マーシャル諸島の戦い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:09 UTC 版)
「ギルバート・マーシャル諸島の戦い」の記事における「マーシャル諸島の戦い」の解説
ギルバート攻略後、アメリカ軍は中部太平洋における次なる攻略目標としてマーシャル諸島を目指した。アメリカ軍の作戦計画は、まず、チェスター・ニミッツ提督がマーシャル東端のマロエラップ、ウオッゼの両環礁と日本軍の司令部があるクェゼリン環礁を同時攻略するという計画を立てた。しかし、タラワ戦で上陸部隊を指揮したホーランド・スミス少将は3島に同時進攻するには兵力が十分でないとしてこの計画に反対し、レイモンド・スプルーアンス、リッチモンド・ターナーの両提督もスミス少将と同意見であった。三人は、まずマロエラップとウオッゼを攻略し、その後にクェゼリンの攻略作戦を行うべきだと主張した。これに対してニミッツ提督は、クェゼリンの東側のマロエラップ、ウオッゼなどの日本軍基地は占領せず、クェゼリンのみを攻略対象とするという案を出した。スミス、スプルーアンス、ターナーの三人はこの案に反対したが、ニミッツ提督の意思は固く、スプルーアンス中将もこの計画を認めざるをえなかった。そのかわりにスプルーアンス中将は、クェゼリン攻略の際に日本軍がいないマジュロ環礁を同時占領して、ここをクェゼリン攻略作戦間の艦隊泊地と航空基地として使用することを進言した。これをニミッツ提督は承諾し、アメリカ軍の作戦計画は決定した。計画にはエニウェトク環礁の攻略も含まれたが、エニウェトクに進攻する時期と使用兵力はクェゼリン作戦の結果により決定するとされた。 一方、日本軍は、ギルバートに近いミリ環礁かジャルート環礁(ヤルート)、あるいはハワイから最も近い所にあるマロエラップかウオッゼに次のアメリカ軍の攻撃が向けられるものと考えていた。そのため、日本軍はこれらの前線基地に優先的に物資と人員を送っており、クェゼリンの防備はこれらの島と比べて進んでいなかった。ジャルート環礁(ヤルート)などに陸軍の南洋支隊が守備隊として駐屯している一方、クェゼリンには海上機動第一旅団の一部が着いたばかりだった。 1944年1月末、アメリカ軍はマーシャル諸島一帯を激しく空襲し、日本軍の基地航空部隊を壊滅させた。日本軍の反撃能力を奪った後、アメリカ軍はクェゼリン環礁へ上陸を開始した。準備不足の日本軍は、短期間のクェゼリンの戦いで全滅した。 クェゼリン攻略作戦開始後、攻略作戦が予想以上に順調に進捗していると判断したアメリカ軍は、クェゼリン攻略作戦の予備兵力を使用してエニウェトク環礁の攻略を繰上げて実施することを決定した。その準備として日本海軍の中部太平洋方面の拠点で、エニウェトク環礁に近いトラック島を攻撃して日本の航空戦力を制圧することも決定された。アメリカ軍空母部隊(第58任務部隊)は1944年2月17~18日にかけてトラック島を空襲し、これにより島の日本軍の航空戦力は壊滅した。続いて、2月19日にアメリカ軍はエニウェトク環礁への上陸を開始し、エニウェトクの戦いでも日本軍守備隊は全滅した。
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