慰安婦の募集と売春の強要
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 23:09 UTC 版)
「櫻倶楽部事件」の記事における「慰安婦の募集と売春の強要」の解説
慰安所の開設・運営にあたっては、主にリース・ベールホルストがユーラシアンを含むヨーロッパ系の女性の募集・雇入れや日常の施設運営を行っており、青地は、施設の長として雇用を決定し、帳簿付けや軍政監部との連絡、物品の買付けなどに従事していたが、日常的な施設運営にはタッチしていなかった。 リース・ベールホルストや櫻倶楽部のヨーロッパ人女性従業員たちは、バタビアのシデン(インドネシア語版)抑留所や、スマラン、バンドン、ジョグジャ、サラティガなどのバタビア以外のジャワ島の都市へも赴き、売春をさせる女性を募集した。青地は、櫻倶楽部の女性従業員とともに、バタビア以外の都市での募集を行った。 募集に応じた女性の中には、自発的に就職を希望した女性もいた。しかし、最低賃金の50ギルダーを得るためには1晩に3人の客と寝なくてはならないなど仕事の内容は苛酷で、辞めたいと申し出ると、殴打されたり、憲兵に連れていかれると脅されたりしたため、自由に仕事を辞めることはできず、実際に慰安所を脱走して憲兵隊に捕まり1週間ほど監禁されたり、辞職を申し出てたところ他の女性を煽動したとして「政治情報部」に逮捕され、刑務所へ送られ収監された例もあった。雇用された慰安婦の氏名は憲兵隊に通知され、憲兵隊は2-3ヵ月に1度施設を視察していた。 1943年7-9月にシデン抑留所で募集に応じた女性たちは、募集時には、「櫻倶楽部にはサービス・ガールの仕事と売春の仕事があるが、彼女たちが就くのはサービス・ガールの仕事であり、売春をする必要はない」と説明を受け、抑留所生活での生活苦から、収入を得るため就職を申し出たが、実際には就職して間もなく日本人への売春を強要された。 また1944年3-4月にスマランから徴集された女性・少女たちは、「バタビアのレストランで給仕をする仕事だ」と説明を受け、当初応じるつもりはなかったが、「徴募を拒否すると『政治情報部』ないし警察に捕まり、外海諸島に送られる」と脅されたため募集に応じ、就職後間もなく売春を強要された。 櫻倶楽部で働いていた看護婦は、慰安婦として働いていた女性たちは、前借りをしていることも多く、辞めることは困難だったこと、また12歳や14歳の少女も働いていたと証言している。
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