川口町内で氾濫。氾濫水が上流へ逆流し、堀之内町と小出町へ避難勧告が出される。 1978年11月 - 入広瀬村役場庁舎(現在の魚沼市役所入広瀬庁舎)建設。 1978年 - 入広瀬村にて山の神トンネル(597.2m)が完成。浅草岳の登山が容易になる。 1979年7月 - 小出町役場庁舎(現在の魚沼市役所小出庁舎)建設。 1981年 - 雪崩が各地で発生。1月7日に守門村大倉にて死者8名、負傷者3名、倒壊家屋4戸。1月18日には湯之谷村下折立にて死者6名、負傷者7名、倒壊家屋1戸。 1981年8月23日 - 台風15号の通過に伴う集中豪雨。小出町内では魚野川の堤防が破堤し町内一帯が冠水、1,000戸以上が浸水。災害救助法の適用を受ける。堀之内町内でも魚野川の溢水した水で冠水する。 1982年11月15日 - 上越新幹線開業。上越線の優等列車が激減。 1982年12月2日 - 関越自動車道小出IC - 越後川口IC開通。 1983年6月 - 堀之内役場庁舎(現在の魚沼市役所堀之内庁舎)建設。 1983年10月26日 - 関越自動車道六日町IC - 小出IC開通(全線開通は1985年10月2日)。 1984年 - 新柳生橋完成。 1985年7月 - 守門村役場庁舎(現在の魚沼市役所守門庁舎)建設。 1986年 - 守門村にゆきくら館が完成(NEDOによる雪氷冷熱エネルギー活用事業)。 1987年7月 - 広神村役場庁舎(現在の魚沼市役所広神庁舎)建設。 1988年 - 入広瀬村で融雪期の出水による被害が発生。激甚災害の指定を受ける。
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