戦後のヨーロッパ再編とアメリカ経済: 1815年 - 1818年
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「1819年恐慌」の記事における「戦後のヨーロッパ再編とアメリカ経済: 1815年 - 1818年」の解説
アメリカ合衆国とイギリスは1814年12月24日にガン条約に調印し、米英戦争を終わらせた。イギリス政府はアメリカ合衆国に対するその重商主義政策を事実上終わらせ、自由貿易の発展とアメリカの広大な西部フロンティアの開放に向けた方向に備えた。 ヨーロッパはナポレオン戦争が終結した後、平時の生産と商業を再調整していたので、混乱の時代を経験していた。貨幣鋳造のための金属資源(すなわち金と銀)が不足したために、西洋全体で物価が下がっていた。イギリスは戦時の需要に十分対応できる工業生産能力があったことで利益を得ていたが、戦後のヨーロッパ大陸はあまりに荒れ果てていたので、イギリスの過剰な製品を吸収できなかった。さらにヨーロッパの農業生産は長い戦争で疲弊し、国民を食べさせていくことができない状態だった。アメリカ合衆国の経済もヨーロッパを苦しめた混乱と無縁ではなく、そこに1819年恐慌の根源があった。 アメリカの製造者は、低賃金労働者が生産し、競合する商品よりはるかに安く出てくるイギリス製品が殺到している事態に直面し、多くの工場が閉鎖を余儀なくされた。ヨーロッパ大陸の農業生産力は近年の戦争で弱っており、特に綿花、小麦、トウモロコシ、タバコなどアメリカの安定した生産力にとって新しい市場になった。農産物の価格が高騰し、アメリカ合衆国南部と西部で投機的な農地ブームが続き、政府による公有地販売の寛大な条件によって加速されていた。歴史家ジョージ・デンジャーフィールドは、「戦後アメリカ経済の全体は土地ブームに基づいていた」と見ている。インフレのバブルは1815年から1818年に掛けて成長し、世界の物価における一般的なデフレ傾向を打ち消していた。
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