き‐し【箕子】
箕子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/25 02:27 UTC 版)
箕子(きし、生没年不詳)は、中国殷王朝の政治家。文武丁の子で帝乙の弟。帝辛(紂王)の叔父にあたる。箕の国に封じられたので箕子と呼ばれる。名は胥余。朝鮮で箕子朝鮮を建国した。箕子は、『史記』宋微子世家に「武王既克殷,訪問箕子,於是武王乃封箕子於朝鮮…」とあり、中国殷王朝に出自をもつ中国人である。箕子は、朝鮮人に礼儀・農業・田作・養蚕・織機を教え、犯禁八条を施行して民を教化した。そのため、朝鮮人は、箕子を崇拝し、祠廟を建て、四季を通じて祭祀をおこなった[1]。
- ^ a b 簡江作『韓國歷史與現代韓國』台湾商務印書館、2005年8月1日、3頁。ISBN 9789570519891 。
- ^ a b c 李豪潤 (2011年3月). “16世紀朝鮮知識人の「中国」認識 : 許篈の『朝天記』を中心に”. コリア研究 (立命館大学コリア研究センター): p. 91
- ^ 簡江作『韓國歷史與現代韓國』台湾商務印書館、2005年8月1日、2頁。ISBN 9789570519891 。
- ^ a b c 礪波護、武田幸男『隋唐帝国と古代朝鮮』中央公論社〈世界の歴史 (6)〉、1997年1月、264頁。ISBN 978-4124034066。
- ^ 武田幸男 編『朝鮮史』山川出版社〈世界各国史〉、2000年8月1日、29頁。ISBN 978-4634413207。
- ^ a b 簡江作『韓國歷史與現代韓國』台湾商務印書館、2005年8月1日、4頁。ISBN 9789570519891 。
- ^ a b 簡江作『韓國歷史與現代韓國』台湾商務印書館、2005年8月1日、7頁。ISBN 9789570519891 。
- ^ 姜智恩 2017, p. 48-49
- ^ a b c d e 太田誠『政治家宋時烈の研究』東北大学、2014年3月26日、9-11頁。
- ^ a b 太田誠『政治家宋時烈の研究』東北大学、2014年3月26日、9頁。
- ^ 太田誠『政治家宋時烈の研究』東北大学、2014年3月26日、12頁。
- ^ a b c d e f g h i j 山内弘一 (2019年9月18日). “朝鮮儒教思想から見た韓国の対日観 ―日韓相互不理解の淵源を探る―”. 平和政策研究所. オリジナルの2021年12月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “宗岩:朝鮮的箕子陵与檀君陵”. 撫順七千年网站. (2015年6月5日). オリジナルの2018年1月3日時点におけるアーカイブ。
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- ^ a b c 矢木毅 2008, p. 43
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- ^ 矢木毅 2008, p. 41
- ^ 矢木毅 2008, p. 49
- ^ a b c d e 姜智恩 2017, p. 51-52
- ^ 姜智恩 2017, p. 41
- ^ a b c d 姜智恩 2017, p. 50
- ^ a b c 姜智恩 2017, p. 52-53
- ^ 姜智恩 2017, p. 55
- ^ a b 姜智恩 2017, p. 55-56
- ^ a b 太田誠『政治家宋時烈の研究』東北大学、2014年3月26日、32頁。
箕子(き し)
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殷の文官。紂王の叔父。西岐軍が朝歌に迫っているさなかにも殷の力を過信し暴虐を重ねる紂王を諌めるが、聞き入れられず、奴隷に落とされた。
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箕子(き し)
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