洪武
洪武
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 14:05 UTC 版)
洪武帝は建国の翌年の洪武2年(1369年)に詔勅を出し、宮廷で使用する祭器には磁器を用いることと定めた。貧農から身を起こした洪武帝(朱元璋)は倹約を宗とし、宮廷の祭器にも高価な金銀器の代わりに磁器を用いるように命じたものである。『大明会典』によれば、洪武26年(1393年)に出された規則には、官窯の磁器は民窯とは違った官窯独自の様式を用いるべきこと、宮廷御用の磁器は工人を都の応天府(南京)に呼び寄せて焼かせるが、必要な器の数が少ない場合は景徳鎮や龍泉窯で焼かせることなどが定められている。こうしたことから、洪武年間(1368 - 1398年)には応天府(南京)に官窯が存在したことが想定されているが、その実態は明らかでない。南京の洪武宮址からは多数の陶片が出土しており、これについては1976年の『文物』誌に南京博物院による報告がある。出土陶片の中には五爪の竜が描かれた白磁紅彩竜紋皿があった。五爪の竜は皇帝専用の紋様であることから、この皿は宮廷使用のものであり、工人を応天府に招聘して焼かせた可能性もある。洪武年間の磁器には、後の時期のように「○○年製」という年款銘を入れた作品はないが、元代とも、後の永楽期とも異なる様式の磁器で、上述の洪武宮址出土陶片と作調の共通するものが洪武様式とみなされている。洪武期に比定されている作品には、青花、釉裏紅のほか、印花紋のある単色釉磁、内外に別色の釉を掛け分けた鉢などがある。青花や釉裏紅の紋様は植物紋が多く、盤、鉢などの見込み中央に花卉紋、周囲に唐草紋を表すものが典型的である。コバルト顔料の不足のため、青花の色は淡く仕上がっている。
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