戦後のレオン・デグレル
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「第28SS義勇擲弾兵師団」の記事における「戦後のレオン・デグレル」の解説
1945年5月8日にオスロから飛行機でスペインへ向かったレオン・デグレル(1944年秋、ベルギーがドイツ軍の占領下から解放された時点での欠席裁判で死刑判決)は、スペイン北部サン・セバスティアン(San Sebastián)の海岸に不時着して重傷を負い、現地の病院に収容された。当時のスペインの支配者フランコ将軍は、デグレルの身柄を引き渡すかベルギーへ送還するようにとの連合国からの要請を断り、デグレルに対してスペインに留まることを許した。 1954年、デグレルはホセ・レオン・ラミレス・レイナ(José León Ramírez Reina)という名でスペインの市民権を獲得した。その後は実業の世界で活躍しつつ多くの著書を出版するなどして晩年まで裕福な生活を送る一方、戦後のヨーロッパにおける極右運動・ホロコースト否認論者・ネオファシズム運動の大物として名を馳せた。 ただし、戦後のレオン・デグレルの著書および活動のおかげで、第二次世界大戦中にドイツの軍務に就いたワロン人義勇兵たちは戦後のヨーロッパ社会において最も疎外された大戦経験者となった。そして、大戦を生き延びたワロン人義勇兵の生存者の多くは、大戦の最後の場面で自分たちを置き去りにしたデグレルを生涯許さなかった。 1994年4月1日、レオン・デグレルはスペインのマラガ(Málaga)で亡くなった。満87歳没。
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