慰安婦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/02 17:27 UTC 版)
英: military prostitutes)とは、かつて主に戦地の施設で将兵の性の相手をした女性のこと。一般に慰安婦というと日本軍の慰安婦を指すことが多い。同義の女性はドイツ軍やフランス軍にも存在した。
(いあんふ、注釈
- ^ 国家による管理売春を公娼制度という[25][26]。公娼制は古代ギリシアやローマ帝国にもすでに存在した[19]。日本の近世以前にも公娼制度は存在したが(例えば、吉原遊郭)、明治以降の近代型公娼制度はヨーロッパから輸入されたもの[27]。
- ^ 奈良のRRセンターなど[58]。日本側が設置した物も多いが、米軍も日本側に「女性の提供」を要求している[34]:39。
- ^ Contagious Diseases Acts(伝染病法)
- ^ 途中、1866年と1869年に改定。
- ^ 原作は、1956年に書かれたUgo Pirroの同名小説。
- ^ 兵士だけでなく、将校や知事も現地人女性と同棲するのが普通だった。
- ^ 満州のロシア人、東南アジアのオランダ人など。
- ^ 他のイスラム系の民族と違い、男性との接触等について厳格に禁じられていなかったOuled Naïlの女性は、〝慰安婦〟として採用される以前からフランスの植民地政府に売春婦と見なされていた[130]。
- ^ 来日したアレクサンドル・ミハイロヴィチ大公(皇帝ニコライ1世の孫)は、60人の候補者の中から一人の娘を選んで〝結婚〟した[132]。日露戦争後、日本で捕虜生活を送ったアレクセイ・ノビコフ=プリボイも、稲佐における〝結婚〟について書いている[133]:539,540。
- ^ 日本占領軍の慰安所利用については「特殊慰安施設協会」等、韓国における国連軍の慰安婦については「韓国軍慰安婦」を参照。
- ^ 国際連合ボスニア・ヘルツェゴヴィナ・ミッション
出典
- ^ a b “朝鮮戦争時の韓国軍にも慰安婦制度 韓国の研究者発表”. 朝日新聞. (2002年2月24日). オリジナルの2002年2月23日時点におけるアーカイブ。 2010年3月9日閲覧。
- ^ a b 미니 인터뷰‘한국군 위안부’문제 제기한 김귀옥 박사 “밝혀진 건 퍼즐의 일부”(ミニインタビュー '韓国軍慰安婦'問題提起キム・グィオク博士 "明らかになったのは、パズルの一部") Archived 2011年10月6日, at the Wayback Machine.日曜時報 2002年3月26日323号(朝鮮語)
- ^ “李栄薫ソウル大教授「従軍慰安婦は売春業」”. 朝鮮日報. (2004年9月3日). オリジナルの2008年2月1日時点におけるアーカイブ。 2010年3月9日閲覧。
- ^ “한국군 '특수위안대'는 사실상의 공창 창간 2주년 기념 발굴특종 한국군도 '위안부' 운용했다 (2)(韓国軍'特殊慰安隊'は事実上の公娼 創刊2周年記念発掘特集 韓国軍も'慰安婦'運用した (2))” (朝鮮語). オーマイニュース. (2002年2月26日) 2010年3月9日閲覧。
- ^ a b “「韓国軍が慰安所設置」 ベトナム戦争時 米公文書に記述”. 産経新聞(2015.3.29). 2015年3月29日閲覧。 web魚拓
- ^ a b c d e ‘皆さんはドルを稼いでくれる愛国者です’証言を通じて “基地村の隠された真実” 続々と明らかに(‘여러분은 달러를 벌어주는 애국자입니다’증언 통해 “기지촌의 숨겨진 진실” 속속 드러나)Ilda 2008/12/15(朝鮮語)
- ^ Donna Hughes, Katherine Chon, Ellerman Ellerman (2007). Modern-Day Comfort Women:The U.S. Military, Transnational Crime, and the Trafficking of Women. ロードアイランド大学. p. 4. オリジナルの2013年9月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ a b c d “東亜日報慰安婦掲載一覧” (朝鮮語). 東亜日報 2010年3月9日閲覧。
- ^ “Fearing G.I. Occupiers, Japan Urgesd Women Into Brothels” (英語). ニューヨーク・タイムズ. (1995年10月27日) 2012年7月8日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 李榮薫 2009
- ^ a b c "米国と韓国の軍の性売買は国際法違反" (“미국과 한국의 미군성매매는 국제법 위반”) 統一TV 2008年10月17日(朝鮮語)
- ^ “Former sex workers in fight for compensation” (英語). 中央日報. (2008年10月30日) 2010年3月8日閲覧。
- ^ “大韓民国政府が売春斡旋業者であった 売春取締を装い女性を外貨稼ぎの手段と考えた韓国政府… 朝鮮戦争時に慰安所を設置して、独裁政権は在韓米軍・日本人対象売春助長 (대한민국 정부가 포주였다 성매매 단속하는 척하며 여성을 외화벌이 수단으로 여겼던 한국 정부… 한국전쟁 때 위안소 설치하고, 독재정권은 주한미군·일본인 대상 성매매 조장해)”. ハンギョレ. (2011年11月28日) 2012年7月9日閲覧。
- ^ a b c 李榮薫その日、私はなぜそのように言ったのか New Daily 2009年6月1日
- ^ デジタル大辞泉
- ^ 大辞林 第三版
- ^ ジョージ・ヒックス 1995, p. 23
- ^ “The Role of Women in the Crusades”. About History (2017年9月10日). 2020年7月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月31日閲覧。
- ^ a b 山田宏「売春」世界大百科事典、平凡社、2007,p333
- ^ 山手茂「売春」日本大百科全書、小学館、1987
- ^ 川村湊『妓生』作品社、2001年、p.40
- ^ Richard Pankhurst (1974年). “The History of Prostitution in Ethiopia”. Institute of Ethiopian Studies. 2022年11月27日閲覧。
- ^ ジョージ・ヒックス 1995, p. 23
- ^ 中山太郎『売笑三千年史』ちくま学芸文庫 2013年 ISBN 9784480095541
- ^ a b 秦郁彦 1999, p. 145
- ^ a b 藤目ゆき 1997, p. 51
- ^ 藤目ゆき 1997, p. 88-90
- ^ 山下英愛「朝鮮における公娼制度の実施」ユン貞玉編『朝鮮人女性がみた「慰安婦問題」』三一新書,1992年,p129.
- ^ a b c 藤目ゆき 1997, p. 51-56
- ^ ジョージ・ヒックス 1995, p. 25
- ^ a b David J.Piver,Cleansing the Nation:The War on Prostitution 1917-1921,Prolougue:The Journal of the National Archives,No.12,Spring,1980.,pp.24-30
- ^ a b c d 藤目ゆき 1997, p. 78
- ^ a b c d 秦郁彦 1999, pp. 147–149
- ^ a b 平井和子『日本占領とジェンダー』有志舎 2014年 ISBN 9784903426877
- ^ 藤目ゆき 1997, pp. 76
- ^ 藤目ゆき 1997, p. 56
- ^ 石井光太郎 東海林静男 編『横浜どんたく』有隣堂 1973年
- ^ 川元祥一『開港慰安婦』三一書房 1997年
- ^ Andrew Byers『The Sexual Economy of War』Cornell University Press 1995年 ISBN 1501736442(Kindle版、位置No. 1422/7305)
- ^ a b 藤目ゆき 1997, p. 76
- ^ a b 藤目ゆき 1997 第一章
- ^ 藤目ゆき 1997, pp. 76–77
- ^ Carol Anonueva,Prostitution in Philippines,in Cast the First Stone,pp64-89
- ^ Andrew Byers『The Sexual Economy of War』Cornell University Press 1995年 ISBN 1501736442(Kindle版、位置No. 1444/7305)
- ^ 竹村民郎『廃娼運動』岩波書店 1982年 ISBN 978-4121006639
- ^ 島田法子, 「第二次世界大戦期のハワイにおける軍隊と性」『アメリカ研究』 2000年 2000巻 34号 p.105-121, アメリカ学会, doi:10.11380/americanreview1967.2000.105。
- ^ 秦郁彦 1999, p. 160
- ^ 恵泉女学園大学平和文化研究所編集『占領と性』インパクト出版会,2007,p.26.
- ^ セオドア・ホワイト『歴史の探求』サイマル出版会、1978、上、p183。
- ^ 秦郁彦 1999, p. 164
- ^ 吉見義明『共同研究 日本軍慰安婦(第八章)』大月書店 1995年 ISBN 9784272520398
- ^ 秦郁彦 1999, p. 163
- ^ 「アメリカ人が語るアメリカが隠しておきたい日本の歴史」, Author: Max Von SchulerISBN 978-4-8024-0028-2139p,140p
- ^ Schuessler, Jennifer (2013年5月20日). “The Dark Side of Liberation”. New York Times 2013年6月14日閲覧。
- ^ Faur, Fabienne (2013年5月26日). “GI's were liberators yes, but also trouble in Normandy”. Agence France-Presse 2013年6月14日閲覧。
- ^ Susan Zeiger (2010). Entangling Alliances: Foreign War Brides and American Soldiers in the Twentieth Century. NYU Press. p. 79. ISBN 9780814797174
- ^ 藤目ゆき 1997, p. 327
- ^ 藤目ゆき 1997, p. 333
- ^ 李娜榮 日本軍「慰安婦」と米軍基地村の「洋公主」 立命館言語文化研究 23(2), 209-228, 2011-10-00
- ^ a b "손해배상[대법원 1966.10.18, 선고, 66다1635,1636, 판결](損害賠償[大法院1966.10.18宣告, 66ダ1635, 1636判決])", 大韓民国法制処国家法令情報センター.
- ^ 林茂夫「駐韓米軍」二月社、1978年、p178
- ^ 藤目ゆき 1997, p. 332
- ^ 秦郁彦 1999, p. 172
- ^ a b 秦郁彦. “米軍もさんざ日本じゃ慰安させ――朝日川柳――”. いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイト. ワック・マガジンズ. 2010年5月31日閲覧。web魚拓
- ^ スーザン・ブラウンミラー 2000, p. 123
- ^ . Cynthia Enloe, Does Khaki Become You? The Militarization of Women’s Lives (London: Pluto Press, 1983), pp.33-34
- ^ Hata2007[1],p13.
- ^ a b c d 宮平杏奈 (2012年). “沖縄から台湾をみる ―在台駐留米軍の歴史と中華民国の対米売春政策・ベトナム戦争期の台湾における R&R Program―” (PDF). 東海大学 (台湾). 2021年5月6日閲覧。
- ^ “US servicemen in Korea contribute to human trafficking: report”. プレステレビ. (2012年12月21日) 2013年6月6日閲覧。
- ^ 藤目ゆき 1997, p. 79
- ^ 藤目ゆき 1997, p. 56
- ^ バーン&ボニー・ブーロー『売春の社会史』筑摩書房 1991年 ISBN 978-4480855732
- ^ “The Contagious Diseases Acts”. UK Government Web Archive (2012年). 2023年3月21日閲覧。
- ^ Kimeya Baker. “THE CONTAGIOUS DISEASES ACTS AND THE PROSTITUTE: How DISEASE AND THE LAW CONTROLLED THE FEMALE BODY” (PDF). University College London. 2020年7月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年3月21日閲覧。
- ^ 藤目ゆき 1997, p. 55
- ^ a b c d ジョージ・ヒックス 1995, p. 24
- ^ “The British Army’s fight against Venereal Disease in the ‘Heroic Age of Prostitution’”. University of Oxford. 2014年7月30日閲覧。
- ^ 林博史 2021, p. 291
- ^ ロバート・グレーヴズ『さらば古きものよ』上巻 岩波文庫 1999年 ISBN 9784003228616
- ^ 林博史 2021, p. 291-297
- ^ a b 林博史 2021, p. 299
- ^ 林博史 2021, p. 304
- ^ a b 秦郁彦 1999, p. 156
- ^ 秦郁彦 1999, p. 146
- ^ リー・クアンユー『リー・クアンユー回顧録 上』日本経済新聞社 2000年 ISBN 978-4532163624
- ^ 日本経済新聞 「私の履歴書」1999年1月9日 40面
- ^ a b 秦郁彦 1999, p. 157
- ^ 林博史 2021, p. 291-297
- ^ Raffaello Pannacci (2019年). “Sex, Military Brothels and Gender Violence during the Italian Campaign in the USSR, 1941–3”. Journal of Contemporary History. 2022年12月3日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年12月4日閲覧。
- ^ a b c d e f g h Raffaello Pannacci (2019年). “Sex, Military Brothels and Gender Violence during the Italian Campaign in the USSR, 1941–3” (PDF). Journal of Contemporary History(Volume 55, Issue 1, January 2020). 2022年12月31日閲覧。
- ^ a b 林博史 2021, p. 256
- ^ a b 林博史 2021, p. 257
- ^ 林博史 2021, p. 115-118
- ^ Jan Kees Helms (2007年). “Dutch army should take prostitutes abroad -mayor”. REUTERS. 2023年4月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年4月12日閲覧。
- ^ a b c d e 金貴玉「朝鮮戦争時の韓国軍「慰安婦」制度について」『軍隊と性暴力―朝鮮半島の20世紀』宋連玉, 金栄編、現代史料出版2010年所収。
- ^ a b 李榮薫 2009, pp. 156–158
- ^ “"베트남전 때도 '위안대' 운용 계획"”. OhmyNews. (2002年3月4日). オリジナルの2014年1月29日時点におけるアーカイブ。 2021年8月29日閲覧。
- ^ “週刊文春の「韓国軍トルコ風呂」報道、腹立たしいが反論は困難…”. ハンギョレ新聞日本語版. (2015年4月25日). オリジナルの2021年8月14日時点におけるアーカイブ。 2021年8月29日閲覧。
- ^ a b 李娜榮日本軍「慰安婦」と米軍基地村の「洋公主」 立命館言語文化研究 23(2), 209-228, 2011-10-00
- ^ “【台湾ディープスポット】資料館として保存されている台湾軍の娼館跡”. TABIZINE. 2021年8月1日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月1日閲覧。
- ^ a b “管仁健觀點》終結金門國軍特約茶室的16歲少女”. Newtalk新聞. (2015年8月7日). オリジナルの2021年5月9日時点におけるアーカイブ。 2021年5月9日閲覧。
- ^ a b Franz X. Eder: “Sexual relief for soldiers”. Schloß Schönbrunn Kultur- und Betriebsges.m.b.H.. 2018年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月6日閲覧。
- ^ 秦郁彦 1999, p. 148,151
- ^ 秦郁彦 1999, p. 150
- ^ 梶村太一郎「ついに解明されたナチスの囚人用強制売春制度の全体像『強制収容所の売春施設』(ロベルト・ゾンマー 著)」『インパクション』インパクト出版会、172号、2010年
- ^ 秦郁彦 1999, p. 149
- ^ クリスタ・パウル『ナチズムと強制売春』明石書店1996
- ^ 『諸君!』1992年9月号。[要ページ番号]
- ^ Franz Seidler,Prostitution,Homosexualitat,Selbstvertummelung-Probleme der deutschen Sanitatsfuhrung 1939-45,Neckargemund,1977,Kurt Vowinkel Verlag.
- ^ 朝日新聞1992年9月7日記事
- ^ 秦郁彦 1999, p. 150
- ^ 「日本の名誉回復」には何が必要なのか ラインハルト・ツェルナー岩波書店世界2015年2月号 p=109
- ^ Andrzej Kozlowski (2015年). “Settled history?” (PDF). p. 13. 2020年1月8日閲覧。
- ^ a b 金富子・金栄『植民地遊郭』吉川弘文館 2018年 ISBN 9784642038805
- ^ 金富子・金栄『植民地遊郭』吉川弘文館 2018年 ISBN 9784642038805 はしがき page iv
- ^ 吉見義明 1995, p. 14
- ^ 岡村寧次『戦場回想編』1970年、302-303頁
- ^ 「デジタル記念館・慰安婦問題とアジア女性基金」慰安婦とは―慰安所の設置「…慰安婦団を同行しながら、強姦罪は跡を絶たない有様である」
- ^ 「デジタル記念館・慰安婦問題とアジア女性基金」[2] p55-p74「…慰安所を設けた。然し、強姦は甚だ盛んに行われて…」
- ^ 吉見義明 1995, pp. 43–47 「慰安所設置が強姦防止に役立たなかった事がよく示されていよう」
- ^ 参議院予算委員会. 第118回国会. 6 June 1990. 2021年10月3日閲覧。
- ^ François Reynaert: “Dans les bordels de l'armée française”. en:L'Obs (2014年). 2021年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月9日閲覧。
- ^ ビルギット アダム『性病の世界史(文庫版)』草思社、2016年2月16日。
- ^ Hanan Hammad and Francesca Biancani (2019年). “Selling Sex in the City: A Global History of Prostitution, 1600s-2000s”. Brill. 2023年1月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年1月4日閲覧。
- ^ Hanan Hammad and Francesca Biancani (2019年). “Selling Sex in the City: A Global History of Prostitution, 1600s-2000s” (PDF). Brill. 2023年1月4日閲覧。
- ^ 藤目ゆき 1995, p. 53
- ^ EMILY GAUDETTE: “Sex Work, Legalized: What a Rare 1883 French Prostitute Catalog Tells Us About the Oldest Profession”. NEWSWEEK (2018年). 2021年8月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月10日閲覧。
- ^ a b c DOMINIC MIDGLEY: “Sex and the British Tommy: The adventures of Britain’s troops during the First World War”. Express Newspapers (2014年). 2021年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月9日閲覧。
- ^ a b c d Sebastien Roblin: “The French Military Recruited Colonial Sex Workers”. Bright Mountain Media, Inc., (2018年). 2021年8月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年8月10日閲覧。
- ^ “稲佐山のすべて”. 長崎市. 2022年8月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2022年8月7日閲覧。
- ^ a b c 中條直樹,宮崎千穂 (2001年). “ロシア人士官と稲佐のラシャメンとの“結婚”生活について” (PDF). 名古屋大学. 2023年4月1日閲覧。
- ^ ノビコフ・プリボイ『バルチック艦隊の壊滅』原書房 1972年
- ^ “Army sex and military brothels contributed to victories in major wars”. Pravda プラウダ. (2007年2月4日) 2013年7月12日閲覧。
- ^ Tilman Remme (2011年). “The Battle for Berlin in World War Two”. BBC. 2020年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月9日閲覧。
- ^ 平井美帆 (2017年). “ソ連兵の「性接待」を命じられた乙女たちの、70年後の告白”. 現代ビジネス. 2020年1月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年1月9日閲覧。
- ^ 秦郁彦 1999, p. 152
- ^ 太平洋戦争研究会編『図説 満州帝国』河出書房新社刊、1996年、p135
- ^ 京都大学グローバルCOE「帝国日本の戦時性暴力」,同猪俣論文,p16、p19-22。
- ^ ビーヴァー『ベルリン陥落1945』pp.72-75
- ^ 秦郁彦『昭和史の謎を追う(下)』文芸春秋(文春文庫)1999年 ISBN 9784167453053
- ^ a b c “Nine Times Peacekeepers Have Sexually Abused Those They’re Supposed to Protect”. FOREIGN POLICY. (2015年4月30日). オリジナルの2015年10月30日時点におけるアーカイブ。 2021年9月12日閲覧。
- ^ “安保理決議2272” (PDF). UNITED NATIONS Security Council (2016年). 2023年1月4日閲覧。
- ^ “The United Nations has a Zero Tolerance Policy against Sexual Exploitation and Sexual Abuse(SEA)” (PDF). UNITED NATIONS (2018年). 2023年1月4日閲覧。
- ^ “Tunisian Women Go on ‘Sex Jihad’ to Syria, Minister Says”. TIME. (2013年9月20日). オリジナルの2021年9月11日時点におけるアーカイブ。 2021年9月11日閲覧。
慰安婦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 21:14 UTC 版)
詳細は「日本の慰安婦」を参照 日本(大日本帝国)から日本人や台湾人、朝鮮人(当時は日本国籍)が慰安婦として戦地に赴いた他、現地で採用されたインドネシア人やフィリピン人、中国人など様々な出自の慰安婦が存在した。
※この「慰安婦」の解説は、「慰安所」の解説の一部です。
「慰安婦」を含む「慰安所」の記事については、「慰安所」の概要を参照ください。
慰安婦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:48 UTC 版)
日中戦争・太平洋戦争中の慰安婦について、「慰安婦は売春婦だ」との言い方で、性奴隷であったことを否定する立場をとる者の一人。ただし、南方等で一部は強制的に監禁・強要された例も認めている。日本軍による「朝鮮半島において婦女子を(肉体的な暴力、物理的な実力で)強制連行し慰安婦とした」ことについてはほぼ全面的に否定している。1999年、それまでの議論や様々な資料を広く参照し、おもに時代背景やその変化などから慰安所制度や慰安婦の実態を明らかにすることを試みたとする著書『慰安婦と戦場の性』を出版した。 米国の公立高校で使われている世界史教科書に、慰安婦問題について事実と異なる記述があるとして、米大手教育出版社「マグロウヒル」に訂正を求める声明を公表した日本の歴史家のメンバーの一人。なお、このとき、秦は、当時海外に展開した日本軍の兵力は約100万人で、教科書に従い、慰安婦が20万人いたのであれば、20万人が1日5回サービスすると100万になるので、兵士たちは戦闘する暇なく、毎日慰安所に通わなければ計算が合わなくなると発言しているが、この発言にある日本陸軍の兵力100万人という数字は、通常、中国本土にいた兵力のみについて指す場合に使われる言葉で、当然陸軍は他の外地にも多数展開していた。また、終戦までに230万人軍人・軍属の死者が出ていたことや、慰安婦にも死者が出て補充されていったであろうことも無視している。 また、藤岡信勝(新しい歴史教科書をつくる会の創設者メンバーの一人で会長を務めたこともあり、また、2007年6月14日、ワシントン・ポスト紙に「慰安婦は売春婦である」、「性奴隷ではない」との全面広告を出したメンバーの一人。)によれば、1995年6月自由主義史観研究会が主催する南京事件をめぐるパネルディスカッションで、招かれた秦から慰安婦問題を取り上げることをサジェストされ、その後も折に触れて情報を得ていて、藤岡が教科書記述をめぐって慰安婦問題に取組むきっかけになったとする また、2013年06月13日TBSラジオの「荻上チキ・Session-22」で、「歴史学の第一人者と考える『慰安婦問題』」で実証主義歴史学者の吉見義明と慰安婦問題について、対立する立場で討論した。2013年5月、日本維新の会所属だった桜内文城(ふみき)前衆院議員が、当時日本維新の会共同代表だった橋下徹・前大阪市長が慰安婦問題をめぐる発言に関して開いた会見に同席し、慰安婦に関する吉見氏の著書が紹介された際、「これはすでに捏造だということが明らかとされております」と発言した。このため、吉見義明・中央大名誉教授が、「自著を捏造と言われ、名誉を傷つけられた」として損害賠償などを求めて訴訟を行い、対して秦郁彦は裁判で桜内側に立った証言を行った。この秦証言の内容に関しては、渡辺春巳が『秦郁彦証言とその非学問性』という論文で批判した。裁判自体は、秦の主張する説とは関係なく、一審・二審とも桜内の「『これ』とは慰安婦が性奴隷だとする説のことで、吉見の著書を捏造と言ったわけではない」との弁解を認め、吉見の請求を却下、2017年最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)が6月29日付決定で吉見氏の上告を退け、判決が確定した。 済州島での慰安婦狩り調査 1992年3月、済州島において慰安婦狩りをおこなったとする吉田証言について現地調査を行い、そのような事実は確認できず虚構と主張する。ただし、済州島ではそもそも1948年以降、白色テロによる弾圧と殺戮が繰り返され、28万人いたとされる島民の内、2万数千人~8万人が殺害され、さらにその後も度々弾圧・殺害事件が繰り返されたため、恐怖にかられた島民が次々に島を離れ、一時は島民が3万人弱にまで減ったとも言われている。(済州島四・三事件、済州島事件、四・三事件とも。)今田真人は、そのため当時のことを語れる人間がもはや居ないため、話しても迷惑する人間がいないから差支えないとして、吉田が済州島について話すことにしたと聞いたとする。今田は、自身が裏付け証言が取れなかったというだけで秦が吉田証言をウソと断定する手法、また、自身を棚に上げ他人を詐話師呼ばわりして人格を貶めることで、事実の実際の真偽とは関係なく証言の信憑性をなくそうとする秦の手法を批判している。秦はこの件に関し現地紙の許栄善記者から「何が目的でこんな作り話を書くんでしょうか」と言われたとする。 しかし、韓国仁徳大学の講師である言語心理学者 吉方べきによれば、許栄善記者はその後会った他の取材者らに「自分は何人か(の島民)に話を聞いただけで、これが吉田氏の告白全てを否定する証拠のように扱われるのは不本意」と語ったとされ、さらに「記事が日本で予想外の注目を受け不自由な思いをしたため、これ以上関わりたくない」と吐露したとされる。一方で、遺族会の抗議に従来の見方を引っ込めるしかなかったとの見方も韓国にあることを、吉方は伝えている。吉方によれば、許栄善からはインタビューに現在応じて貰えないものの、そもそもの記事の4年後の1993年に許栄善が慰安婦狩りについての署名記事を書いており、そこで吉田証言を取上げ、別に吉田証言を否定的に扱っていないという。また、吉方は、済州島で聞き取り調査を行ったことのある者は皆、済州島四・三事件の後遺症が強く、(秦郁彦のような)よそ者が聞いたからといって簡単に話すわけはないとするという。 なお、秦郁彦は吉田の証言が二転、三転していると批判するが、これらはあくまで電話などで吉田から秦自身が聞いたとする話ばかりである。また、秦自身の証言も、「済州島の城山浦に貝ボタン工場が4~5箇所あったとされるが、老人クラブで5人ほどの貝ボタン工場出身の老人と話し合って吉田証言が虚言らしいと確認した」としていたものが、後になると「城山浦の貝ボタン工場を訪れ、近くの老人に話を聞いた」に変化している。 その他には、西野瑠美子がその著作で、当時下関市警察にいた吉田と面識のある人物に、労務報告会で済州島に慰安婦狩出しに行ったという話を聞いた事があるかと尋ねたところ、「いやぁ、ないね。(略)しかし管轄が違うから何とも言えませんがね」と回答され、さらに、下関の大坪からも在日の朝鮮人女性を集めたようですがと尋ねたところ、「(略)やったかもしれん。やったとしたら、特高でしょうなぁ。県の特高の出張所が下関署内にありましたから」と書いていることを、秦が自身の著書では、西野留美子は済州島の慰安婦狩りについて、「吉田と面識のある元警察官から『いやあ、ないね。聞いたことはないですよ』との証言を引き出した」という風に書き、特高の可能性の部分については引用すらしていない等、内容を自己の主張に都合の良いように編集して、歪めていることを、今田真人、林博史、前田朗らから指摘されている。 その他の例 フィリピンでは問題はレイプが主体とし、軍末端では組織的に女性を監禁して、いわば私設慰安所を設けていた例を報告、一方で、募集すればいくらでも人が集まったとし、女性を慰安婦として募集した事例を記す。 2007年3月5日、首相の安倍晋三が参議院予算委員会において「狭義の意味においての強制性について言えば、これはそれを裏付ける証言はなかったということを昨年の国会で申し上げたところでございます。」と答弁した。秦はこの答弁について、「現実には募集の段階から強制した例も僅かながらありますから、安倍総理の言葉は必ずしも正確な表現とはいえません。「狭義の強制は、きわめて少なかった」とでも言えば良かったのかもしれませんが、なまじ余計な知識があるから、結果的に舌足らずの表現になってしまったのかもしれません(苦笑)。」とコメントしている。 一方で、その著書で、慰安婦が強制的に集められたのではない証拠として、シンガポールにおいて、軍が慰安婦を募集すると「次々と応募し」「トラックで慰安所へ輸送される時にも、行き交う日本兵に車上から華やかに手を振って愛嬌を振りまいていた」という総山少尉の回想録を引用しているものの、実際には、原文では、すぐ後に、次々と何人も相手にしなければならないという、彼女らが想像もしていなかった大変な激務が待ちうけていたため、体が持たないと前を押さえてしゃがみこみ、悲鳴をあげて拒否しようとした慰安婦が、手足を寝台に縛りつけられ、続けさせられたことを、いたたまれずに逃げ帰った部下から聞いた話が続いているのだが、秦はこれらの部分はカットし、彼女らが性交を強要される奴隷状態にあったことを伏せていることを、林博史から批判されている。 2014年、政府による「河野談話」の検証チームのメンバーとなる。 2015年2月23日、産経新聞付朝刊の「正論」欄で「大弁護団抱える植村訴訟の争点」と題する論考を発表し、その中で朝日新聞記者だった植村隆について「植村氏は訴訟までの約1年、被告ばかりか日本メディアの取材を拒否し、手記も公表していない」と事実ではない記述をした。産経新聞は2015年6月8日付朝刊7面でこの記載は誤りとし「植村氏は複数の日本メディアの取材に応じており、手記も発表しています。産経新聞のインタビューの申し込みには応じませんでした。訂正しておわびします」と誤報を認めた記事を掲載した。 『慰安婦と戦場の性』英語版をアメリカの出版社から刊行する準備を進めている。
※この「慰安婦」の解説は、「秦郁彦」の解説の一部です。
「慰安婦」を含む「秦郁彦」の記事については、「秦郁彦」の概要を参照ください。
慰安婦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:01 UTC 版)
2013年6月7日の維新代議士会で、日本による慰安婦の募集に強制性があったとする韓国の主張について、「自分の子や近所の娘が連行されるのを黙って見ていたのか。そんなに朝鮮人は弱虫だったのか」「日本人をおとしめ、彼らの先祖もおとしめている。(応酬は)お互いにやめよう」と発言した。 2013年11月、朝日新聞が、「慰安婦だったと証言するインドネシアの女性」を記事にした。ただ、この女性たちは、「日本兵かは定かではないが、言語と顔つきがインドネシア人と違うことから、日本兵だと思った」と話している。これについて、「記事にするのは恥ずかしいような証言だ。どうしても日本を悪者にしたいらしい。」と意見を言った。
※この「慰安婦」の解説は、「中山成彬」の解説の一部です。
「慰安婦」を含む「中山成彬」の記事については、「中山成彬」の概要を参照ください。
慰安婦
「慰安婦」の例文・使い方・用例・文例
- 慰安婦のページへのリンク