マキン‐とう〔‐タウ〕【マキン島】
マキン島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/17 09:22 UTC 版)
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座標: 北緯3度22分30秒 東経172度59分10秒 / 北緯3.37500度 東経172.98611度



マキン(Makin)はキリバスのギルバート諸島に属する太平洋上の島である。
地理
マキンはブタリタリの北端から北東に6kmの位置にあり、ブタリタリのナモカ島からは6.9kmの距離がある。マキンは直線的な形が特徴であり、北から南に12.3kmの間に5つの小島を持ち、そのうちの2つの大きな島(マキンとケイブ)に大多数の住民が住んでいる。3番目に大きな島は、最も南にあるオンネ島であり、ここにも住民が住んでいる。これら小島の連なりは、ギルバート諸島の中で最も北側に位置し、またキリバスの中では3番目に北側である(ライン島のテライナとタブエランだけが、より北側にある)。マキンは完全な環礁ではないが、最も北側に位置する最も大きなマキン島は、ほぼ陸地に囲まれた0.3km2のラグーンを持ち、外海とは東側にある15m幅の水路によってのみ繋がっている(水路上には道路橋が架かっている)。これは退化した環礁とも考えられる。ケイブは2番目に大きな島で、より小さく完全に陸に囲まれたラグーンを島の東側に持っており、この直径はおよそ80m(この面積はおよそ0.005km2または0.5ヘクタール)であり、海からは60mの距離がある。
かつてアメリカ軍は、付近に位置する環礁であるブタリタリを「マキン環礁」と呼んでいた。その当時、ブタリタリに比して小さなマキン島は区別のためにマキン・マング、あるいはリトル・マキンと呼ばれていた。現在では、ブタリタリが環礁のほうの呼称として定着したため、単にマキン島と呼ぶことが多い。
ギルバート諸島はしばしばマーシャル諸島の南側(正確には南南東)の一部であると思われているが、最も近いノックス環礁ですらマキンから北北西に290km離れている。
マキン空港は中心街のすぐ北東にあり、ラグーンと海の間に位置していて、国際民間航空機関の空港コードは「NGMN」、国際航空運送協会での空港コードは「MTK」である。
マキンの陸地面積は6.7km2で、総人口は2005年の統計で2,385人であり、2つの村から構成されている。
マキンの島
- アオンビケ
- キーブ
- マキン
- オンネ
- テブア・タラワ
マキンの村
マキン村 | 人口:1,834人 |
ケイブ村 | 人口:551人 |
気候
気候は近くにある「ブタリタリ環礁」とよく似ており、熱帯雨林で多量の降雨がある。平均的な年間降水量はおよそ4,000ミリメートルにもなり、タラワ環礁のおよそ2,000ミリメートル、そして南に遠く離れたキリバスの1,000ミリメートルと比べても非常に多い。マキンの降雨は、エルニーニョ現象が発生している時にはさらに多くなる。
歴史
アメリカ合衆国は、グアノ島法をマキンとブタリタリに適用することを宣言した[要出典]。なお、第二次世界大戦中にマキンの戦いの舞台となったのは、マキン環礁と呼ばれていたブタリタリであり、マキン島ではない。
マキン島
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 05:09 UTC 版)
「ギルバート・マーシャル諸島の戦い」の記事における「マキン島」の解説
詳細は「マキンの戦い」を参照 マキンには第3特別根拠地隊分遣隊243名を中心とした693名が守備についていた。 1943年11月19日から連日空襲が行われるようになり、21日早朝に陸軍27師団の1個連隊が上陸した。守備隊は奮戦するも、23日早朝に1名を除き全員玉砕した。 アメリカ軍の護衛空母「リスカム・ベイ」はこの作戦中、日本の潜水艦「伊175」の魚雷攻撃により失われ、マキン島の陸上戦の死傷者を大きく上回る損害を出した。一方、日本側もギルバート諸島の戦いの間、この方面で多数の潜水艦を失った。
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