朝鮮における「挺身隊」と「慰安婦」の混同と流言
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詳細は「女子挺身隊#朝鮮での「挺身隊」と「慰安婦」の混同」を参照 「挺身隊」とは「女子勤労挺身隊」のことで、主に工場などでの労働に従事する女性を指し、「慰安婦」とは全く異なる。太平洋戦争末期の1944年8月、労働力が逼迫する中で日本内地において日本人女性を工場などへ強制動員する「女子挺身勤労令」が出され、12歳から40歳までの未婚女子が対象となった。同時に学徒勤労令も出され、中等学校二年以上の学徒も軍需工場などで勤労した。 朝鮮半島の女子には女子挺身勤労令は発令されなかったが、朝鮮での強制性のない官斡旋の女子挺身隊が内地の工場に向かった事例もあったため、挺身隊と慰安婦が混同され、「挺身隊に動員されると慰安婦にされる」との流言(デマ)が流布した。デマによってパニック状態 になった朝鮮の未婚女性や親は、学校を中退させたり、結婚することで徴用を逃れようとした。戦後、慰安婦問題の活動を行う韓国挺身隊問題対策協議会初代代表の尹貞玉も1943年4月に入学した女学校を父親の忠告に従って同年9月に退学している。 1944年6月27日の内務省の文書では、未婚女子の挺身隊を慰安婦とするようなデマについて「荒唐無稽なる流言」「悪質な流言」としている。当時の日本政府はそうしたデマを民族主義者による反日謀略とみなしていた可能性も指摘されている。 日本内地へ動員された女子挺身隊の総数は4,000人 から10,000人 と推計されているが詳しい人数は分かっていない。こうしたデマは、慰安婦の斡旋業者が挺身隊名目で慰安婦を集めていたのも原因しており、挺身隊=慰安婦という朝鮮での混同は戦後になっても見られる。
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