慰安婦の収入とは? わかりやすく解説

慰安婦の収入

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 13:31 UTC 版)

日本の慰安婦」の記事における「慰安婦の収入」の解説

日本軍相手とした場合兵士支払った料金半分以上女性の手取りとなり、残り業者のものとなった慰安婦への支払い慰安所経営業者通じて預金通帳半分残り半分軍票支払われ慰安婦への不払い起きないよう軍主計局監査官憲監視下で管理されていた。文玉珠のように金銭目的慰安所入った場合故郷日本円1000円で家を建て、5000円を兄に送ったなどの例もある が、慰安所によっては慰安婦給与が無い場合もあった。 兵士支払慰安所利用料金については「日本軍の慰安所」を参照 日本軍慰安婦報酬得ていたことを示すものとしては以下のものがある。 当時新聞京城日報1944年7月26日慰安婦募集広告では「月収300円以上、前借金3000円可」と記されていた。吉見義明は「人身売買業者がよく使う騙し常とう手段」として、ほとんどが文盲であった朝鮮女性が、総督府御用新聞であった京城日報』を読んで応募するとは考えられないので、「主として他の業者への呼びかけだったのではないか」と主張している。 日本人戦争捕虜尋問レポート No.49によれば、北ビルマミートキーナ慰安所慰安婦たちは月平均1500円の総収益上げ750円を前借金返済にあてた。同報告によれば稼ぎは月に1000 - 2000円年季半年から一年一部帰還した者もおり、慰安婦には一カ月毎に麦粉2袋、その家族には月毎雑穀30キロ配給され慰安婦衣食住医薬品化粧品は軍が無料配給され兵士月給15円 - 25であったことが記されている。しかし、この日本人戦争捕虜尋問レポート No.49には、業者食料その他の物品代金慰安婦要求したので、「彼女たちは生活困難に陥った」とも書かれており、さらにビルマでは1943年頃から酷いインフレになり小林英夫早大教授によると1945年ビルマ物価東京1000以上になっており ゆえにこれは戦時中国外で極端なインフレ考慮しない暴論であると吉見指摘している。 大韓民国大法院1964年当時慰安婦として働いていた女性が月5,000大韓民国ウォン収入得ていたことを判決文明記している。 中国漢口の約三十万人と全兵士金銭出納帳調べたら、三分の一飲食費、三分の一郵便貯金三分の一が「慰安所」への支出だったといい、ある内地人(日本人)の慰安婦は「内地ではなかなか足を洗えないが、ここで働けば半年一年洗える」と語っていたという。慰安所料金女性出身地によって上中下にランク分けされており、兵士の方は、階級上であるほど、利用できる時間長くなり、料金割高になっていたという。他方元日本兵杉本一によると「確かに兵士たちは、高い賃金払っていたが」ある日出会った少女慰安婦が「一銭もらっていません」と聞いているという。 吉原10年間、娼婦をしていた高安やえは、内地日本)で商売始めるために、10稼げるという理由ラバウル慰安婦となったといい「一人5分と限り一晩200円や300円稼ぐのはわけがなかった」と回想している。 スマラン事件白馬事件)のBC裁判判決文引用した証人被害者対す警察尋問調書によれば何人かの女性は報酬断ったが、受け取った女性はそのお金自由な時間を得ることができたことを報告している。「将校倶楽部」では、一晩一人男性相手にし、男性料金として支払った4ギルダーのうち、1ギルダー1セント受け取り、そのお金食べ物衛生用品購入したとされ、「慰安所日の丸」では、一時間1ギルダー50セント料金のうち、45セント受け取った慰安婦自身証言している。 宋神道借金無かった朝鮮からの旅費飲食代などの経費全て借金として背負わされたという。宋の取り分は4割だったが国防献金など様々な名目経費加算され返すまでに7年近くかかった証言している。 『証言強制連行された朝鮮人慰安婦たち』によると、慰安代価得たのは、19人の内3人に過ぎなかった。 ビルマ慰安婦だった文玉珠によると、チップが貯まり母親へ何軒も家が建つほどの金額送金したことや、「週に一度二度許可もらって外出することができた。人力車乗って買い物に行くのが楽しみだった」「ビルマ宝石がたくさん出るところなので、ルビー翡翠安かった。(中略)わたしも一つぐらいもっていたほうがいいかと思い思い切ってダイヤモンド買った」という現地生活状況証言している。 からゆきさん場合北川サキ10歳売られ女衒前借り300円、渡航費用と食事代と利息で2,000円と称したという。大正中期から昭和前期ボルネオでは、一人2円のうち娼婦取り分は1/2、その内借金返済分が1/4、残り1/4から着物衣装などの雑費10円を出すのに、月20人の客を取る必要があった。「返すになってせっせと働けば、それでも毎月百円ぐらいずつは返せた」 といい、それは最少で月110人に相当するフィリピン政府衛生局での検査場合、週一回淋病検査、月1回梅毒検査合わせると、その雑費の2倍が娼婦負担させられていた)。料金泊まり無しで2円。客の一人あたりの時間は、3分か5分、それよりかかるときは割り増し料金規定だった(接待時間ではなく性交労働時間だったと考えられている)。日本軍相手とした場合兵士支払った料金半分以上女性の手取りとなり、残り業者のものとなった

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