朝鮮の歴史観とは? わかりやすく解説

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朝鮮の歴史観

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/18 13:46 UTC 版)

朝鮮の歴史観(ちょうせんのれきしかん)では、朝鮮人歴史観について説明する。


注釈

  1. ^ 「正統派の学者がこれらに異議を唱えた場合、在野の民族史観者は論破されても認めずに「親日派」や「講壇史学者」等の罵声を浴びせる可能性が高く、正統派の学者達にとって素人学説を論破しても学会で評価されず徒労に終わってしまう」としている。
  2. ^ この思想は朝鮮独特のもので、逆に中国王朝からは日本が格上として扱われていたことは、外臣として最高位の金印紫綬を賜わっていることから明らかである。金印紫綬を賜わったのは日本と大月氏国の二国のみ。琉球は銀印。印綬参照。

出典

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  44. ^ 八幡和郎『中国と日本がわかる最強の中国史』扶桑社扶桑社新書〉、2018年9月4日、13頁。ISBN 4594080340。"王仁博士を百済人として日韓友好のシンボルにしたいと韓国の一部の人は考えていろいろ画策しているようですが、百済でも本格的に漢文ができたのは漢族に限られていました。あとで説明するように、山東省にルーツをもつ王仁博士が漢字を日本に伝えたのは、在日朝鮮人がアメリカに行ってキムチの作り方を教えたようなもので、それを日米文化交流とは言わないのと同じく日韓友好のシンボルにはなりません。また、唐が百済を滅ぼすのに荷担した新羅の流れを引く現代の韓国は、百済の継承国家とはいえません。"。 
  45. ^ 日笠護『日鮮關係の史的考察と其の研究』四海書房、1939年7月15日、40頁。"後漢孝靈帝の後裔と稱する阿知使博士王仁(漢高祖の後裔)の來朝を見るに至つた。"。 
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