王禑
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王禑(ワン ウ、おう ぐ、朝鮮語:왕 우、1365年7月25日 - 1389年12月31日)は、第32代高麗王(在位:1374年 - 1388年)。姓は王、名は禑。禑王、驪興王。初名は牟尼奴[1]。恭愍王と侍婢・般若の子。恭愍王の後を継いで王位に就いたが、李成桂の威化島回軍により廃位、殺害された。
- ^ 高麗史卷44 世家44 恭愍王「乙巳賜牟尼奴名禑、封爲江寧府院大君。百官賀、命政堂文學白文寶・田祿生・大司成鄭樞等傅之。」(乙巳、牟尼奴に禑と名のるを賜ひ、封じて江寧府院大君と爲す。百官賀す、政堂文學白文寶・田祿生・大司成鄭樞等に命じてこれに傅たらしむ。)
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