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箕原勉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/15 14:37 UTC 版)

箕原勉

箕原 勉(みのはら つとむ[1]1882年明治15年〉8月28日[1]1964年昭和39年〉12月15日[2])は、日本海軍軍人電気工学者工学博士[3]。最終階級は海軍造兵中将

経歴

兵庫県多紀郡篠山町(現在の丹波篠山市)出身。錦城中学校第一高等学校を経て、1907年(明治40年)に東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業[1]。海軍造兵中技士となり、1933年(昭和8年)に海軍造兵中将に至った[4]。その間、舞鶴海軍工廠部員、呉海軍工廠部員、造兵監督官、造兵廠研究部員・海軍大学校教官、航空機試験所所員、海軍技術本部部員・艦政本部部員、海軍技術研究所工作課長、同電気研究部長・艦政本部会議議員、特許局技師、海軍技術研究所所長・海軍技術会議議員、軍令部出仕を歴任した[4]

1936年(昭和11年)に予備役に編入された後は日本放送協会技術研究所次長となり、1940年(昭和15年)からは所長を務めた[5]

著書

  • 『ラヂオとは斯んなものさ』(電気之友社、1925年)

脚注

参考文献

  • 井関九郎『大日本博士録 第五巻』発展社、1930年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第11版 下巻』人事興信所、1937年。 
  • 人事興信所編『人事興信録 第13版 下巻』人事興信所、1941年。 
  • 福川秀樹『日本海軍将官辞典』芙蓉書房出版、2000年。 



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