太平洋戦争時の機銃増備
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 05:16 UTC 版)
「天龍型軽巡洋艦」の記事における「太平洋戦争時の機銃増備」の解説
田村俊夫の調査によると開戦後の機銃装備は以下の通り。開戦時の装備機銃は 13mm単装機銃2挺 三年式6.5mm機銃2挺 九六式軽機(2挺と推定) 開戦直後のウエーキ島攻略作戦で「如月」が4機の戦闘機の攻撃で沈没するなど、日本海軍は対空機銃の貧弱さを痛感し、天龍型では1942年(昭和17年)2月に13mm単装機銃2挺と礼砲2門を撤去、25mm連装機銃2基4挺を1番煙突直前の機銃台に左右各1基ずつ装備した。 同年6月には舞鶴に帰港し3番煙突後方、2番発射管直前の左右舷に機銃台を設置し、25mm連装機銃2基を増備した。この時に最前部の通船2隻を陸揚げしたとされ、後方のカッターと内火艇は前方に移設されたのが写真から確認される。機銃台設置場所の確保のためと思われる。この時同時に艦橋上の探照燈を1番、2番煙突間に移設、前部マストトップの短縮が行われた。また「天龍」は舷外電路が装着された(「龍田」は開戦時に装着済み)。 1942年(昭和17年)12月に「天龍」は沈没、残った「龍田」は翌1943年(昭和18年)1月に舞鶴に帰港、3月まで修理工事を行った。この時に艦橋に装備していた三年式6.5mm機銃2挺を7.7mm単装機銃2挺に換装したと乗員の証言がある。
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