戦後の仙台の都市軸の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 06:29 UTC 版)
高度経済成長期までの都市軸は、それぞれ鉄道も並走している、旧奥州街道を踏襲した国道4号沿い(都心から南の地域)と北東の多賀城・塩竈・松島に向かう国道45号沿いを中心に形成された。1960年代初頭には仙台市を中心に松島町から岩沼市にかけて合併・政令指定都市移行を目指したが失敗に終わった。要因は当時の仙台市の革新市政を周辺市町の保守系首長が嫌ったため、といわれている。この時、合併調印前日に多賀城町(現・多賀城市)長が突如合併を批判し合併から離脱したため、仙塩合併は一夜にして瓦解。仙台市の政令指定都市への移行も先延ばしとなり、都市の発展が著しく遅れる結果となった。 その後、人口増を背景に市の北部から南西部にかけての丘陵地に都心を囲むように新興住宅地が造られた。これらの住宅地と中心部とを繋ぐ旧国道4号沿い(都心から北の地域)や国道286号沿いが新たに都市軸に加わった。新都市軸の北の中心である旧泉市と、西側の旧宮城町・旧秋保町を編入し、1989年に政令指定都市となる。 新都市軸では1987年に仙台市地下鉄南北線が開業したことで、計画都市である北の泉中央(泉区)・南の長町南(太白区)では副都心化が進み、大型商業施設やマンションが林立した。 また、仙台北環状線(北環)や仙台西道路の完成により、中心部から西向きの都市軸も形成された。この軸上には東北自動車道の仙台宮城ICがあることから広域産業が進出し、アウトレットモールや宮城県立こども病院、高等教育機関などが立地した。
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