朝鮮と洪範九疇
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李氏朝鮮の言論人である張志淵は、洪範九疇について以下のように述べている。 檀君之季,殷太師箕子避周以來,以洪範九疇之道,教化東方。檀君時代の末に、殷の王族箕子が周を避けて来て以来、洪範九疇之道をもって東方を教化した。 — 張志淵、朝鮮儒教淵源 洪範者即易象之原理,而儒教之宗祖也,自古聖帝哲王修身齊家治國天下之大經大法,皆具於洪範一書。洪範とは、即ち易象の原理で、儒教の大本である。古より聖帝・哲王の唱える修身齊家治国天下の大経・大法は、みな洪範の一書の中に備わっている。 — 張志淵、朝鮮儒教淵源 箕子とは、中国古代の殷周革命が起きたときの、殷王朝の王族であり、檀君朝鮮末期に、周王朝を避けて朝鮮半島にやってきた。そして、「洪範九疇」によって朝鮮人を教化した。大韓民国の国旗である太極旗の図案は『易』の原理で描かれている。洪範九疇は『易』の原理、儒教の根本の教義であり、箕子はそれを殷王朝を滅ぼし、周王朝を建国した周武王に伝えるとともに、朝鮮にももたらし、「八條之教」によって朝鮮人を教化したことは、『史記』に記されているが、張志淵はそれを「洪範九疇」とみている。 其八條雖遺缼失傅,然孔子賛易曰,箕子之明夷,明夷者其道明於東方也,然則朝鮮雖謂之儒教宗祖之邦可矣。八條の教えは失われてしまったが、孔子は易に注釈をつけて「箕子の明夷」と述べた。明夷とはその道を東方の朝鮮で明らかにしたという意味で、したがって朝鮮は儒教の宗祖の国と言ってもよいであろう。 — 張志淵、朝鮮儒教淵源 『易』明夷の解釈にことよせて、朝鮮が「儒教宗祖之邦」といってもよいとまで断言してはばからない。そして、箕子が「洪範九疇」を朝鮮にもたらしたことから、孔子が生まれる以前に、儒教の根本の教義が朝鮮に伝わっていたことになる。 是故論語孔子乘桴浮海之志,有欲居九夷之語,盖謂吾東是儒教舊邦,故夫子欲如箕子之布教行道而有是言也。したがって論語にあるように、孔子は海に浮かべたいかだに乗って出かけてしまおうと述べた。また九夷に住むことを欲するとも言った。出かける先の九夷とは朝鮮、儒教の国のことである。孔子が生まれる以前から箕子によって伝えられた儒教の教えの根本が朝鮮にあるから、孔子も行きたがったのだ。 — 張志淵、朝鮮儒教淵源 『論語』にみえる中国で「道」がおこなわれないことに対する孔子の嘆きの言葉も、箕子が朝鮮で成功したことにあやかろうとして、海外に行ってしまいたい、九夷(東夷)にでもおろうかと、述べたものとする解釈は、李氏朝鮮では通説だった。ただし、残念であるが、孔子の朝鮮への東来は実現することはなく、これについて張志淵は以下のように述べている。 向使孔子果然浮海而志,如箕子之斷行傳教化于吾東,安知吾東一域爲孔教根據之邦,而廣吾東於天下也耶,惜乎,其拘於時勢而終不果行也。仮にもし孔子が本当にいかだに乗って東方にやってきて、箕子が朝鮮を教化したのと同じようにしていたら、わが朝鮮の地域は、孔子の教えである儒教の根拠の国になっただろう。残念ながら、それは実現しなかった。 — 張志淵、朝鮮儒教淵源
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