戦後のユダヤ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/14 06:20 UTC 版)
この戦争を「第1次ユダヤ戦争」といい、ハドリアヌス帝治世下の132年から135年にかけて再び勃発したバル・コクバを指導者とする叛乱(バル・コクバの乱)は「第2次ユダヤ戦争」と称される。 この戦争以後、エルサレムにローマの一個軍団(第10軍団)が常駐することになった(それまではユダヤ人の民族感情を刺激しないためにカイサリアに駐屯していた)。 ガリラヤ攻略戦でローマに投降したユダヤ側将校のフラウィウス・ヨセフスは、この戦争の経過を詳細に書き残した。これが「ユダヤ戦記」である。戦争の参加者自らの書いた一次史料として貴重な記録であるが、伝わるはずのないマサダ砦の指導者の「最後の演説」などが含まれており、ヨセフスの主観や後世の脚色も多分に含まれているとされる。
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