戦後の両国関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 04:51 UTC 版)
「フォークランド紛争」の記事における「戦後の両国関係」の解説
その後も両国の国交断絶状態が続いたが、1986年6月22日に行われたFIFAワールドカップ・メキシコ大会の準々決勝でサッカーアルゼンチン代表がディエゴ・マラドーナらの活躍によりイングランドチームに2対1で勝利し、敗戦の屈辱が残るアルゼンチン国民を熱狂させた(1986 FIFAワールドカップ準々決勝 アルゼンチン対イングランド)。 1989年10月にアルゼンチンとイギリスは開戦以来の敵対関係の終結を宣言し、翌1990年2月5日に両国は外交関係を正式に回復した。しかし現在も互いに自国の領有権を主張し続けている。 戦後イギリスは戦死したアルゼンチン兵の遺骨返還を申し出たが、アルゼンチン政府は諸島へのイギリスの主権を追認することになるとして拒否している。フォークランドのダーウィン墓地には、アルゼンチン兵の墓が237基あり、うち123基は身元不明。戦友の墓参に島を訪れた帰還兵の呼びかけをきっかけに、両国政府は2016年12月に身元確認では合意。赤十字国際委員会が遺骨の発掘とDNA型鑑定を2017年中に終えて最終報告書をまとめる予定であるが、アルゼンチン国内では遺骨返還への異論が依然根強い。
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