ウクライナ軍のイロヴァイスク進攻
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 01:40 UTC 版)
「イロヴァイスクの戦い」の記事における「ウクライナ軍のイロヴァイスク進攻」の解説
8月18日、ウクライナ軍はイロヴァイスク市内に突入を図ったが失敗した。 8月18日-19日夜、ウクライナ軍はドンバス大隊に率いられて、夜間攻撃を行った。この夜間攻撃は成功し、ウクライナ軍は死傷者を出すことなく、ウクライナ国旗を市役所に掲げることができた。ウクライナのメディアは、この勝利を反政府勢力に対する政府の「対テロ作戦」(ATO)の強さと有効性の一例と見なした。ウクライナ軍がイロヴァイスク市内に入った際、ドンバス大隊長のセンメン・センメンセンコが迫撃砲弾により負傷し、治療のために後送された。市役所への国旗掲揚に続き、ウクライナ内務省は、ドンバス大隊、ドニプロ-1、アゾフ大隊を含むウクライナ軍が「テロリスト」を掃討し、特にドンバス分離主義勢力のオロット大隊所属の「多数の」反乱者を殺害したと述べた 。ウクライナ内務省はさらに、ウクライナ国家警備隊からの増援部隊がまもなく到着すると述べた。その後、イロヴァイスクの約50%がウクライナ政府の統制下となった。ウクライナ軍はさらに6名の反乱者を捕らえ、そのうち一人はセルビア人の義勇兵であった。その日に、アゾフ大隊とシャフタールスク大隊はイロヴァイスクの戦いを終了し、マリウポリとコムソモリスク(Komsomolske)の駐屯地を増強するために出発した。 8月20日、ウクライナ軍はイロヴァイスクを完全に占領したと発表した。ドネツク人民共和国当局はその声明を公式に否定し、依然として自分たちが同市を占領していると発表した。その日のうちに、ウクライナ軍は強力な反政府軍の逆襲を撃退した。反政府軍との間で市街戦が発生し、この戦闘で少なくとも9名のウクライナ軍兵士が死亡、ドンバス大隊は増援を要請した。 8月21日、激しく絶え間ない戦闘中、内務省はイロヴァイスクでの対テロ作戦開始後、敵義勇兵部隊の25%を殺害したと発表した。イロヴァイスクにウクライナ軍の増援は到着しなかった。ドンバス大隊指揮官のセンメンセンコによると、反政府軍がウクライナ国旗を掲げた救急車を攻撃したため、ドンバス大隊の兵士が死亡した。センメンセンコはこの行為を「中世の野蛮」であると評した。彼はさらにドンバス大隊はウクライナ政府と他の義勇兵部隊が街から撤退するときに「見捨てられた」と述べた。
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