「風船爆弾」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/11 10:23 UTC 版)
詳細は「風船爆弾」を参照 上記のように、戦況の悪化と資材の枯渇により、航空機によるアメリカ本土空襲計画が中止に追い込まれる中、日本軍は満州事変後の1933年頃から、アメリカとの間の開戦を予測していた関東軍と陸軍が研究していた「風船爆弾」によるアメリカ本土への攻撃を画策した。「風船爆弾」は、和紙で作られた気球に水素を詰め、大気高層のジェット気流に乗せてアメリカ本土を攻撃しようとする兵器である。 その後、神奈川県の陸軍登戸研究所で開発を進めた日本軍は、1944年には開発に成功し、同年11月から終戦直前の1945年春にかけて、アメリカ本土に対して約9300発の風船爆弾を、当時日本だけがその存在を解明していたジェット気流を利用して、千葉県一ノ宮と茨城県大津、福島県勿来の各海岸からアメリカ本土に向けて送った。
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