作戦に対する評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/27 22:34 UTC 版)
『ニミッツの太平洋海戦史』ではアメリカ側の圧倒的に優勢な兵力にもかかわらず、1日で終わる予定のマキン島攻略に4日も要したことについて、マキン島の陸上戦を担った陸軍を次のように批判している。 攻略作戦が予定どおり進捗しなかった原因は、拙劣な指揮と、長期にわたりハワイの警備任務につき、初めて実戦に参加した第27師団の誤った教育によるものであった。齢をとった将校たちは、第一次世界大戦の大陸型の戦闘様式で、師団を非現実的に訓練した。この戦闘方法というのは、部隊は味方の弾幕下にゆうゆうと組織的に前進し、敵の戦闘力が味方の砲撃によって粉砕されるまでは前進しない、というものである。こうした戦法は迅速な勝利こそ支援に任ずる艦隊を自由にするものであるという島嶼作戦には適しなかった。・・・・(中略)・・・・。 経験に乏しく、訓練の不適当な点から見れば、上陸した連隊の各部隊が、数名の敵狙撃兵、または一、二挺の機銃のために数時間にわたりその前進をはばまれ、あるいは動くもの、音を立てるものには何にでも神経過敏になって射撃し、夜間にその陣地を放棄したことは、あえて驚くに足らない。 日本軍とアメリカ軍の戦闘部隊の戦力比率が1:23と圧倒的な戦力差であったのにも関わらず、市河中尉が最高指揮官の日本軍に対して、上陸部隊の指揮官であったコンロイ大佐が戦死し、また海上の戦いでも支援艦隊司令官ムリニクス少将が戦死し、護衛空母「リスカム・ベイ」の艦長ウィルツィー大佐も戦死するなどアメリカ軍にとっての損害の比率は過大であり、太平洋戦争後半のアメリカ軍攻勢期で、攻撃側の人的損失が防御側を上回った数少ない戦いとなった。また、コンロイに続き司令官が戦死したのは沖縄戦におけるサイモン・B・バックナー・ジュニア中将となった。
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