太平洋戦争時の捕虜虐待とゴボウとは? わかりやすく解説

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太平洋戦争時の捕虜虐待とゴボウ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 11:59 UTC 版)

ゴボウ」の記事における「太平洋戦争時の捕虜虐待とゴボウ」の解説

ゴボウまつわる食文化違いもたらした悲劇的な逸話として、「戦時中外国人捕虜ゴボウ与えたところ、木の根食べさせられたと誤解され戦後BC級戦犯として虐待の罪で処罰された」というものがある。1952年昭和27年12月10日行われた第15回国会参議院法務委員会法務省保護局齋藤三郎が行った米国派遣報告では 裁判ときには当国情が違い日本の事情知らない人が裁判したため不当と言えば不当と言える裁判があるのだ。一例としては、俘虜収容所所員が、終戦真際食糧が非常に不足している。併しこれに対してできるだけいい食物与えたいというのでごぼうを買つて来て食わした。その当時ごぼうというのは我々はとても食えなかつたのだ。我々はもう大豆二日三日続けて食うというような時代で、ごぼうなんてものはなかなか貴重品であつた。そのごぼうを食わしたところが、それが乾パン代り木の根食わして虐待したというので、五年の刑を受けたという、こういう例もある と述べている。また、1953年昭和28年7月2日参議院厚生委員会では日本社会党藤原道子が「ごぼうを食べさしたものを木の根食べさせたのだということ二十五年の禁錮受けておる」と発言している。 新潟県直江津町(現:上越市にあった東京俘虜収容所第4分所所長らが、終戦後収容されていたオーストラリア人捕虜達から「木の根食べさせられた」という告発を受け、うち所長を除く8名が横浜裁判絞首刑となった@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}(なお死刑判決理由捕虜殴打したこと、体力限界超える労働強制したこと、劣悪な衛生環境放置したこと、といった虐待理由ゴボウ食は直接理由ではない)[要出典](直江津捕虜収容所事件)。また、長野県下伊那郡天龍村にあった東京俘虜収容所12分所満島捕虜収容所)に勤務していた警備員1名が無期懲役の判決となり、その裁判中ゴボウ食べさせたことが虐待として扱われた。相馬暁1996年著書の中で「アメリカ人捕虜ゴボウ食べさせたために、昭和21年に、横浜戦犯裁判捕虜収容所関係者が、二人死刑三人終身刑二人が十後年上の有期刑判決受けた」と述べている。

※この「太平洋戦争時の捕虜虐待とゴボウ」の解説は、「ゴボウ」の解説の一部です。
「太平洋戦争時の捕虜虐待とゴボウ」を含む「ゴボウ」の記事については、「ゴボウ」の概要を参照ください。

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