戦後のヴァルター機関
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/07 05:29 UTC 版)
「ヴァルター機関」の記事における「戦後のヴァルター機関」の解説
第二次大戦後、宇宙分野では酸化剤として液体酸素を使用する液体燃料ロケットが、潜水艦では原子力潜水艦が主流となり、ヴァルター機関は完全に忘れ去られた過去の存在となった。しかし比較的シンプルなシステム構成と大出力という特長から、特殊な分野においてはしばしば適用が試みられていた。 1950年代、アメリカ陸軍は偵察、連絡、軽戦闘用に1人乗りVTOL機の開発を進めていたが、それらの中に低温式ヴァルター・ロケットを使用するワンマンヘリ(一人乗りの超小型ヘリコプター)があった。 ロータークラフト社のRH-1ピンホィールはその中のひとつであるが、機体をパイロット自身が身に付け、パイロットの足がスキッドを兼ねるという極めてシンプルな構造であった。通常のエンジンに相当するものはなく、過酸化水素分解で発生する水蒸気をローター先端から噴射し、その反動でローターを回転させる仕組みになっていた(翼端噴流式)。自重75kg、最大速度100km/hであったが、作動時間の短さが弱点となって試作のみで終わっている。 ヴァルター機関適用の成功例としては、1961年に米国ベル社のムーア技師が開発したロケットベルト (Bell Rocket Belt) が唯一である。ロケットベルトは、ロケットエンジンと高濃度過酸化水素の推進剤タンクをバックパックとしてまとめ、パイロットが背負うことで飛行するという簡便な個人用飛行装置である。低温式ヴァルターロケット方式により、過酸化水素の触媒による分解で生じた酸素と水蒸気の混合ガスを直接噴射し、その反動を制御する事でパイロットは飛行することができる。最高速度は時速95キロ、飛行高度20 - 30mという性能を発揮できるものの、人間が装備するという制約などから、航続距離250m、作動時間はわずか20秒程度に過ぎないため、これまでのところは単なるデモンストレーション用途の域から出る事が無い。1965年公開の映画『007 サンダーボール作戦』で秘密兵器として登場したほか、1984年に開催されたロサンゼルスオリンピックの開会式でのビル・スーパー操縦によるデモフライトは特に有名である。その後、1985年の国際科学技術博覧会でもジャンボトロンの前で飛行実演された。他にヴァルター機関によるロケットエンジンとしてイギリスのアームストロング・シドレー・ステンター、アームストロング・シドレー・ベータ、ブリストル・シドレー・ガンマ、ブリストル・シドレー・605、デ・ハビランド スプライト、デ・ハビランド スペクター等があった。 また、1972年に日本の海上自衛隊に配備された72式魚雷(G-5B型)は、動力源に高温型ヴァルター・タービンを使用しており最高速力50ノットを出すと言われていた。他にもイギリスの21インチ マーク12魚雷やソビエトの65型魚雷や53-61、53-65魚雷で使用された。マーク12魚雷はHMS Sidon、65型魚雷はクルスクでそれぞれ推進剤の高濃度過酸化水素に起因すると見られる事故を起こして搭載艦が沈没している。 今日の魚雷は対潜水艦戦を第一に想定しているが、ヴァルター・タービンには深度によって速力が大きく変化する欠点があるため、これを克服する技術革新が無い限り、ヴァルター・タービン魚雷が再登場する可能性は低いと見られている。 また、1974年、メッサーシュミット・ベルコウ・ブローム社が開発した磁気浮上式鉄道KOMET (Komponentenmeßtrager) の実験で推進に用いられ、時速401.3kmを達成した。限られた距離の実験線では当時のリニア誘導モーターでの加速では限界があり、推進にヴァルター機関が用いられた。
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