クルスク
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クルスク(ロシア語: Курск, ラテン文字転写: Kursk クールスク)は、ロシア・クルスク州の州都。人口は約44万人(2021年)。工業都市であり、冶金、機械、化学工業が盛ん。中央区、セイム区、鉄道区の3つの区に分けられている。黒土地帯の中心で交通の要所であり高速道路M2が走る。
- ^ “city population”. 2023年5月16日閲覧。
- ^ 加賀美雅弘『世界地誌シリーズ 9 ロシア』朝倉書店、2017年、56頁。ISBN 978-4-254-16929-4。
クルスク
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「グロースドイッチュラント師団」の記事における「クルスク」の解説
新しく再装備された師団はヘルマン・ホトの第4装甲軍に配属され、SS装甲軍団とともにクルスクの敵突出部を分断するチタデレ作戦の主力をつとめた。作戦期間中、新型のパンターD型戦車で編制されたフォン・ラオハート戦車連隊がグロースドイッチュラントの作戦統制下に置かれた。 作戦開始後、師団はクルスク突出部の南側面から突入、激戦となった。新型のパンター戦車は戦闘に入る前に多くの車両がエンジンの発火や停止など技術的な問題に悩まされた。師団は1943年7月18日にトマロフカ(Tomarovka)に撤退するまで戦った。
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クルスク(ロシア海軍・オスカー型)
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「潜水艦救難艦」の記事における「クルスク(ロシア海軍・オスカー型)」の解説
2000年、演習中に爆発事故により沈没。ロシア海軍が保有していた各種潜水艦救難艦ではハッチを開けられず、救援要請を受けたノルウェーの民間潜水員が飽和潜水により障害物を撤去したが、乗員は全員死亡していた。
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クルスク
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春の泥濘が攻撃を止め、ライプシュタンダーテは休養と再編成の時間を与えられた。4月、師団長ディートリヒ他、将兵の一部が新しく編成された第1SS装甲軍団とSS装甲擲弾兵師団ヒトラーユーゲントに移動になった。後任の師団長はテオドーア・ヴィッシュになり、ハリコフ戦の損耗と併せて空軍から人員の補充を受け、6月末まで訓練に費やした。4月末、ヘルマン・ホト上級大将の第4装甲軍に配属され第2SS装甲軍団に改称した。5月、第1戦車大隊が装備更新の為ドイツに帰り、8月まで師団に戻らなかった。 7月2日、城塞(ツィタデレ)作戦に備え、ベルゴロド北西の集結地に移動した。7月4日夜、LSSAHの準備地域に破砕射撃を受けるが損耗は軽微。7月5日深夜、増強第1、第2SS装甲擲弾兵連隊が高地の前哨を占領した。0500時に城塞作戦を発動、準備射撃後に各増強連隊は前進を開始、ソ連軍防御陣地を突破しテテレヴィノに向け前進した。 9日午後、プロホロフカ攻撃の命令を受け、第2SS連隊は夜にテテレヴィノ南西に集結。10日、突撃砲大隊とティーガー中隊を含む第2SS連隊が攻撃を開始、1400時迄にコムソモレツ農場の敵を一掃、その後241.6高地を攻撃し1830時迄に占領。 11日、戦車部隊に支援されたソ連第9親衛空挺師団との激しい戦闘の末に252.2高地を占領した。その後、LSSAH戦車戦闘団はオクチャブリスキー農場を攻撃、ソ連軍を後退させた。LSSAHは突出した為プロホロフカに対する攻撃を中止、翌12日はトーテンコプ師団がLSSAH左翼のソ連軍を制圧後、トーテンコプの部隊と共に252.4高地とプロホロフカへの攻撃準備とされた。 12日、ソ連軍はプロホロフカ近くに第5親衛戦車軍を投入し反撃を行った(プロホロフカの戦い)。LSSAHは数カ所で防御線を突破されたが、多数のソ連軍戦車を破壊し多大な損耗をあたえ撃退した。対してLSSAHは比較的軽い損耗だったがソ連軍の反撃は前進を止めた。13日以降LSSAHは陣地の保持を命令された。 17日、ヒトラーの指示により、SS装甲軍団はベルゴロドに後退した。これは、バドリオ政府によるムッソリーニ罷免と、7月10日の連合軍のシチリア島上陸による状況に対応するためで、軍団はイタリアに送られることになっていたが、ミウス河の第6軍の戦線を突破された為投入されることになり18日移動した。途中、ドネツ川の戦線を突破したソ連軍に対する為スラビャンスク周辺に展開した。23日、攻撃準備を完了したが、ヒトラーの命令でLSSAHは攻撃を中止し、戦車連隊の装備を第2SS装甲擲弾兵師団ダス・ライヒと第3SS装甲擲弾兵師団トーテンコップに残し、イタリアへ移動した。
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