戦後の事業と内紛による衰退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/24 01:22 UTC 版)
「フェアバンクス・モース」の記事における「戦後の事業と内紛による衰退」の解説
機関車製造事業から撤退したあとも、フェアバンクス・モースは、ポンプ・エンジン事業部でディーゼルエンジンやガスエンジンの製造を継続した。カナディアン・フェアバンクス・モースブランドで、農業、工場、鉱業用の機械も製造した。 また、輸出事務所をブラジルのリオデジャネイロとアルゼンチンのブエノスアイレスに設け、メキシコに工場を開設し、Z型エンジンを1970年代になっても造り続けた。 フェアバンクス・モースは、北米でエクリプス風車の改良と販売を続けていたが、それも地方に電化の波が及ぶ1940年代までであった。のちには、送電網による低価格での電化が、ディーゼルエンジンでの小規模な発電を駆逐した。多くのフェアバンクス・モースのエンジンが20世紀遅くまできちんと稼働していたにもかかわらず、地方の近代化と電化の競争の激しさのなかで、地方の工場を閉鎖した。 1956年、チャールズ・モースの息子たちが法廷で所有権を争った。その家族間の反目が経営を弱体化させた。その結果、その2年後に、アメリカでのフェアバンクス・モースは、ホイットニー・ガン・マシニング・エンタープライズの手に落ちた。業績の悪化はその後数十年間続き、資産は売却され、支店は閉鎖されていった。地方の販売店も閉鎖された。自動車メーカー、トラクターメーカー、そして機関車メーカーが、フェアバンクス・モースが持っていた市場に乗り込んできた。そしてフェアバンクス・モースは負のスパイラルに落ち込んでいき、ほかのオーナーの手に渡った。最終的には1988年に再構築され、計量器のチェーンの大株主であるF・ノーデンがフェアバンクス・モースの計量器部門とバーモント、ミズーリ、ミシシッピにある資産を購入した。
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