戦後の伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/14 20:23 UTC 版)
東北地方の人々にとって、座敷童子は決して戦後の伝承ではなく、明治以降、昭和以降になっても座敷童子の話は語られている。柳田國男の著書『妖怪談義』によれば、1910年(明治43年)7月頃、陸中上閉伊郡土淵村(現・岩手県遠野市)の小学校に座敷童子が現れ、1年生の児童にだけ見え、年長の生徒や大人たちの目には見えなかったという。 昭和・平成以降も営業し続けている、岩手県の金田一温泉「緑風荘」、盛岡市天神町の「菅原別館」、遠野市附馬牛町大出の「わらべ」などの旅館は、座敷童子のいる宿として知られ、宿泊客が座敷童子を見た、足音を聞いた、体を触られた、といった話がある(緑風荘については内部リンク先を参照)。ただし、一般的な座敷わらし伝承とは異なり緑風荘では病死した先祖が守り神となったと位置づけている。「わらべ」は2018年春に廃業。 「わらべ」の近くには、1200年以上前に開山された早池峰(はやちね)神社があり、ここでは「わらべ」創業当時から座敷童子の祈願祭が行なわれているため、神社の座敷童子が「わらべ」に来ている、などともいわれている。 「菅原別館」の座敷童子は、もとは江戸時代に女将の実家で火災から家を守護していた火の神であり、女将が同館に嫁入りする際に実家からついて来たという。同館には、宿泊客が結婚や仕事で成功したといった体験談も寄せられている。 また岩手の緑風荘の座敷童子がテレビで有名になると、座敷童子が存在しなかったはずの青森や秋田、宮城、山形の隣県が座敷童子が出る宿として便乗し始めた。
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