朝鮮における南北国時代論とは? わかりやすく解説

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朝鮮における南北国時代論

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 21:25 UTC 版)

南北国時代」の記事における「朝鮮における南北国時代論」の解説

李氏朝鮮中期に、朴趾源は、漢王朝領土鴨緑江の南に広がっていたという事実を否定し満州渤海朝鮮の歴史から除いた金富軾批判し渤海高句麗の「子孫」だったと主張した圭景(朝鮮語版)は、渤海朝鮮の歴史からの除外は「それが広大な領域占めていた」ため、「重大な誤り」だと主張した。しかし、李氏朝鮮後期渤海創設者高句麗人とは考えられない靺鞨であったことを認めるにもかかわらず渤海朝鮮の歴史含め歴史家増えた18世紀には次のように意見分かれていた。学者李瀷安鼎福朝鮮語版)は渤海朝鮮の歴史一部考えることを断固として拒否し一方、申景濬(朝鮮語版)と得恭(朝鮮語版)はそれを完全に組み込んでいた。1世紀後、韓致奫(朝鮮語版)と韓鎭書は、新羅のような議論のない朝鮮の王朝と等しいものとして渤海朝鮮の歴史中に含めた申采浩は、渤海夫余王国朝鮮の歴史から除いたと『三国史記』を批判した。彼は、渤海契丹敗れたことを「私たち祖先檀君』の古代土地半分を…900年上の間失った』」と解釈した北朝鮮学者、およびより最近韓国何人かの学者は、統一新羅朝鮮統一したとの見解挑戦することにより、渤海歴史朝鮮の歴史不可欠な部分として組み込もうとした。この物語によると、渤海朝鮮半島北部の旧高句麗領土占めながらまだ存在していたから、高麗最初朝鮮統一だった。 「南北国時代論者は、南北国時代という用語の初出新羅後期崔致遠による『崔文昌全集』と主張する崔致遠の唐への上表文では、渤海指して北国」と記している。しかし、渤海新羅を「南国」と呼んだというのは史料の裏付けのない憶測に過ぎない。「南北国時代論者は、ついで高麗時代の『三国史記』に見える「北国用例をあげるが、都合悪いことに、同じ『三国史記にみえる北朝」は北方契丹指している。そもそも三国史記』には渤海関係記事はほとんどみえず、わずかに唐・新羅渤海との紛争記録されているにすぎない李承休の『帝王韻紀』が歴代東国君王」の一つとして渤海取り上げている。 李氏朝鮮実学者得恭が『渤海考』の中で、「高麗南方新羅北方渤海あわせて南北国史編纂すべきだったのに、これをしなかったため渤海故地をえる根拠失い弱国となった」と主張しており、「南北国時代論者はこれを特筆する。しかし、李氏朝鮮におけるメインストリーム見解は、『東国通鑑』に高麗太祖王建契丹政策について契丹之失信於渤海、何与於我。而為渤海報復。(契丹渤海裏切ったことなど我が国何の関係もない、渤海のために報復をするのか)」とあり、『東史綱目』に「渤海不当録于我史(渤海我が国歴史記録するあたらない)」とあるように、渤海自国歴史一部とみなさないものであったが、現在の韓国北朝鮮では「渤海高句麗人が建国した国であり、高句麗継承国で、韓国史一部である」と統一した見方をしている。この考え方は、1784年得恭『渤海考』が初めに発表し1970年代になってこの研究盛んになり、現在では、この時代を北は渤海、南では新羅並立した自国の「南北国時代」として国定歴史教科書にも記載し教育をおこなっている。チョルヒ(朝鮮語: 박철희、京仁教育大学)は、韓国国定歴史教科書過度に民族主義的叙述されており、「高句麗渤海多民族国家だったという事実が抜け落ちている。高句麗領土拡大異民族との併合過程であり、渤海高句麗遺民靺鞨族が一緒に立てた国家だが、これについての言及が全く無い」「渤海高句麗遺民靺鞨族が共にたてた国家だというのが歴史常識だ。しかし国史を扱う小学校社会教科書には靺鞨族に対す内容全くない渤海高句麗との連続線上だけで扱われている」と批判している。このように渤海自民族の歴史位置付ける観念は弱いため、南北国時代論者は、より自民としての観念強固な高句麗渤海を結びつけようとする。あたかも渤海独自のものが何もなかったかのような言説韓国では広がっている。その牽強付会ぶりは、自らそれを主導してきた宋基豪(ソウル大学朝鮮語: 송기호、英語: Song Ki-ho)ですら「もし渤海人たちが聞いた泣いてしまうだろう」と自嘲するほどである。宋基豪は以下の主張をしている。 ひとことで「渤海高句麗であった」というのが教科書をはじめ、われわれの歴史書における渤海叙述態度だ。渤海高句麗遺民が建て、彼らが政権枢軸をなし、渤海文化高句麗文化継承したというのである今まで何気なく聞いてきたこの言葉をよく注意してみると、どこか異常だ新羅高麗文化言及するときは、その文化自体特性叙述するのに、渤海だけは高句麗的であるなどと、二百余年間、王朝維持しながら、どうして高句麗的な生だけを生きてきたといえるだろうか。これをめぐって講義時間に、もし渤海人たちがこの言葉聞いたら、泣いてしまうだろう冗談言ったりもした。渤海人たちは、彼ら自身文化と生を営み、その中に高句麗的なものであれ、靺鞨的なものであれ、あるいは、またちがう要素なども入っていたというのが正しいのでないか。しかしながら研究者たちの間ですら、渤海文化そのような固有の文化宿っていたという事実がいまだに認識されていない。今ではすでに常識になっているように、渤海多数種族構成され国家で、渤海領土は現在、多数国家分かれている。渤海ありのまま解釈するには、それほど複雑な変数介在している。中国では中国史として、ロシアではロシア史として、韓国では韓国史として主張していながら中国ロシアでは靺鞨住民視覚から解釈するのに反して韓国では高句麗遺民視覚から接近している。しかし韓国ではすべてのものが高句麗的だという説明ならざるをえない中国ロシア態度正しくないように、われわれの態度また、あまりに民族主義的視覚固持しているのであるこのような我田引水的な態度からぬけだして渤海史を眺めてみるとき、はたしてその実態はどうなるだろうか渤海高句麗遺民靺鞨族が主軸をなしたのであれば高句麗延長線眺めることもできるが、多数占めている靺鞨族の歴史からも眺めうる余地十分にある。靺鞨族は後に女真族となったが、今は満州族呼ばれているのであるから、かれらの祖先歴史でもある。(中略)私がアメリカ滞在したときも韓国歴史学あまりに民族主義的だという話をしばしば聞いた。これに共感した面もあったが、その一方で、われわれの措置そうするしかないという事情を理解させなければならないアメリカ学生ナショナリズムといって浮かんでくるのはなにかと聞いてみたら、ファシズムだという答え返ってきた。第二次世界大戦体験したように、民族主義強者攻撃的な武器使用された。それが西欧的な民族主義観念だ。しかし、われわれの民族主義はふたつの強大国のはざまにある小国として、最小限生存のための防御的性格をおびたものであって、その性格はまったくちがう。われわれの教科書あまりに民族主義的だと批判し渤海史の叙述もそうであるといいつつ、その一方で民族主義擁護する発言してしまい、すっかり矛盾した格好になってしまった。偏狭な民族主義史観克服しなければならないのは当然であるが、西欧観念追従して民族主義あたかも犯罪のように扱うような態度もやはり排撃なければならない。われわれは今、このような両極の間を無事に通過しなければならない危険な航海路に立たされているのである。 — 宋基豪、民族主義史観渤海歴史批評58 北朝鮮1991年出版された『조선전사5』(中世編)には、タイトルが「渤海後期新羅」とされている。 渤海高句麗継承した国であり、7世紀末から10世紀初めに至る時期朝鮮史発展大きな役割果たした渤海高句麗遺民たちによって昔の高句麗の地に建てられ強力な主権国家であり、高句麗文化継承発展させ、我が国北方諸国からの侵入防ぎ、国と民族の安全を確保するために大きな貢献をした。...朝鮮史において、渤海は南の後期新羅長い間共存しながら民族史発展新たな時期飾った。 — 조선전사 5、발해 및후기신라、과학백과사전종합출판사 전영률(朝鮮社会科学院歴史研究所所長)は、以下のように述べている。 新羅支配層が外勢(唐)を引き込んで高句麗百済滅亡させた。高句麗領土北部は唐の支配下置かれた。新羅朝鮮半島大同江以南のみ支配しただけだ。高句麗故地には、高句麗遺民靺鞨族と一緒に高句麗将軍である大祚栄指揮のもと渤海国698926年)を立てた。...したがって新羅統一国家ではなく国土南部輝いた朝鮮の地域王朝過ぎず私たち歴史最初統一国家高麗ということ科学的に明らかになった。 — 전영률 전영률(朝鮮社会科学院歴史研究所所長)は、新羅朝鮮の歴史における統一国家主張することは、事実上渤海朝鮮の歴史から引き離すものであり、「新羅中心説」「新羅正統説」を主張することは、南朝鮮傀儡韓国)の売国的な「北進統一」にいくつかの歴史的根拠提供する御用行為批判している。これに対して金東宇(朝鮮語: 김동우、国立春川博物館英語版))は、「南北国時代」という時代区分採用するのは、高句麗継承した北の渤海と南の新羅互いに存在することを認めることから始まっており、いずれかの国を卑下しては「南北国時代」という時代区分成立しない批判している。 「南北国時代」を自著韓國史新論』(朝鮮語: 한국사신론、일조각、1967年)において提唱している李基白朝鮮語版)(朝鮮語: 이기백、西江大学)は、「渤海滅亡後高麗帰属し渤海遺民10万程度であり、渤海朝鮮の歴史のなかで、統一新羅対等に並列するのは問題ではないのか」という質問に対して、 「渤海少数高句麗遺民多数靺鞨族を支配していた国です。もし、現在靺鞨族が独立国家成していた場合渤海異民族支配受けていた時期として靺鞨歴史記述されるでしょう一方韓国人としては高句麗遺民統治していただけに、渤海を当然韓国史に含まなければなりません。しかし、統一新羅朝鮮民族史の大勢占めており、渤海支流とすることができます」と回答している。 韓国メディアでは、朝鮮の歴史における正統性である統一新羅と渤海対等・並列するのは妥当ではない、傍系直系より高位にすると滑稽な家系図になるという指摘があり、李鍾旭朝鮮語: 이종욱、西江大学)は、「現代韓国および韓国人つくった歴史重要だという観点では、渤海と金韓国人血縁関係にないので、朝鮮の歴史正史入れることはできない思います」「朝鮮の歴史正統性は、古朝鮮三国時代統一新羅高麗王朝李氏朝鮮です。高麗王朝は、統一新羅領土人民そのまま継承し、その支配体制そのまま受け入れた渤海高麗王朝建国貢献していません。高句麗-渤海朝鮮の歴史正統性とみる歴史観は、目下政治状況合理化するための政治行為です」「渤海史は、李氏朝鮮末期まで朝鮮の歴史割り込んだことはありませんが、光復後歴史家の孫晋泰(朝鮮語版)が『朝鮮民族概論』を執筆し渤海史を附録入れましたそうするうちに1970年代入り韓国歴史教科書では、統一新羅後の部分渤海入ってきた。2002年第7次国定教科書改訂では、『統一新羅』がなくなって南北国時代』と叙述して新羅渤海対等に扱われます」「渤海今日韓国人何を与えてくれたか。渤海滅亡時、渤海王族の大光顕遺民数万人を連れて高麗王朝投降し平安道地域定着した程度です。高麗王朝新羅伝統90%以上継承した国です。王家だけが変わっただけで、支配層はほぼ新羅出身でした。渤海今日韓国人形成するうえで血を分け与えたのか、渤海制度朝鮮継承したのか。そのような側面から渤海朝鮮の歴史のなかに入ってくるのは問題があると思います」と評している。

※この「朝鮮における南北国時代論」の解説は、「南北国時代」の解説の一部です。
「朝鮮における南北国時代論」を含む「南北国時代」の記事については、「南北国時代」の概要を参照ください。

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