戦後のリアエンジン乗用車普及とは? わかりやすく解説

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戦後のリアエンジン乗用車普及

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/04 04:23 UTC 版)

リアエンジン」の記事における「戦後のリアエンジン乗用車普及」の解説

ポルシェ・356 本格的なリアエンジン・スポーツカーの嚆矢 タトラ・603-2(1967年モデル)。1955-75年生産リアエンジン大型車で、重量バランス確保のためフロントオーバーハング大きプロペラシャフトがなく、エンジンから駆動輪に至るまでのドライブトレーン車体一端集中したリアエンジン車の構造極めて合理的であり、重量軽減しながら客室内に広い居住スペース確保することができた。そのメリットは特に小型車顕著であったタトラフォルクスワーゲンでの技術的成果各国自動車技術者刺激与え第二次世界大戦後になると1946年発表ルノー・4CV皮切りにヨーロッパ多くメーカーリアエンジン方式小型車開発するうになる日本リアエンジン乗用車では、1958年昭和33年)のスバル・360自国開発による最初の成功と言えよう。ラジエータースペースの問題軽量化のため、リアエンジン車には空冷エンジン車が多かったのも特徴的傾向である(ルノーのように水冷用いた例も存在したが、概して簡易な空冷式への志向強かった)。 小型車リアエンジン方式採用されたことは、スポーツカー分野にもリアエンジン普及させる一因となった。もともと小型スポーツカーには、小型乗用車シャーシコンポーネントベースにして製作される例が多く車体形状自由度高くしかも軽量なリアエンジン方式メリットが、スポーツモデル活かしやすかったからである。その代表例1948年ポルシェ・356ベースフォルクスワーゲン・タイプ1)に始まるポルシェ各車、そしてフィアット・600リアエンジン大衆車ベースとした多くイタリア小型スポーツカーであろう。 なお、大型乗用車リアエンジン方式一貫して長期継続したのは、世界でタトラのみである。同社1934年タトラ・T77以来東側ブロック崩壊による民主化チェコスロバキア解体後の1998年に「T700」の製造中止乗用車生産から撤退するまで、一貫してリアエンジン乗用車製造した。そのモデルは1,700 cc級のT971937年)、2,000 cc級のT600タトラプラン(1947年)の2種中型車を除くと、一貫して2.5 Lから3.5 L級の空冷V型8気筒大排気量車であった。これはチェコスロバキア戦後共産圏入って西側諸国トレンドとの関係が希薄化したことと、計画経済下の国策大型乗用車メーカー指定されタトラが、在来技術キャリーオーバー技術開発進めたことによるもので、技術的ポリシーガラパゴス化した中での「奇妙な進化であった近現代リアエンジン車がその国における最高級大型車というべき位置付けにあったのは、世界でチェコスロバキアだけである。 大型リアエンジン乗用車開発企図した事例としては、ほかにアメリカ合衆国タッカー1948年発表した5.5 L級の特異な大型車タッカー・トーピード挙げられるが、試行的に数十台を製造したのみで頓挫している。

※この「戦後のリアエンジン乗用車普及」の解説は、「リアエンジン」の解説の一部です。
「戦後のリアエンジン乗用車普及」を含む「リアエンジン」の記事については、「リアエンジン」の概要を参照ください。

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