太平洋戦争後半
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1943年(昭和18年)2月から翌年の2月まで潜水学校で教官を務め、また甲種学生として潜水艦長養成過程を卒業した。潜水学校長名で連合艦隊司令長官に提出された「潜水艦戦果発揚対策」は、川島が主筆者である。当時の潜水学校校長は山崎重暉で、川島は同期生と卒業の挨拶に山崎家を訪問し、山崎は前途の厳しさを予測しつつ川島らの壮途を祝った。川島は第六艦隊に所属する「呂36潜水艦」艦長に補され、マーシャル方面での偵察などを行っている。3月10日、海軍大学校を卒業し第六艦隊参謀となった鳥巣建之助(海兵58期)はトラック島に着任したが、そこには川島、板倉光馬ら潜水艦長5名が待っていた。艦長たちは鳥巣に対し、日本海軍上層部の潜水艦に対する無理解へ不満を訴えている。「呂36潜水艦」 は日本で整備を受け、6月に再び南方へ出陣。あ号作戦に策応し、米海軍部隊の攻撃に向かったが、サイパン島付近(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯15度21分 東経147度00分 / 北緯15.350度 東経147.000度 / 15.350; 147.000)で米駆逐艦によって撃沈された。この作戦で失われた日本海軍の潜水艦は20隻中12隻、川島ら「呂36潜水艦」戦死者は総員の77名である。
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太平洋戦争 後半
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1943年(昭和18年)11月、「伊52」潜水艦艤装員長に補され、竣工後に同艦の初代艦長となる。翌年3月、第六艦隊第八潜水戦隊に編入となるが、宇野に独国への派遣命令が下る。独国の戦況はすでに不利に傾いており、宇野は第二次遣独作戦に成功していた内野信二に目的地であるロリアン(仏国)に到着するまで、独はもちこたえることが可能であるか質問している。内野は宇野の潜水学校時代の教官という師弟関係にあったが、内野にも答えることができなかった。戦後、内野は「本当に彼には同情しました」と語っている。 大海指第三二二号 昭和一九年一月二四日 古賀連合艦隊司令長官ニ指示連合艦隊司令長官ハ伊号第52潜水艦ヲ三月上旬頃内地発九月中旬頃本邦帰還ノ予定ヲ以テ欧州ニ派遣シ特別任務ニ従事セシムスヘシ — 伊号潜水艦訪欧記より引用 大本営から発せられたこの大海指によって、宇野が指揮する「伊52」潜水艦は独国が占領していたロリアンへ向かうこととなった。「伊52」は、独国からの技術導入や、物資運搬のため以下の人員や物資を搭載して3月10日、午前8時50分に呉を出港した。「伊52」にとっての処女航海である。 シンガポール出港は4月23日、ペナンで井浦祥二郎と打ち合わせを行い、大西洋に突入。赤道を通過したのが6月4日である。順調な航海が続いていたが、6月6日、宇野の懸念していた事態が発生した。連合国のノルマンディー上陸作戦が開始されたのである。ノルマンディーはロリアンの北東250kmに位置し、連合国はロリアンにも進撃したのである。「伊52」には6月22日に独潜水艦と会同するよう指示が出された。独製のレーダーを受領、装着し、連絡将校を乗船させる必要があったためで、1日遅れた23日に日独潜水艦は会同を果たした。この際の独潜水艦の乗員の回想では、両艦の分離に際し、宇野は別れの挨拶を行った。しかし、その後の「伊52」は消息を絶ち、ロリアン入港予定の8月1日になっても到着することはなかった。「伊52」は米護衛空母「ボーグ」の艦載機によって撃沈され、乗員等115名は全員戦死していたのである。 「伊52」の行動は、米国の暗号解読によって筒抜けになっており、護衛空母「ボーグ」は「伊52」の出現地点を承知の上で待ち構えていたのであった。会同した独潜水艦はすぐに潜航したが、「伊52」は浮上しているところを発見された。浮上していた理由については、レーダーを装着し、その試験を行っている最中であったのであろうという推測がある。護衛空母「ボーグ」を発進したアベンジャー雷撃機はレーダーで「伊52」を捉え、ソノブイを投下。「伊52」は急速潜航を行ったが、アベンジャー雷撃機から投下された音響誘導式魚雷が命中し撃沈された。1995年(平成7年)、5千mの海底に沈んでいる「伊52」が発見された。
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