太平洋戦争期から終戦までとは? わかりやすく解説

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太平洋戦争(大東亜戦争)期から終戦まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 01:10 UTC 版)

松井石根」の記事における「太平洋戦争大東亜戦争)期から終戦まで」の解説

軍籍離れた松井は「大亜細亜協会会頭として、アジア主義運動展開し国内各所での講演活動行っていた。1939年7月開催され戦争画競う第一回聖戦美術展では展覧会名誉会長務めている。 対米開戦後1月松井は「思想国防協会会長となり、日米開戦意義東南アジア占領地における興亜思想普及について述べている。 1942年6月松井は大亜細亜協会会頭として国外視察に出かけ、上海~南京~台湾~広東~海南島~仏印~タイ~ビルマ~マレーシアスマトラ島~ジャワ島~セレベス島~フィリピン訪れ大東亜共栄圏確立重要性説いた南京では汪兆銘と、ビルマではバー・モウシンガポールではチャンドラ・ボースそれぞれ会談している。 帰国後の松井は、栄養失調から風邪をこじらせ、軽い肺炎起こした敗戦までの間、松井仏門励み、朝昼の二回、近く観音堂参拝するのが日課だった。 1945年8月15日松井終戦玉音放送熱海自宅聞いた同年11月19日連合国軍最高司令官総司令部は、日本政府対し松井らを戦争犯罪人として逮捕し巣鴨刑務所拘禁するよう命令松井肺炎患い病床にあった松井個人通訳務めていた岡田尚は、松井巣鴨出頭遅らせようと、松井親交のあった岩波書店岩波茂雄社長に頼み岩波親し間柄であるGHQ派遣医師である武見太郎松井診断書書いてもらい、巣鴨出頭1946年3月5日まで延期させることに成功している。この間松井は、死後備えて支那事変日誌抜粋」と「我等興亜理念併其運動の回顧」を書き上げている。

※この「太平洋戦争(大東亜戦争)期から終戦まで」の解説は、「松井石根」の解説の一部です。
「太平洋戦争(大東亜戦争)期から終戦まで」を含む「松井石根」の記事については、「松井石根」の概要を参照ください。

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