太平洋戦争時のマレーシアにおける「華人虐殺」報道への批判
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「松井やより」の記事における「太平洋戦争時のマレーシアにおける「華人虐殺」報道への批判」の解説
太平洋戦争時、日本陸軍第5師団が英領マレーシアで指揮した抗日ゲリラの掃討作戦を、松井は「民衆虐殺」と報道したが、松井と朝日新聞社同期入社の長谷川煕は、自身が朝日新聞出版社のAERA編集を去った後に他社で出版した著書中で、彼が1991年11月現地を取材で訪問したときに、取材後路上に出たときに直前の取材の場にいたある中年の華人女性が次のように"たしか"英語と北京語を混ぜて自分に言ったと、書いている―「シンガポールにいるという日本の朝日新聞の女性の記者が、虐殺は日本軍がやったことにしておきなさい、かまわない、と言ったんです」、そしてその女性の名をマツイと述べたとする。ただし、長谷川によれば、それは同席者がいた屋内ではなく路上だったとするものの、周囲に土地の人が一人か二人いたようだが彼女はそれにはかまわなかったとし、さらに、その女性の言葉は時も経てもはっきり覚えていると主張する一方で、言葉は通訳が訳したが、彼女は"たしか"英語か北京語で話しかけた、あるいは混ぜて話したと、長谷川自身の言に反して曖昧なものになっている。長谷川は帰国してからでも松井本人にすぐ問い質せば良かったのかもしれないが結局本人には尋ねる機会を失ったとする。また松井が1984年8月15日付朝日新聞に書いた「日本兵が赤ん坊をほうり上げて突き殺し、妊婦のおなかを切り裂くのも見た」という記事も、事件当時8歳の証言者の話を裏付けも取らずに書いたと長谷川は批判した。
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