作戦開始後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/10 15:07 UTC 版)
1944年(昭和19年)10月25日、参謀総長は大陸指第2253号をもって気球聯隊長に対し、風船爆弾による心理的動揺を主目的とする米国本土攻撃を命じた。作戦名称は「寅号試射」、攻撃開始は「概ネ十一月一日トス」。11月3日未明に3カ所の基地から同時に放球が開始された。この日が選ばれたのは、明治天皇の誕生日(明治節)であったことと、統計的に晴れの日が多い(晴れの特異日)とされたためであったが、実際には土砂降りの雨であった。 1944年冬から1945年春まで攻撃したが、戦況の悪化などの理由により、1945年冬の攻撃は計画されなかった。 千葉県一宮・茨城県大津・福島県勿来の各海岸の基地から、1944年11月から1945年3月までの間約9300発が放球された。
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