南北国時代とは? わかりやすく解説

南北国時代

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/14 23:34 UTC 版)

南北国時代(なんぼくこくじだい)は、「統一新羅(南)が渤海(北)と並立していた」と見なす歴史認識に基づいて、主に韓国1970年代から用いられ始めた朝鮮史時代区分である。北朝鮮1960年代から同様の歴史認識をしているが、「南北国時代」なる用語は使わず、渤海及び後期新羅時期(ぼっかいおよびこうきしんらじき)と表記している[1]




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南北国時代

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朴時亨」の記事における「南北国時代」の解説

渤海朝鮮国家だという南北国時代の引き金引いたのは、朴時亨論文渤海研究のために」(1962年)である。それまで北朝鮮公的史観において、レーニン民族論をベースにして、新羅三国統一朝鮮民族(ナロードノスチ)形成契機とされていた。時亭以後は、三国鼎立南北両立、そして高麗による統合という新たな歴史観北朝鮮公的見解となった。「渤海研究のために」では、得恭の新羅渤海の「南北国」論を大量引用して新羅時代にすでに「南北朝」という概念があったという学説まで提出しており、「南朝」と「北朝」は「まさしく統一実現しようとする同族全体一部である」とまで主張している。 韓東育は、「教授学術理念理解する上で役立つかもしれない」として、朴時亨学術理念をこう見る。 1962年末か1963年春頃、朝鮮最高人民会議常任委員会崔庸健委員長は、周恩来総理にたびたび中国東北地方考古調査発掘進行させるよう要求した。崔の主張大意は、以下のようである。国際上の帝国主義修正主義反動派は我国を封鎖して孤立させ、我々を小民族、小国家、自己の歴史文化持たず国際的な地位有しない中傷した。我々は中国東北地方考古学進行させ、自己の歴史明確にし、古朝鮮発祥地探すことを要求する。周総理一面では同意示し他面では婉曲的古朝鮮が我国の東北地方起源を持つという観点に対して反対した。周総理が言うには、「我々は、古朝鮮起源が我国の東北地方とは決まっておらず、我国の福建省起源とする可能性がある。朝鮮同志は、水稲植え、米を食し、またみんな下駄を履いており、飲食生活習慣福建と同じである。また、朝鮮語一、二、三、四、五六、七八、九、十の発音と我国福建一、二、三、四、五六、七八、九、十の発音は同じであり、福建古代住民朝鮮半島渡来した可能性がある」というものであった

※この「南北国時代」の解説は、「朴時亨」の解説の一部です。
「南北国時代」を含む「朴時亨」の記事については、「朴時亨」の概要を参照ください。

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