朝鮮における倭人の蔑称としての「倭奴」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 05:21 UTC 版)
「倭人」の記事における「朝鮮における倭人の蔑称としての「倭奴」」の解説
高麗、李氏朝鮮時代の書物において、日本は「倭」「倭奴」などと綴られている。1419年の応永の外寇の後に日本に遣わされた文人宋希璟が、報告書とともに国王世宗にたてまつるために書いた詩文集『老松堂日本行録』の中で、日本人を「倭奴」と記している。 1763年の朝鮮通信使の一人だった元重挙が書いた『和国志』には日本語で「倭」と「和」は同じ発音で、日本人も日本を和、あるいは倭と呼んでいるが、対馬島の人だけは倭と呼ばれることを嫌がると書かれている。
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