太平洋戦争犠牲者遺族会への便宜供与
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:09 UTC 版)
「植村隆」の記事における「太平洋戦争犠牲者遺族会への便宜供与」の解説
植村の妻は太平洋戦争犠牲者遺族会の幹部の梁順任の娘であり、遺族会は植村の記事から4か月後に日本政府に対して慰安婦に対する賠償を求めた初の裁判である「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」を起こしており、植村の記事で扱われた元慰安婦の金学順は原告の一人である。そのため植村は身内に利害関係者がいる裁判に関連する記事を書いたことになる。 植村は8月11日の記事においては「女子挺身隊の名で戦場に連行された」と金学順の経歴を説明したが、証言を行った金学順が記事の掲載から3日後の記者会見で「母親によって14歳の時にキーセンの養成所に売られた」「17歳の時に検番の養父に慰安所に連れて行かれた」と強制連行ではなく人身売買であったと植村の記事と異なる発言をしており、12月25日の記事においても、既に裁判の訴状の中で「14歳からキーセン学校に通った」「そこに行けば金儲けができると説得され、養父に連れられて中国へ渡った」という本人の証言が明らかになっているにも関わらず、記事の中ではキーセンや養父の存在という重要な事実に触れられていないため、植村の二本の記事は金学順が吉田清治が主張していた女子挺身隊の名で強制連行された被害者であるかのように錯覚させる内容になっていた。これらについて植村が義母との縁戚関係を利用して記事を作成し、その際に都合の悪い部分をふせて事実のねじ曲げを行ったのではないかと指摘されている。
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