戦後の人道的な仕事
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「ルーク・ブラックバーン」の記事における「戦後の人道的な仕事」の解説
ブラックバーンは無罪判決が出た後もカナダに留まり、アメリカ合衆国当局からの逮捕や告発を避けていた。ニューオーリンズやテキサス州メキシコ湾岸で黄熱病が大流行したことを知ると、1867年9月4日にアンドリュー・ジョンソン大統領に手紙を書き、アメリカ合衆国への帰還許可を求め、疫病治療の支援を申し出た。ブラックバーンはジョンソンからの返事を待たず(実際に来なかった)、ニューオーリンズに向かう途中で1867年9月25日にケンタッキー州ルイビルに到着した。疫病に対する救援を一通り終えた後、妻が所有するアーカンソー州のプランテーションに家族ごと移動した。 ブラックバーンを逮捕しようという動きは無かった。1873年初期には家族と共にケンタッキー州に戻った。家族はルイビルのゴールト・ハウス・ホテルに泊まり、ブラックバーンが市内で医業を再開した。1873年のコレラ流行のとき、ブラックバーンはコレラが汚染された水の消化で伝染すると正しく理論づけたが、大半の市民は瘴気で伝染するという競合学説を受け入れていた。この学説はルイビルで良く知られた医師トマス・S・ベルが主唱していた。ブラックバーンが潜在的に感染している可能性がある飲料水を飲む前に煮沸した方が良いと助言したが、それを容れなかった結果として数千人が死亡した。ブラックバーンの慈善的事業には、1873年のテネシー州メンフィス、および1877年のフロリダ州フェルナンディーナでの黄熱病流行に対する患者治療があった。どちらの町でも奉仕に対する報酬を拒否したが、どちらも感謝した住民から贈り物が渡された。南部の新聞数紙がブラックバーンの奉仕について記事を載せるようになっていった。 ルイビルの「クーリエ・ジャーナル」は、1878年2月11日にブラックバーンが民主党から州知事選挙の候補になると報道した。これ以前に僅かばかりの政歴しかなかったブラックバーンが知事になろうと決意した理由は明らかでない。政治に関与していた一族に影響された可能性はある。弟のジョセフ・ブラックバーンは当時ケンタッキー州選出アメリカ合衆国下院議員であり、もう一人の弟ジェイムズ・ブラックバーンはケンタッキー州上院議員を務めていた。妻の兄弟のうち2人も、サミュエル・チャーチルはジョン・L・ヘルム、ジョン・W・スティーブンソン、プレストン・レスリー各州知事の下で州務長官を務め、トマス・チャーチルは財務官を務めた後にアーカンソー州知事になった。理由は何であれ、ブラックバーンの友人ですらブラックバーンが政治的に経験が足りないために、出馬表明は賢明でないと考えた。ブラックバーンは1878年3月29日にオーエン郡での演説で選挙運動を始めた。 ブラックバーンが知事選挙の運動を始めたのと同じ頃、ケンタッキー州議会に出て、州立衛生局の創設や州境の町に検疫所を設けることなど、疫病流行に対して州を守る豊作を提案した。その提案はほとんど聞き入れられなかった。ただし、州立衛生局のみは1878年3月に創設された。それから間もなく、いつもより早くミシシッピ・バレー下流で黄熱病が発症したという報せが入った。1878年8月までに大流行になっていた。ブラックバーンは、疫病を逃れて北に逃げてくる人々の流入を扱うために検疫を行うよう提案したが、州内の多くの医師は黄熱病がケンタッキー州よりも北に広がるとは思っていなかった。ジャクソン買収地域に入っている幾つかの町は原始的な検疫を実行しようとしたが、ルイビル市は完全にブラックバーンの助言を無視し、南部からの避難民を受け入れた。ブラックバーンは一時的に知事選挙の運動を止めてルイビルに行き、既に発症している外来者の治療を支援した。 9月5日、ミシシッピ川沿いにあるケンタッキー州西端の小さな町ヒックマンの市長が、州衛生局に電報を打ち、市内では黄熱病が大流行のレベルに達したことを報せ、できるだけ早くブラックバーンを派遣してくれるよう求めてきた。ブラックバーンは9月7日にヒックマンに到着し、市人口のおよそ20%が黄熱病に罹っていることが分かった。ブラックバーンは町を除染するために洗浄部隊を組織し、黒人の1隊には空き家になった家を守らせた。9月下旬ヒックマンの疫病流行が下火になったことが見えてきたとき、ブラックバーンはテネシー州チャタヌーガとマーティンに旅してそこの救援を行ったが、10日もしないうちにヒックマンの流行が再度大きくなり、近隣のフルトンまで広がったという報せを受けた。ブラックバーンはその地域に戻り、流行が完全に下火になった10月下旬まで奉仕活動を続けた。
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