戦後の代表作 -『激情と神秘』、『群島をなす言葉』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/01 14:40 UTC 版)
「ルネ・シャール」の記事における「戦後の代表作 -『激情と神秘』、『群島をなす言葉』」の解説
この間、1948年に既刊の詩集を1冊にまとめて未発表の詩を加えた『激情と神秘』を発表した後、『早起きの人たち』(1950年)、『引きつった平静さに』(1951年)、既刊の「四つの魅惑するもの」、「細心の人」と「ラスコー」によって構成される『岩壁と草原』(1952年)、性愛を描いた『恋文』(1953年)など代表作を次々と発表した。1955年に発表された散文集『基底と頂上の探究』は、シャールの詩論または文学評論としても重要である。本書で詩人は、ロマン主義、特にヴィクトル・ユーゴーを「肥満の道化師」「狂人たちの成功者」「ほらふきの興行師」と批判する。ユーゴー批判はすでに1936年の『ムーラン・プルミエ』においてもユーゴーの「我生の追伸」の批判的書き換えとして行われているが、これは、1921年にダダイストが即興劇「バレス裁判(フランス語版)」においてモーリス・バレスを、1924年にはシュルレアリストが小冊子『死骸』を発表してアナトール・フランスをそれぞれ批判・風刺することで文壇・文学伝統における権威を否定し、突き崩そうとしたのと同じように、ユーゴーにまつわる既成の評価を覆そうとするものであり、シャールは、「ユーゴーによって誇張されたフランス・ロマン主義をネルヴァルとボードレールがきちんと秩序付けた」とし、さらに、「ランボーが支配し、ロートレアモンが次世代に伝えた」と書いている。シャールがランボーを高く評価していたことはしばしば指摘され、シャールの詩にも表現されているが(詩「きみが(文壇を捨てて)去って行ったのは、すごいことだ!」、ランボーの『地獄の季節』の一節「最後のぎゃあっ」に因む資料『最後のぎゃあっ』など)、一方で、その辛辣な風刺にもかかわらず、シャールは必ずしもユーゴーを貶めているわけではなく、むしろ、シャールがユーゴー、そしてロマン主義から受けた影響が非常に複雑なものであることを示唆するものとされる。 1962年に発表した『群島をなす言葉』は、『主のない槌』、『激情と神秘』と同様に、すでに出版した詩集に未発表の作品群を加えて編纂した大きな詩集であり、1952年から1960年までの間に書かれた詩が収められている。このうち、モーリス・ブランショに捧げた「死すべきパートナー」は、ブランショによるシャール論「ルネ・シャール」に感謝し、これに応えるために書かれた作品とされる。シャールとブランショは以後も互いに相手の作品に関する詩や散文を著している。
※この「戦後の代表作 -『激情と神秘』、『群島をなす言葉』」の解説は、「ルネ・シャール」の解説の一部です。
「戦後の代表作 -『激情と神秘』、『群島をなす言葉』」を含む「ルネ・シャール」の記事については、「ルネ・シャール」の概要を参照ください。
- 戦後の代表作 -『激情と神秘』、『群島をなす言葉』のページへのリンク