作戦開始までの出来事
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 03:42 UTC 版)
「パンツァーファウスト作戦」の記事における「作戦開始までの出来事」の解説
1944年 8月4日、フィンランドでリスト・リュティ大統領が辞任。後任のカール・グスタフ・エミール・マンネルヘイム大統領は、ドイツとフィンランドの共戦を謳ったリュティ=リッベントロップ協定(ドイツ語版、フィンランド語版、英語版)を「リュティ前大統領の個人的な方針に過ぎない」として破棄し、事実上枢軸陣営から離脱。9月19日にソ連およびイギリスと休戦協定を結ぶ。 8月23日、ハンガリーの隣国であるルーマニア王国でクーデターが起こり、ソ連赤軍と休戦協定を結んだ。 8月25日、ルーマニアがドイツに宣戦する。 8月26日、ブルガリア王国が中立を宣言した。 東ヨーロッパに残った枢軸国はハンガリー一国となり、戦線がハンガリー国境地帯に迫ることが確実となった。 8月29日、ホルティは首相ストーヤイを解任し、親英米派である元ハンガリー第1軍司令官ラカトシュ・ゲーザ大将を新首相に据えた。 9月2日、ドイツのアドルフ・ヒトラー総統はヴァイクス元帥にギリシャの放棄を命じる。 9月5日、ソ連がブルガリアに宣戦し、侵攻を開始する。 ラカトシュ首相は南部ウクライナ方面軍司令官ヨハネス・フリースナー上級大将と相談し、ハンガリー・ルーマニア国境地帯であるカルパティア山脈とトランシルヴァニアアルプス山脈の防衛計画を策定した。しかしソ連赤軍は国境の峠を次々と突破した。このため9月7日にはブダペストで、ソ連赤軍がブダペスト南方140マイルのアラドに迫ったという噂が流れた。ホルティは緊急閣議を開き、ドイツから強力な援軍がなくては戦えないと決議した。ラカトシュ首相は特使フェーゼンマイヤーに「24時間以内に5個師団を提供しなければ自由行動をとる権利を保留する」と通告した。ヒトラーはこれに対して戦車1個師団、武装親衛隊2個師団、戦車2個旅団を送り込んだ。 しかしソ連赤軍の侵攻は食い止められず、9月9日には要衝ズクラ峠が突破された。ハンガリー軍と王国政府の士気は低下し、フリースナー上級大将もハンガリー軍に戦意がないためにハンガリー防衛は不可能とヒトラーに具申している。ホルティは密かに臨時閣議を開き、休戦の方針を決定した。しかし閣議の様子はドイツに筒抜けであり、ヒトラーはホルティの逮捕計画を立て始めた。ヴェレシュ・ヤーノシュハンガリー軍参謀総長が総統大本営ヴォルフスシャンツェを訪れて兵力増強を要請した際にヒトラーは、「我々はともに『反共十字軍』の同志と信じてきた。だが、もはや貴国政府に対する信頼は消滅した」と告げている。
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